32 最後のワガママ

 理恵とマリエルが、兄の魂の情報を読み終える。


「やー、シスコンも拗らせると、こうも魂歪むんですねぇ……」


 マリエルが率直な感想を述べるが、要するにそういうことだ。

 兄の歪みの原因は、自分の人生全てを理恵に捧げてしまっていることにある。

 そうすると、自分が消えて、兄が自分のことを忘れてしまうことで解消されるのだろうかと理恵は考えるが、即座にその思考を棄却する。

 自分が消えても、そこに穴が空くだけだ。おそらく根本的な解決にはならない。


「セリー……おそらくこれは……治らないんじゃないかと……」


 マリエルが気まずそうに言う。

 違う。きっとその生き方を変えることさえできれば、この問題は解決できるはずなのだ。そう伝えたいが、理恵はもう口を動かすこともできない。


 兄と直接話して、そのことを伝えることができれば。

 天力を使って、眠っている兄の精神に直接干渉することができれば、対話できるはず。


 これが最後でいい。

 あと一回だけ、体がもってくれるように祈りながら、理恵は天力を行使する。


「……セリー、そういうことですか」


 理恵の意思を察して、マリエルもそれをサポートする。




◇◆◇




 兄は夢を見た。


 居間のテーブルに座っていて、正面に理恵が座っている。いつも通りの日常だ。


「お兄ちゃん」


「うん? どうした?」


「今から大切な話をするね。あんまり時間もないから、ちゃんと聞いてほしい」


 また唐突だなと兄は思ったが、理恵がいつにも増して真剣な表情をしているので、大人しく聞くことにする。

 大切な話とは何だろうか。まさか彼氏でもできたか。


「お兄ちゃんは、いつもわたしのことを守ってくれたよね。お兄ちゃんのおかげで、わたしには大切な友達ができた。お兄ちゃんのおかげで、いつも笑っていられた」


「あ、ああ、いきなりどうした?」


「わたしね、人間になるとき、優しいお兄ちゃんが欲しいなって言ったんだ。他にも天使長に色々お願いはしたんだけどさ、叶ったのはそれだけだった。ケチだよね、あのハゲ」


「いや、その天使長とかいうのがハゲてるかどうかは知らんが……。まあ、お願いが一つでも叶ったんなら、いいんじゃないか?」


「うん。他のどのお願いが叶ってたとしても、こんなに幸せな人生は送れなかったと思うんだ」


「そっか。そう言ってもらえると、俺も頑張ってる甲斐があるよ。……俺は、おまえにとって、いい兄ちゃんでいられてるってことだもんな」


「最高のお兄ちゃんだよ、ありがとうね。でもね、お兄ちゃんは、わたしのことしか考えないで生きてるから、それが心配」


「……俺には、それ以外の生きる理由が見つけられなかったんだ」


「わたしは、もう十分すぎるくらい、お兄ちゃんから、たくさんすぎるくらい、色んなものをもらったよ。幸せだった」


「……理恵? それじゃまるで――」


 お別れの言葉みたいじゃないかと言う前に、理恵が言葉を続ける。


「お兄ちゃん、わたしが天使の使命を果たすって言ったとき、応援するって言ってくれたよね。嬉しかった」


「それがおまえのやりたいことだって言うなら、そうした方がいいと思ったんだ」


「うん……ありがとう。でも、お兄ちゃんは、それで、わたしがいなくなった後……どうするつもりだった?」


 理恵がいなくなれば、兄の生きる理由もなくなる。

 しばらく生きてみて、新しい何かを見つけられなければ、そのときは適当に死のうかと兄は考えていたが、それを理恵に伝えると悲しむのは目に見えている。


「さあな……考えてなかったよ」


 だから、兄にはそう答える他なかったのだが、理恵は見透かしてるように寂しそうに笑った。


「嘘。どうせ死んでもいいかとか考えたでしょ」


「……おまえも兄ちゃんの考えが読めるくらい成長したんだな」


「あのね、お兄ちゃん。言っておくけど、死んだりしたら絶対に許さないからね。もう地獄行きだよ、地獄行き」


「マジか……地獄はやだな。天国なら、またおまえに会えるかもしれないのに」


「たしかに、人間としてのわたしはいなくなるよ? でもね、天使としては存在し続けるの。……わかる? お兄ちゃんが、わたしがいなくなったからって死んだりしたら、わたしはすごく悲しむと思う。ショックで堕天するかもしれないよ? いいの? わたし悪魔になるよ?」


「……じゃあ、俺はどうすればいい?」


「お兄ちゃんには、子供のころからワガママばかり言って困らせたと思うんだけど……これが最後のワガママだから、聞いてほしい」


「…………ああ、俺はおまえのワガママは、なんだって聞いてきたからな」


「えー、そうでもないよ。欲しいって言ったぬいぐるみ買ってくれないときあったじゃん」


 理恵は子供のころ、兄に大きなクマのぬいぐるみをねだったことがあるが、買ってもらえなかった。実は未だにそのことを根に持っている。


「あれは高すぎたんだよ! 五万円超えてたんだぞ!? 貧乏学生にあんなもん買えるか!」


「甲斐性なしだなぁ……って、こんな話してる時間なかったんだ。じゃあ、これが最後のワガママ。きっとクマのぬいぐるみ買うよりは簡単だよ」


 理恵はそう言うと、ニッコリと微笑んだ。


「……ああ、なんだ?」


「これからは、自分のために生きて。自分がやりたいことを探してみて。そして、誰か、わたし以外に自分が大切にしたいって思える人を見つけて。あ、ちなみに、わたしのオススメは茜ね」


 茜の恋愛相談が途中だったことも心残りだったので、最後に少しだけフォローしておくことにする。


「……それが、おまえの望みなのか」


「うん。わたしは、ずっとお兄ちゃんのこと見守ってるから。お兄ちゃんは多分わたしのこと忘れちゃうけど……それでも、ずっと見守ってる。だから、約束ね。さっき言ったこと、ちゃんと守ってね」


「…………ああ、約束する。おまえが望むことは、できるだけ叶えてやりたいからな」


「じゃあ、指切り」


「……ああ」


 二人が指切りをして、その指を離したとき。

 兄の視界は唐突にブラックアウトして、何も見えなくなってしまう。


 最後に声が聞こえた。


――――バイバイ。にぃに、大好きだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る