第15話 好奇心
飲みすぎて火照った頬を覚まそうとベランダへ出た時だった。
右隣のベランダからは華やかな女性の笑い声が聞こえる。見ればトマスとその婚約者だった。
私は一度、結婚をしていた。しかし、妻がいるにも関わらず、他の女性と心中未遂事件を起こしていた。政府からの弾圧が厳しく、自暴自棄になっていた時期があったのだ。そのせいで、私を愛した女性だけが死ぬことになってしまった。
妻にも愛人にも酷い仕打ちをしてしまった。もう二度と、人を愛することはない。自分にはその資格がない。
漠然とそう思いながらトマス達を見ていると、ふと何かの気配を感じた。視線を上げ、空を見上げる。
夜空には満月が美しく輝いていた。
大きな満月は不思議な色をしていた。
黄色よりもっと赤みを帯びた月。
「あっ……」
微かに耳へ届いた小さな女性の声に月から視線を外した。
四階のベランダ……二つ上の階の左側のベランダに重なるシルエットがあった。
人目を避け、愛を語り合う男女。
そう、私には見えた。
フッと二人の姿が陰る。見上げれば大きな白い雲が月の光を遮っていた。
まるであの二人のために、月光さえその光を遠慮したようではないか。
月を見ていると風に流されて白い雲がどんどん流れていく。また二人のシルエットが現れた。
「……?」
ドレス姿の女性が男の腕の中でグッタリしていた。背中を男の腕にもたれさせ、顎を上げ、落ちた腕が力なくダラリと垂れている。
どうしたのだろうか?
ジッと目を凝らして見ていると、男が女性の首から顔を上げた。
その目は銀色に光り、唇は真っ赤に染まっていた。
「なっ……」
一歩後ずさり、うしろを振り返る。
晩餐会の会場は先ほどから何も変わらず、談笑で溢れていた。赤ワインを嗜みながら肉料理を食す人々。
もう一度、ベランダを見上げる。
先ほどの二人の姿は既になかった。
夢か……? いや、夢ではない。確かに見た。
好奇心に駆られ、私は晩餐会の会場を抜け出した。
真紅の絨毯が敷きつめられている廊下を音を立てないよう足早に歩く。
ドキドキと胸が早鐘を打つ。握った拳の中で滲む汗。唇を噛み締める。
三階へ続くダークブラウンの階段。
艶のある手すりを掴み、ゆっくりと階段を一歩一歩登った。三階はひっそりと静まり返っていた。そして薄暗い。同じく真紅の絨毯が廊下を染めていた。
三階には誰もいないのか?
私は気配を探りながら、四階への階段を登った。
四階はさらに薄暗かった。
前方にポツリと灯るランプは、電気ではないロウソクのようだった。
「…………」
私はそれに導かれるように歩を進める。
不思議と恐怖はなかった。
ただ、この先にあるものを知りたいという好奇心だけが私を突き動かしていた。
真紅の絨毯は闇と同化し、まるでどす黒い血のように見えた。
そして私は、彼に出会った。
まるで運命のように。
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