26 灯り

 土曜日の昼下がり。

 休日でいつもより賑わうはずの喫茶オータム・ムーンの入り口には臨時休業の紙が貼り出されている。

 理恵が思い出のこの場所で三人での話し合いの場を設けたいと佳織の父親に相談したところ、即答でその日は貸し切りにするとの返事がもらえた。


「よし」


 店の前で、理恵が気合いを入れる。


「仲直りできるといいですね、セリー」


 その隣にはマリエルがついている。もしも今日、佳織を救えたとして、その時に天使化の反動で理恵の体に何があるかわからないからだ。

 マリエルは水を差さないようにと霊体化しているため、理恵以外には見えないし、声も聞こえない。


「ありがと、マリー。わたしが親友を救うところをバッチリ見届けて天界に報告してよね?」


 理恵は口ではそう言ってみせるが、内心は緊張で吐きそうになっていた。

 この機会を逃したら、おそらくもう二度と三人の絆を取り戻すことはできないだろう。

 全部自分に懸かっている。大丈夫だ、あの二人が反発することなんて良くあることだった。そのとき、間を取り持つのは昔から自分の役割だったと、自分に言い聞かせる。


 理恵は意を決して、店の入り口のドアを開けた。


 その目に飛び込んできたのは、派手に装飾された店内だった。目立つところに、『祝・仲直り記念パーティー』と書かれた大きな横断幕が飾られており、テーブルには豪華な料理やケーキが並べられていた。


