第35話 駐在くん、たまたま狙われる


「男鹿警部!? どうして、ここに!?」

「いやー、たまたまこのバスに乗っていただけだよ。たまたまね」


 男鹿は片手でつり革を掴んでいて、もう片方の腕にバッグをぶら下げ、手は上着のポケットの中だ。

 手が当たったような気がしたが、それはどうやらハジメの勘違いだったようで、男鹿の持っていたバッグが当たっただけのようだった。


(びっくりした……また痴漢にでもあったのかと————いや、今の俺なら簡単に制圧できるけどな)


 ハジメは警察学校で叩き込まれた逮捕術を使えば、痴漢なんて一撃だと、自信に満ちている。


(まぁ、あの時助けられて以来、痴漢にはあっていないけれど……)


「それで、今日は休みなの?」

「は、はい。今日俺、誕生日で……たまたま休日だったんで、買い物にでも行こうかと」

「ふーん……そうなんだ。それはおめでとう。誕生日か……こうしてここで会ったのも何かの縁だし、君が良ければ何かプレゼントでもかってあげようか?」

「え、そんな……いいですよ! 申し訳ないです!」

「そう? 遠慮する必要ないよ? 君も知ってるだろうけど、ウチは金持ちだからね」


(いや、金持ちだからとか、そういうことじゃないんだけど……それにしても、やけに近いな)


 乗客が何人か降りて、いくらかスペースが広くなったというのに、男鹿は妙に近い距離でハジメの背後から離れない。


「だ、大丈夫です。お気遣いだけで……それより、珍しいですね」

「何がだい?」

「男鹿警部がバスに乗ってるなんて……てっきり車をお持ちかと」

「あぁ、車ならあるよ。ベンツとフェラーリなんかもあるけど、なんだかんだ国産車が移動には楽でね……小回りが利くから、普段は軽自動車に乗ってるんだ」

「そ、そうなんですね、意外です……」


(……じゃぁ、なんでバスに乗ってるんだろう?)


「そうかな? じゃぁ、今度見せてあげるよ。近々新車が届く予定で……すごく乗り心地が良さそうで、ついつい乗る前から興奮してしまってね……」


 ハジメには、男鹿の言っていることがあまり理解できていなかった。


「そうなんですね……是非、お願いします。あ、じゃぁ、俺、ここで降りるんで!」

「そう……じゃぁ、またね」


 バスから降りていくハジメを、男鹿は寂しそうな表情で見つめる。

 そして、ボソリと呟いた。


「相変わらず、触り心地のいいお尻だね……」


 だが、ハジメの耳にその声は届かない————

 ハジメは気がついていなかった。

 男鹿こそが、ハジメに痴漢行為をして捕まった男であることに。

 当時、痴漢による恐怖で、はっきりと犯人の顔を見ていないハジメが、男鹿の顔を覚えているはずがなかった。


 男が現行犯で逮捕された後、どうなったのか知らないのだ。

 相手が何者かも、ハジメは知らされていなかった。




 * * *



 翌日、須木田交番にハジメあての差出人不明の花カゴとケーキが届く。

 花カゴには誕生日おめでとうと書かれたプレートが添えられていた。


「お前のファンからか?」

「まさか、そんなわけないでしょ! きっと、ほら、この前道案内したおばあさんとかですよ」

「爆弾だったりして……」

「まさかぁ! 冗談やめてくださいよ!」


 先輩たちにからかわれながら、ケーキの箱を開けると、正面から見た赤い車の形をしたケーキが出て来た。

 ナンバープレートの位置には、黄色いチョコレート。


「車の形のケーキって、小学生じゃあるまいし……しかも、軽じゃねーか」

「はは、ほんとだ! お前、孫だと思われてるんじゃないか?」


 先輩たちは笑っていたが、ハジメはゾッとする。


(まさか……これって————)


 ハジメの脳裏に、ニコニコと微笑む男鹿の顔がよぎる。


(いや、偶然だろ……そうに、決まってる。きっと、そうだ)


 ハジメは自分の考えを打ち消すように首を振った。

 男鹿警部な訳がない。

 あんなに人当たりが良くて、優しい人がこんなことをするとは思えない……と。


 しかし、その後が最悪だった。


「おい、比目巡査、本署の方で人が足りてならしい。ちょっと行って来てくれないか?」

「え? どうして、俺なんですか?」


 電話を受けていた巡査長が、他にも先輩方がいるというのに最初からハジメを指定してきたのだ。


「さぁ、よくわからんけど、男鹿警部が必ずお前をよこせってさ……」



 命令されたまま、本署に行くと男鹿が笑顔で出迎える。


「来てくれてありがとう。比目巡査」


 他の交番からも応援が来ていたのに、なぜか男鹿はハジメにつきっきりで、戸惑うハジメを捜査と称して連れ回した。

 妙に距離が近く、張り込みだと連れてこられたのはどこかの高級マンション。

 駐車場には、ベンツとフェラーリという高級車がずらりと並び、その隣に不釣り合いな小さな赤い軽自動車が。


「お、男鹿警部……? これって————」

「ああ、僕の家だよ。たまたま、今回追ってる犯人の家が、僕の家の真向かいでね。よく見えるんだ。たまたま……ね」

「たまたま……?」


 張り込みなんて初めてだったハジメ。

 エレベーターで最上階へ行き、案内されたまま中に入ると、かなり広い部屋だが、他の刑事の姿は見当たらなかった。

 それに男鹿は、エレベーターに乗っている最中から、頬を紅潮させていて妙に息が荒い。


「君も好きだろう……? たまたまが」


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