第四章 ハラスメント・バブル

第32話 駐在くん、痴漢にあう


「あ……ちょ……っ! そこは…………待て、菜乃花!」

「ふふふ……ここがいいんでしょう?」


 二月、用事が終わって駐在所に戻ってきた仁平は目の前の光景に唖然とした。

 まさか、警官が女子高生に後ろから尻を撫でられているとは……


「そこまでリアルにやらんでいい!! フリだけしろ! 護身術教えるだけなんだから!!」

「えー……だって、痴漢ってこんな感じでしょ?」

「いい加減にしろ! ジンさんがびっくりして固まってるだろ!!?」

「……あ、俺のことは気にするな。うん、気にせず続きを」


 仁平は全てを察したようで、うんうんと頷きながらいつも通り自分の机に戻った。


「いやいや、気にしてくださいよ……!」

「なーに、若い二人が仲良くやってるところを、邪魔するような野暮なことはしないさ。それと、菜乃花ちゃん……」

「はい?」

「痴漢ってやつはな、そんな風にケツだけ触りはしない。もっと前の方にだんだんと手を伸ばしてだな————」

「ほぉ……なるほど!」

「ひゃっ!! 余計なこと言わないでくださいジンさん!! お前も、そんなところ触るな!」


 結局、仁平にも菜乃花にもからかわれて、ハジメは全くこの二人には勝てる気がしなかった。

 仁平は楽しそうに大笑いした後、改めて何をしていたのかハジメに尋ねると、どうやら、菜乃花が通っている学校の生徒が痴漢の被害にあっているそうだ。

 夏は自転車で通学している生徒たちも、冬になればバス通学になる。

 そのせいでこの時期のバスは混んでいて、そこを狙っての犯行のようだ。

 防犯対策として、学校で一応護身術を教わったのだが、もっとちゃんと制圧してみたいと、菜乃花はハジメにも教えてもらおうとした。


「敵を知るには、まずは敵の気持ちになってみなきゃと思って……被害にあった生徒には、堂々とおっぱいを触られたって人もいるけど……ハジメくんにおっぱいはないし。そうなると、このプリッとしたお尻かなと」

「だから!! 本当に触る必要ないだろう!!」


(いくら演技とはいえ、後ろからあんな風にされたらびっくりするだろうが……!! 一瞬、あの時のこと……思い出してしまった)


「ハジメくんだって、これで痴漢被害者の気持ちが理解できるでしょ? やっぱり、実際に体験してみないと分からないことが……」

「それなら十分わかってるよ。何度もあってるからな……」

「え?」


 実はハジメは、学生時代に何度も被害にあっている。

 ハジメが警察官を目指したのは、その時、偶然居合わせた刑事が助けてくれたのがきっかけだ。

 初めて被害にあった時は怖くて顔も見れず……相手が男か女かも分からなかった。

 二度目、三度目もそうだ。

 男が痴漢にあっているなんて、恥ずかしくて言えるはずがなく……ただただ気持ちが悪かった。

 これがまだ犯人が女であったなら、少しは救いだったのかもしれないが、現行犯で逮捕されたのは男。

 おそらく、これまでの犯人も男だったのだろう。


 ハジメは女子にモテたことはないが、男子からなら告白されたことがある。

 だから、菜乃花から告白された時は、初めての女子からの告白だった。



「許せない……」

「え……?」

「私のハジメくんの体にそんなことをするなんて……!! その犯人は捕まった後どうなったの!? ちゃんと死刑になった!?」

「あ、あのなぁ! 痴漢で死刑になるわけないだろ!!」


 ぷくーっと頬を膨らませて、


「そんな奴は死刑だー!!」


 と、本気で怒っている菜乃花。


「一体、どこをどう触られたの? 私がその嫌な記憶全部塗り替えてあげるわ!! ねぇ、どこをどんな風に触られたの!?」


 自分のためにここまで怒ってくれる菜乃花に、ハジメも最初は嬉しかったのだが、次第にそういう話になっていて、菜乃花はいつの間にかハジメのベルトを外そうとしている。


「いやいやちょっと待て!! 何を考えてるんだお前は!! この痴女が!!」

「はっはっは! やー、若いっていいなぁ……」

「笑ってないで、止めてくださいよジンさん!!」


 ズボンを無理やり脱がされそうになっているハジメを見て、仁平はただ笑うだけだった。

 女人村の駐在所は今日も平和である————



「ハジたんっ!!!」


 ————はずだった。



 突然、ガラリと駐在所のドアが開き、背の高い男がそう言いながら入って来るまでは……


「は……ハジたん?」


 菜乃花はハジメのズボンのファスナーに手をかけたところで、ピタリと手を止め、その見知らぬ男の顔を見上げる。

 パッチリとした二重の大きな目で、彫刻のように整った、綺麗な顔の男だった。

 男は、ハジメの顔を見て嬉しそうに頬を紅潮させ、興奮しているのか息が荒い。

 だが、菜乃花の姿をその目に捉えた瞬間、醜く表情が歪む。


「あんたね……アタシのハジたんを誑かした泥棒猫は!!」


 キッと菜乃花を睨みつけ、低い声で叫んだ。


「この泥棒猫!!! ハジたんは、アタシのものなのよ!!!!」

「ど……泥棒猫!? 失礼な!! 突然現れて、この私にそんなこと……————っていうか、ハジたんって何!?」

「ハジたんはハジたんよ!!! さっさとアタシのハジたんから離れなさいよぉぉぉっ!!」

「……ハジメくんのことを言ってるの? ねぇ、ハジメくん、この人誰か知って————」


 菜乃花は、視線をこの男からハジメに向ける。


「は、ハジメくん?」


 ハジメは真っ青な顔で、震えていた。


(どうして…………なんで、ここに……この人が————っ)



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