「…………」


 理恵の空いた口が塞がらない。


「おう、来たか理恵! 今日はめでたい日だ! じゃんじゃん食って、じゃんじゃん飲んでくれ!」


 佳織の父親である喫茶店のマスターが上機嫌で理恵を迎え入れる。

 奥のカウンター席では、光がこれまた上機嫌そうにギターを弾き、オリジナルソングを歌っていた。


「今日は記念日ー、三人のー、新たな始まりの日さー」


「…………」


 目の前の光景に圧倒されてしまい、まだ固まったまま動けない理恵に、綾香が申し訳なさそうに声をかける。


「ご、ごめんね、理恵ちゃん……あなたたちが仲直りするかもって話を聞いたら、父さんも光も張り切っちゃって……」


「ま、まだ仲直りできるって決まったわけじゃないんだけど……」


「なにぃ!? おまえら今日仲直りするんじゃねぇのかよ!?」


 マスターが心底驚いたという風に言う。


「い、いや、するかもしれないけど、話の方向次第じゃどうなるかもわからないし……」


「理恵、おまえがそんな弱気でどうする。今日この場がどうなるかは、おまえの働きに全て懸かってるんだぜ」


 光はそう言うが、それをわかってるのなら、もう少し空気を読んでくれと理恵はげんなりした。


「そうだぞ。おまえらが、これで仲直りしなかったら、ここまで用意した俺たちがバカみたいじゃねぇか」


 光の言葉にマスターも乗っかってくる。


「みたいじゃなくて、既にバカでしょ……」


 ついさっきまであんなにシリアスな気持ちで意気込んでいたのに、バカ二人に台無しにされたと理恵は怒りを通り越して呆れ果てた。


「藍子はまだ来てないの?」


「ええ、藍子ちゃんはまだね。お姉ちゃん、藍子ちゃんにも早く会いたいわぁ。おっぱい大きくなってるかしら?」


 綾香がにこやかに微笑み、両手をわきわきさせる。

 しまった、ここにもバカがいたと理恵は頭を抱えた。


「か、佳織は?」


 秋月家でただ一人の常識人の姿を探すが、店内にはその姿が見えない。


「ふっ……我が家のお姫様は、この記念すべき日に備えて裏でドレスアップ中さ」


 光がいつものようにニヤッと笑う。

 ああ、佳織可哀想に。このバカたちに無理矢理何かしらの衣装を着させられてるんだろうなと、理恵は同情した。


「愉快なご家族ですねぇ」


 マリエルが至極もっともな感想を述べる。理恵も今日だけはマリエルに同意せざるを得なかった。


「でも、魂を見る限り、みなさん良い人しかいません。いいご家族ですね、セリー?」


「まあ、そうなんだけどさ……」


 他の人間に気づかれないよう、小声でマリエルに相づちを打つ。


 そうこうしてるうちに、少し遅れて藍子がやって来た。


「お邪魔しま――――」


 理恵と同様に、店内の様子を見て藍子が固まる。


「おう、久しぶりだな藍子! 今日はおまえの好きなケーキやパフェも死ぬほど用意してるぜ! 死ぬほど食ってけよな!」


 マスターが意気揚々と藍子に声をかけるが、藍子はまだ固まったままだ。

 そんな藍子の背後に綾香が忍び寄り、理恵が前回されたのと同じように、藍子の胸を鷲掴みにする。


「だーれだ!」


「はひぇ!? あ、綾香! こら、やめ!」


 それにより藍子が我を取り戻し、綾香を振りほどこうとジタバタもがく。


「ほほぅ、けしからん、けしからん乳だなぁ藍子ちゃん、佳織や理恵ちゃんよりも大きいなぁ」


 藍子が必死に綾香の魔手から逃れようとするが、綾香は変態親父のようなことを言って藍子の胸を揉むのをやめない。


「やめれ」


 理恵が藍子の胸に夢中になっている綾香の頭にチョップをして、藍子を救い出す。


「うー、理恵ちゃんひどいわ……せっかく藍子ちゃんと揉ミュニケーション取ってたのに……。あ、理恵ちゃんより大きいって言ったから、嫉妬しちゃった?」


 どうやらあれは、綾香流のコミュニケーションの一種で、揉ミュニケーションというらしい。


「んなわけあるか! あや姉、わたしのときもそうだけど、久々の再会で胸を揉むなっつーの!」


「あ、ああ、理恵もやられたんね……」


 落ち着きを取り戻した藍子が再度店内を見渡して、大きくため息を吐く。そして、呆れたような怒ったような、低めのテンションで一言。


「なに、これ」


 と言って秋月家の面々を睨む。


「無論、おまえたちの仲直り記念パーティーさ!」


 藍子のテンションなどお構いなしに、光がギターをハイテンションにかき鳴らす。


「ご、ごめん藍子……まさかこんなことになるとは思ってなくて……」


 何故かまったく関係のない理恵が謝るハメになってしまった。


「り、理恵が謝らないでよ。どうせ主犯はあいつとあいつでしょ」


 そう言って、藍子がマスターと光を指差す。


「ご明察。さすが藍子、よくわかってるじゃないか」


 光は何故か誇らしげだ。


「……緊張してたあたしがバカみたいだわ」


「それね。わたしも同じこと思った」


「さぁさぁ、二人とも座って座って。もうすぐ佳織も準備できると思うから」


 綾香が二人の手を引き、テーブルまで誘導する。


「佳織の準備って?」


 二人が並んでテーブル席に座ると、藍子が理恵に問いかけてくる。


「さあ……。なんか衣装を着させられてるらしいよ……可哀想に……」


「ああ、そういうこと……」


 この現状を見て、流石に藍子も佳織に同情をした。佳織の性格を考えると、きっとこんな風に盛り上げられるのは嫌だったはずで、佳織は必死に止めたのだろうが、暴走した父と兄は止まらなかったのだろう。バカだから。

 そして佳織も押しに弱いから、まんまと用意された衣装を着させられているのだろう。可哀想に。


「お、佳織の準備ができたようだな。さあ皆さん、本日のメインゲスト、秋月家のプリンセス、佳織の登場だー! 盛大な拍手でお迎えください!」


 光がギターでノリノリのBGMを演奏しながら言う。マスターと綾香もノリノリに拍手をして、指笛などを吹いたりしているので、理恵と藍子も呆れながら仕方なしに拍手をした。


