第2話 1年半前 金沢
「ミケ、これ」
落ち着いた声でそう言いながら
「えっ?何?『赤いきつね』?」
「たぶんこれが恋しなるやろ」
ぶっきらぼうな言い方で温かみのある言葉が語られるとキュンとくる。
「あっ、ありがとうございます」
「本社に行ったら、ミケなんて軽々しく呼べんくなるなあ」
「全然問題ないです。大端さんはずっとミケと呼んでください」
朋代の姓は三池。同じプロジェクトメンバーからは「ミケさん」「ミケ」と呼ばれている。
「ミケはパーキングでよううどん食べとったやろ。ほやし……」
社外での仕事、クライアント回りでは隣県へ移動することも多かった。そんな時は度々高速道路のパーキングでお昼休みを取っていた。プロジェクトリーダー大端さんのお気に入りは、麺類と丼ものだけを提供している食堂が1つ入っているだけの小さなパーキングだ。朋代がそのパーキングで食べるのは決まって「いなり(きつね)うどん」だった。
「東京のうどん屋に行ったらびっくりすっぞ」
「えっ?」
何にだろう?朋代は首を傾げた。
「そもそも老舗の蕎麦屋はあっても、老舗のうどん屋は少ないか。俺が見つけられんだけかもしれんな……」
大端さんは朋代の疑問に答えることもなく、独り言のように呟く。
「まあ、悪いこと言わん。うどんが食べとなったらこの『赤いきつね』を食べとくこっちゃ」
「あっ、はい」
「それと」
一息おいて、大事なことを言い聞かせるように大端さんが続けた。
「あっちのスーパーで『赤いきつね』は買わんとけや」
何でだろう?更に首をかしげる朋代を置き去りにして別れの言葉がふってくる。
「本社に行っても、まあ頑張れや」
「ミケさん、お身体には気をつけてくださいね」
「今までありがとうございました」
溢れそうになる涙をなんとか押し止め、感謝の言葉を口にし、朋代はお辞儀をした。
仕事にも婚活にも行き詰まりを感じて提出した異動の希望。それが叶った形での転勤ではあったが、いざ職場を去るとなると、果たしてこの選択は正しかったのだろうかと不安になる。窓から見える山々にかかる雲と今にも雨が振りだしそうな色の空が、その思いをより一層増幅させていた。
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