第33話 駐在くん、怯える


 菜乃花は、ハジメがこんなにも怯えた表情をしているのを初めて見た。

 どこか頼りないけど、とても真面目で、からかうと耳まで真っ赤になって……反応がとっても可愛い大好きなハジメ。

 そばにいるだけで、見ているだけで癒されちゃうくらい、大好きなハジメのこんな表情は知らなかった。


「ハジメくん? どうしたの……?」

「…………」


 そして、どう考えても、この突然やってきた男に怯えているのは、一目瞭然だった。


(まさか————……さっきハジメくんが言ってた、痴漢!?)


 菜乃花は、男の方に向き直り、キッと男の顔を睨み返す。


「駐在さん!! あの男、逮捕してください!! 変態です!!」


 ビシッと男を指差して、仁平に言う。

 しかし、仁平はなぜか男に向かって敬礼する。


「……男鹿おが警視、どうしてこちらに?」

「あら、芹沢さん……いたの?」


(……男鹿——警視?)


 この男は、男鹿好太こうた警視。

 現在、この女人村が所属している所轄警察署の署長である。


「警視ってことは、警察の人?」

「ああ、そうだ。このお方は、まだまだお若いが俺や比目よりもずーっと偉い階級だ。菜乃花ちゃん、悪いんだが比目を連れて奥へ入ってくれ」

「は、はい……」


 菜乃花は仁平にそう言われて、奥の居住スペースに震えているハジメを連れていった。


「ちょっと! 何するのよ!! アタシはハジたんに会いにきたのよ!?」


 後を追って、居住スペースに入ろうとしている男鹿を、仁平が止める。


「一旦、俺が話を聞きます。どうして今更、あいつに……比目に会いにきたんですか? あんたのせいで、あいつは————」


 菜乃花が扉をピシャリと閉めると、ハジメはよほど男鹿が近くにいるのが嫌なのか、寝室に駆け込んで押し入れから掛け布団を引っ張り出して、頭からかぶった。


(ハジメくん、一体何が————?)


 ハジメのあまりの怯えように、菜乃花は首をかしげる。

 男鹿がハジメの言っていた痴漢の犯人なのかと思ったが、男鹿は同じ警察官だ。


(警察の人が、痴漢なんてする? でも、あの人、ハジメくんのことハジたんって——……私のこと、泥棒猫って……)


 泥棒猫といえば、正妻が浮気相手の女に叫ぶことで有名なセリフ。


「ハジメくん、寒いの?」


 菜乃花はガタガタと震えているハジメを、落ち着かせるように後ろから布団ごと抱きしめた。



 * * *



「邪魔しないでよ。芹沢さん……いや、今アタシは署長だし、芹沢でいいか」

「署長——? あんた、正気か?」

「正気か? 失礼な……アタシはずーっと正気よ。オカシイのはあなたじゃないの?」


 三十代で警察署の署長というスーパーエリートなだけでなく、黙っていれば、そんじょそこらのどの男よりも男前の男鹿。

 警部時代には何も知らないマスコミに、イケメン刑事として取り上げられたこともあり、女性たちからも人気がありよく警察の広報活動に協力している。

 だが、それはあくまでも表向きのことで、男鹿は————


「恋人に会いにきて、一体何が悪いっていうのよ?」


 ——ハジメのことを自分の恋人だと思い込んでいる、とってもヤバイ男なのである。


「アタシとハジたんの仲を引き裂いた上に、あーんな小娘にハジたんを近づけさせるなんて……! 汚らわしいっ!!」


 男鹿はそう言って、あたかも自分が被害者のように眉を下げ悲しげな表情をしている。

 しかし、実際、ハジメは男鹿と付き合ってもいないし、被害者はハジメの方だ。


 男鹿は、巡査としてまだ右も左もわからなかったハジメに対して、一方的に想いを寄せて、パワハラとセクハラを繰り返していた。

 耐えきれずにハジメは上に訴えたが、男鹿の父親は警察幹部。

 逆に上司を侮辱したと処分を受けたのはハジメで、この女人村に飛ばされたのだから。


 仁平は、ことの詳細を全て知っているわけではない。

 だが、ハジメが女人村へ来る前に理由は前署長から聞かされていた仁平。

 男鹿も別の署へ配属となっていたはずだが、仁平の知らぬ間に戻ってきていたのだ。

 それも、署長というさらに上の立場になって————


「少し時間がかかっちゃったけど、またこうしてハジたんと会えるなんて夢見たい……そう思って、わくわくして来たのに……芹沢、あんたアタシとハジたんとの再会の邪魔よ! そこをどきなさい」


 まるでピアニストのような、綺麗な指で男鹿はビシッと仁平を指差す。

 住居スペースの扉を背に、仁平はやれやれと首を振った。


「男鹿警視……いや、署長さんよぉ。いくらあんたが比目に惚れていようと、相手が嫌がってんだ。あんた、一体いつになったら大人になれるんだ? 世の中には、あんたお得意の親の力や金だけじゃ手に入らないもんがあるんだ」

「またその話? まったく……これだから、アタシのこの熱い燃えるような恋心を理解できないようなオヤジは嫌いなのよ。アタシとハジたんは、結ばれる運命なの!! 永遠の愛を誓い合った、運命なのよ!!」


 駐在所内に、男鹿の狂気に満ちた愛の言葉が響き渡る。


「さぁ、ほら、隠れてないで出ておいで!! ハジたん!! アタシの愛しいハジたん!! ずっと、ずっと、あなたに会いたかったの!! 愛してる……愛してるわっ!!」


 その声は、ハジメと菜乃花にも届いていた。



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