「本当にやめてよ……もう……」


 心底嫌そうに涙目で登場した佳織の姿に、理恵も藍子も目を丸くする。

 佳織は何故かミニスカメイドの衣装を身に纏っていたからだ。


「佳織、超絶に可愛いぜ……流石俺の娘だ……」


 マスターは何故か涙を流しながら、嬉しそうにうんうんと頷いている。こいつ親バカだ、いや、ただのバカだ理恵と藍子は思った。


「いいぞ佳織。まさに萌えだ。絶対領域が眩しいぜ!」


「お兄ちゃん、うざい! 気持ち悪い!」


「ぐはっ」


 囃し立てる光を、佳織がグーで殴って黙らせた。

 それから心底申し訳なさそうに、気まずそうに、理恵と藍子の席までやってきて、うつむきながら二人の正面に座った。


「……本当ごめん、こんなんで」


 こんなんとは、店の装飾のことか、自分の格好のことか、はたまたその両方か。

 うつむいたままの佳織は、今にも泣きそうだ。


「あ、あー、か、佳織が悪いわけじゃないから……ね、藍子?」


「え、あ、うん、そ、そうね……」


 何故か理恵と藍子まで気まずくなってくる。

 これで仲直りに失敗したらこの家族を末代まで呪ってやると理恵は決心した。


 三人はそれからしばらく、何も話せずに固まってしまった。

 秋月家の家族も、先ほどまでの盛り上がりが嘘のように静かに見守っている――ということもなかった。


「なんかシリアスなBGMいるか?」


「いらんわバカ」


 光がギターを弾こうするのを、理恵が罵って止める。


「理恵、藍子……来てくれて、ありがとう……」


 最初に口を開いたのは、佳織だった。


「うん」


「…………」


 理恵は頷き、藍子は黙ったままで佳織の言葉を聞いている。


「本当はずっと、謝りたかった。全部わたしのせいで、こんなことになっちゃって……ごめんなさい……」


 佳織が二人に頭を下げる。


「違うよ佳織。藍子とも話したけど、誰が悪いとかじゃないんだよ。強いて言うなら、今回のことは全員が悪かったんだと思う」


「全員が……?」


「わたしにあの時、佳織を止められる勇気があれば良かった。佳織に拒絶され続けても、諦めない根気があれば良かった。……ごめんね」


 理恵が頭を下げる。


「……あたしも、自分の弱さのせいで、佳織のことばかり責めてた……ごめん……」


 理恵に続いて、藍子も頭を下げる。


「さて、みんな謝ったところで、合言葉言ってみよっか!」


 しんみりした空気を断ち切るように、理恵が言う。


「藍子の"あ"は?」


 理恵の問いかけに、藍子が答える。


「ありがとうの、"あ"。感謝の気持ちを……忘れない……。佳織の"か"は……?」


 今度は藍子が佳織に問いかける。


「……寛容の"か"。何かがあっても、寛容に許し合おう……。理恵の"り"は?」


 最後に、同じように佳織が理恵に問いかけた。


「理解の"り"。わたしたち三人、理解し合えるように努力しよう。合わせて」


「「「あかり」」」


 三人の声が重なる。


「この合言葉は灯りになって、わたしたちの友情をずーっと照らし続ける」


 理恵が最後に締めくくり、その直後に少し恥ずかしそうに笑う。


「あはは……今やると結構恥ずいね、これ」


「ま、まあ、小学校の低学年のときに決めたやつだしねぇ」


 藍子も同じ気持ちなのか、照れ臭そうに、やや顔を赤くしている。


「でも……わたしは、すごく……嬉しい……」


 これまでをずっと孤独に過ごしていた佳織だけは、素直に感動して泣いていた。


「佳織、やだ、泣かないでよ、もう……あたしまで泣いちゃうじゃん……」


 佳織につられて藍子も涙が止まらなくなる。


「これからはまた、みんな一緒だよ」


 理恵は穏やかに笑って、泣いている二人をいっぺんに抱きしめた。

 理恵の瞳からは涙は出なかった。それ以上に、やり遂げたという喜びと、達成感に包まれていたからだ。


 佳織と藍子。二人を救ったことにより、茜を救ったときと同じように、理恵の体が淡い光に包まれる。


 これで、三人。


「なっ、なになに? り、理恵、光ってるよ?」


 佳織が驚き、声を上げる。

 秋月家の面々も、我が目を疑うように光に包まれている理恵を凝視する。


「友情の光だよ。あはは、隠し芸隠し芸。服の中にライト仕込んでたんだ」


 理恵が笑って誤魔化す。

 幸い、天使化の反動はすぐには来ないようだった。前回もそうだったが、おそらく少し時間を置いてから来るのだろう。


 その後、店内は飲めや歌えやのお祭り騒ぎになり、三人を盛大に祝って、大いに盛り上がった。


 皆が楽しそうに笑っている中、マリエルだけがその光景を悲痛そうに眺めていた。

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