第21話

「ほんとにやるの?」

 問いかける。

 これは珍しいことだ。基本的に旅に関する主導権は俺が持っていて『反対しきれずに押し切られる』という事態があまり起こらないから。サラが何かをいうときは大概非常に説得力のあることで反対する理由がないし。料理のこととか女の子のライフスタイルのこととか、そういう話なので。

 では、なぜ、俺がこうして往生際悪く食い下がっているのかというと、

 「だってお金、必要でしょ。私たちの方が絶対うまくやれるって」

 不穏な動機によって不穏な行動をとろうという話になってしまったから。


 今俺たちがいるのはトリエステからそう遠くないアドリア海沿いの街、ヴェネチア近郊だ。世界に冠たる水上都市なので名前を知っている人も多いと思う。千年にわたってヨーロッパ有数の商業拠点として名を馳せた富の象徴。旧市街は干潟に丸太を打ち込んでその上に建造物を建てて構成されており、非常に珍しい成り立ちとして知られる。近年は老朽化した場所もあって地域一帯が沈下しており、高潮で一時的に水没することもあるという。

 そのためなのかどうなのか知らないが、車両の乗り入れ一切禁止。


 昨日あたりから天気予報が思わしくないこともあり、大事をとって久しぶりに宿をとった。スロベニアのときのようなことはごめんだ。

 そうなるとせっかくだから観光しようということになる。宿に荷物を預けて付近を散策する。

 いわゆるヴェネチアそのものは島なので全長四キロほどのリベルタ橋を、交通機関を使って渡らなければいけない。節制を旨とする俺たちは協議の結果、本島上陸を断念して地域一帯を広く見て周ることになった。

 世界的な観光地だけあって、周辺地域でも十分に人が多い。

 ヴェネチアの陸側の入口、メストレ駅沿いの大通りを海に向かって進んだ先にサンジュリアーノという名前の大きな公園がある。ここに到着するころには朝から降り続いていた小雨も上がり、雲の合間に晴れ間が見え始めていた。

 公園内にはどこで雨をやり過ごしたのか多くの人。見通しの良い通りのそこかしこに飲み物やお菓子を売る屋台が並び、大道芸をする人の姿もある。

 体中を鈍色に塗り、銅像のふりをした紳士。子どもが足元に置かれた缶に小銭を入れると油の回っていないブリキの人形のように不器用に踊って見せる。その向こうでは火を吹くピエロや鳩を飛ばす手品師も。飛んで行った鳩はちゃんと帰ってくるんだろうか。

 そんな中に一人、ボーリングのピンを細くしたような何かでジャグリングをする人がいる。見た目はポロシャツにジーンズの普通の青年っぽい。そんな彼を見てサラがぽつりと、「これくらいだったらタイチの方がすごい」とこぼした。

 どうだろう。恐らく今すぐにやって見せろと言われても、あれくらいのことならできなくはないと思う。でも、本人の目の前でそんなこと言ったらだめだよ。スペイン語だから大丈夫だろうけど……。

 なんでこんなことを言ったかといえば、夜に暇を持て余す中で身の回りの物でお手玉をやって見せたりしているからだ。昔からこの手の遊びには慣れ親しんでいる。祖父母と同居している我が家には古いおもちゃが多くて、小さなころからずっとそれで遊んでいたから。けん玉や独楽など一通りはやりこんだ。少し大きくなってから友人の前で見せて驚かれるまで、みんなそれくらいのことはできるのだと思っていた。

 たまにとり落しそうになったりしながら五つまで増えたピンを一つずつ回収して青年が一礼。足元に置かれた開いたスーツケースに周りの人がお金を入れていく。……意外と金額が大きい。二色揃った一ユーロや二ユーロ硬貨だけじゃない。何枚かは紙幣、それも青色の二十ユーロが混ざっている。サラの視線はそこに釘付けになった。

 それからすぐだ。私たちもやろうと言い出したのは……。


 人前で見世物をやるというのは、ただ想像するよりも面倒なものだ。

 当たり前の話からするなら、まず道具が要る。余分な物を一切持てない俺たちは当然お手玉だって持ってない。提案を否定ばかりするのは良い気分ではないけれど、そう伝えると、サラは街中を巡ってまたたくまに代わりになる物を集めてきた。小ぶりな炭酸飲料の瓶に少し水を入れたペットボトル、テニスボールや丁度いい重さの綺麗な石。後で調べたところではクラブというらしい均一な専用の道具と比較すると、正直難易度は跳ね上がる気がする。とはいっても、日々手遊びで使っているのも日常品だから何度か試せば落とすこともなく投げ回すことができた。

 これだけだと見た目が良くないね、と俺の不安をよそにしばらく腕を組んで考えていたサラは、「私がとなりで歌を歌うよ」と新しいアイデアまで盛り込み始める。数え歌というやつ。

 幼児向けのテレビ番組なんかで定番の、数字を覚える歌は世界中にあるらしい。小熊の兄弟がベッドの上から落ちたり上ったりして数が増えたり減ったりするという内容の物をサラが英語で歌いながらクラブ(仮)を投げ入れる。俺は受け取りながら数字に合わせてわざと落としたり拾ったりするという塩梅だ。めちゃくちゃ難しい。

 ただそれだけあって、傍から見ればちょっと面白いのではと自分でも思えるから変な話だ。

 やる気満々でスマホの動画を活用しつつ歌詞を覚えるサラを見れば、俺も頑張らなければという気になってくる。すっかり感化されてしまい、いつの間にか熱心に練習をしているのである。……だって楽しいんだもの。


 問題点は他にもあって明日の天気予報が雨だというのが最大の懸念事項かもしれない。しかしサラの計画に余念はない。代わりに良さそうな屋根のある場所、例えばメストレ駅前等をいくつかピックアップして天気が芳しくないケースに対応する案で決まった。当然、ノンアポ。もしも地元の怖い人がみかじめ料を求めてきたら謝るか逃げるしかないというのが一番怖い。そもそも警察沙汰になる可能性もけして低くないのに、サラはそれでも良いのだろうか。

 彼女のトラウマについて話題に挙げることに俺はすっかり及び腰になっている。けれど今回ばかりは無視するわけにもいかないので遠まわしに話を誘導していくと、困った顔でサラは一言「だってお金は必要でしょ」と答えるのだ。

 旅を続ける短い時間のうちにもサラの中では常に何かが変化している。それは良いことも悪いこともあって、今回のこともその両方を内包しているはずだ。

 ただ、彼女の苦しみを目の当たりにしてきた俺にとっては、上辺だけでも自発的に辛さを乗り越えようとしている姿を好ましいと感じている。今後、ずっと先の未来までを考えればこのチャンスを逃したくない。そう思ったから、今回の計画は実行されることになった。

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