第8話 駐在くん、焦る


 十二月になると、本格的に雪が降り始める。

 日付が変わる前に降り始めた雪が、翌朝にはすっかり積もって、一夜にして女人村は真っ白になった。


 ここまで降ってしまうと、さすがに自転車でパトロールはできないため、新雪の上をサクサクと音を立てながら歩いていくしかない。

 パトカーはあるのだが、信号機もあまりないため、本当に緊急時くらいしか使わないのだ。

 ハジメはいつものように村の小学生たちの登校を見守り、村全体を一周して戻ってくると、駐在所の前に見慣れた赤い車が一台止まっていた。


(……この車……————まさか!)


 慌てて駐在所の中へ飛び込むと、ハジメが思った通りの人物が仁平と話し込んでいる。


「母さん!!」

「あら、ハジメ。やっと来たわね」


 ハジメの母、美里みさとである。

 すらっと背が高く、五十手前とは思えないほど美と健康に気を使ってはいるがその体型と酒焼けした声のせいでよくニューハーフと間違われるこの母を、ハジメは一番恐れていた。


「ど、どうして、ここに?」

「どうして……って、あんたの生活が心配できたんじゃないか。どうせインスタントやらコンビニ弁当やらしか食べてないんだろう?」

「いや……それは……」


 実は菜乃花のおかげで実家にいた頃より豪華な食事をしているとは言えないハジメ。

 この母の料理はまずくはないが、あまり美味しくはないのだ。


(やばい……どうしよう)


 美里は片手に大きな包みを持っている。

 おそらくその中に、作り置きのおかずなんかが大量に入っているのだろうが、この駐在所にある冷蔵庫は今、一人暮らしでまともに料理が作れない男のものとは思えないほど充実しているのだ。

 野菜に果物、肉や魚に乳製品……

 さらに、菜乃花がお気に入りの食後のプリンまで。

 作り置きが入る余裕があるとは思えない。


 昨晩の残りのポテトサラダまで入っている。

 今晩はこれをコロッケにすると、今朝登校前に弁当を渡しに来た菜乃花が言っていたのだ。


「そろそろ、私の手料理でも食べさせてやろうと思ってね。本格的に雪が積もる前にと思って来たんだけど、この村はもうこんなに雪が積もってたのね。あんたの部屋はあっちっかい?」

「へ……部屋!?」

「……何をそんなに慌てて……駐在所で生活してるんでしょ?」


 ハジメはさらに焦った。

 真冬なのに滝のように汗をかきながら、この状況をどうすべきか必死に考える。

 村長に菜乃花を一方的に嫁にと渡されたものの、さすがに一緒に住めるわけがないと断ったため、菜乃花も嫁入り道具も全部送り返したが……

 それでも料理をしに来るため、可愛らしいフリルのついたエプロンやピンクのミトン、持ち手の部分に猫ちゃんがついたお玉やフライ返しなどのキッチンツールがある。

 食後はすぐに歯を磨くべきだからと、洗面台には歯ブラシとピンクのコップも。


 それに、料理同様、掃除もあまり得意ではないハジメの部屋が綺麗に片付けられているのだから、絶対に女ができたと思われるに違いない。


(どうしよう……奥に入られたらまずい!!)


 ハジメは仁平に助けてくれ!と視線を送るが、仁平はそれに気づいているのかいないのか、ニコニコと笑いながらお茶をすすった。


「何よ、あんたどうしたの……そんなに汗かいて……何かあるわけ?」

「い、いや、何もないけど?」


(しまった、声が裏返った!!)


「怪しいわね……」

「何もないって!! と、とにかく、俺は職務中だから!! まだこれから仕事が山ほどあるから!! その、荷物だけ受け取るからさ!! 母さんも仕事あるだろ?」

「大丈夫よ、有休だから。なんなの? 何をそんなに焦っているわけ?」


 じーっと疑いの目で見つめられ、焦るハジメは言葉が出てこない。


(母さんだけには……絶対に知られたくない……!! 母さんだけには!!)


「まぁまぁ、お母さん、落ち着いてください。私も息子がいますからねぇ、よくわかるんですが、この年頃ですよ? 母親に見られちゃいけないものくらいあるでしょう?」

「見られちゃいけないもの? なんです? 親に見せられないものなんて——」


 仁平はこそこそと美里の耳元で何かを言うと、美里は急に恥ずかしそうに顔を耳まで真っ赤にした。


「そ……そんな破廉恥なものを……!? ま、まぁ、確かに息子も成人してますし、立派な大人ですから……私が口出しすることではないですね」


(え、何!? なんて言ったのジンさん!?)


 美里はコホンっと一度咳払いをすると、包みを置いて気まずそうにハジメの方をチラチラと見る。


「まぁ、いいわ。とにかく、忙しいようだしこれは置いていくから、後で食べなさい。それと、もし、彼女ができたらすぐに報告しなさいね」

「う……うん」

「あぁ、でも、わかっているとは思うけど……あなたは公務員、それも、警察官なんだから——……」


 そして、去り際に————


「絶対に女子高生には手を出しちゃだめだからね」


 そう念を押して、美里は女人村を後にした。



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