第17話 駐在くん、見つめる


(うわー……ひでぇ顔)


 駐在所に戻り、ハジメは洗面所の鏡に映った自分の顔を見てそう思った。

 涙のあとと鼻水でぐちゃぐちゃだ。

 あんなに泣いたのはいつぶりだろうと、過去の記憶を辿りながら顔を洗う。


(小学生以来とか……か?)


 両親が離婚したことで生活が一変し、泣いている暇なんてなかったハジメ。

 もともと医者を目指していた兄の学費に相当お金がかかったし、ハジメも高校生の間は新聞配達のアルバイトをしていた。

 記憶を辿ってみれば、最後に大泣きしたのは両親の離婚が決まった時だ。

 女子高生と不倫していた父親は美里にとっては最低の夫だったが、ハジメにとってはいい父親で、ハジメは父親が大好きだった。


(あの時、もう二度と会えないって言われてめちゃくちゃ泣いたんだよな……)


 そこにいるのが当たり前だと思っていた人と、会えなくなるのは悲しいことだ。

 村長のせいで菜乃花が火事に巻き込まれて死んでしまったのではないかと思った時、嘘みたいに涙が出た。

 まるで子供みたいに……


 鏡の前置いてある、ピンク色のコップと歯ブラシを見てなんとも言えない気持ちになるハジメ。

 自分の水色のコップの隣にそれが並んでいることに、なんだかしみじみする。



「ハジメくん、お味噌汁の具お豆腐と大根どっちがいい?」


 ぼーっとしていると、ひょいっと顔を出した菜乃花が鏡越しに写り込んでそう聞いてきた。

 いつもの可愛いピンクのエプロンに、持ち手の部分に猫のキャラクターがついたお玉をもって。


「あ……うーん、豆腐かな」

「オッケー!」


 菜乃花はお玉を持った手で可愛くウィンクをして敬礼すると、台所に戻って行った。


 その瞬間、なんだか胸のあたりがモヤモヤした気がしたハジメ。


(…………なんだ?)


 不意に声をかけられて驚いたからか、それとも————



 * * *


 二人向かい合って、菜乃花が作った朝食を食べる。

 焼き鮭に甘い卵焼き、出汁の効いた豆腐とワカメの味噌汁にホカホカご飯。

 そして昨夜の残りのアワビとキュウリの和え物も。

 一気に生き返ったような気分になるハジメ。


(うん、宣言通り美味い……)


 パトカーに乗る前に菜乃花がいった通り、美味しい朝ごはんだった。

 それに、なんだか今日はやたら菜乃花がニコニコと笑いながらハジメの顔を見ているのか、何度も目があう。

 そのうち、耐えきれずに菜乃花が言った。


「ハジメくん、どうしたの? そんなに私のことじっと見て」

「え?」

「見つめてくれるのはすごく嬉しいけど、いつもと違うからちょっと恥ずかしいかも……」

「……見てる? 俺が?」

「うん、いつもの二倍……うーん、三倍くらいは目があう気がするよ」

「……っ!?」


 全く自覚がなかったが、ハジメは無意識に菜乃花を見つめていたようだ。

 言われて初めて気がついて、恥ずかしくなったハジメは視線を皮だけになった鮭に移した。


「み、見てないし……気のせいだろ」

「そんなことないよ、ハジメくん、私が死んじゃったと思ったから気になるんでしょ?」

「…………そういうわけじゃ……————っていうか、お前なんであの場にいなかったんだ? 村長がお前がいないって————そう言っていたから俺はてっきり……」


 よく考えたら、確かに村長が言う通り菜乃花の行動は読めないが、自らあの燃えている家に入っていくなんてありえないだろう。

 すぐに変な方向に勘違いしてしまう村長の方が問題だ。

 前に話も聞かずに、いきなり殴られたのをハジメは思い出した。


「あー……それは、お礼をしてたの。私に、火事になるって教えてくれた子に」

「教えてくれた? どういうことだ?」


 村長の話だと、菜乃花が火事だと最初に気づいたということだった。

 だが、菜乃花が火事になると知ったのは火の手が上がる前だったという。


「眠っていたら、夢を見たのよ。とても楽しい夢だったのに、急に私の制服に火がついて……」


(ん? それって、俺のと同じ夢?)


「びっくりして飛び起きたら、目の前にあの子……あーえーとよく家の周りにいる妖怪?的な子供がいてね、その子が教えてくれたの。火をつけられたから、火事になるって」


 間違えて駐在所に電話をかけてきた向かいのおばあさんより、早い段階で菜乃花が消防に通報したのだと思っていたがまさかそんなに早い段階だとは思っていなかったハジメ。

 それも、妖怪だとかいう非現実的な存在の言葉を信じての通報だったなんて、思いもしなかった。


「誰が火をつけたのかまではわからなかったけど、すぐに逃げられたのはあの子のおかげだし……あの子は夜にしかいないから、朝が来る前にと思って……」


 菜乃花の話が、どこまで本当かハジメにはわからない。

 それでも、やはりこうして無事でいることができたのなら、菜乃花には本当に不思議な力があるのかもしれないとハジメは思った。


 だが、その不思議な力を信じる人もいれば、信じない人もいる。

 とくに、放火の可能性が高いためこれから所轄からやってくる刑事には通用しないだろう。


(菜乃花の証言は、きっとなかったことにされるんだろうな……————)


 ハジメはそう予測しながら、また菜乃花を無意識に見つめていた。



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