22 回想Ⅱ

 翌日の朝、ホームルームが始まる前の教室で理恵はその件を藍子に相談した。


「はあ? 佳織が? 見間違えじゃないの?」


「違う……本当に佳織だった……すごく怖かった……」


「佳織がそんなことをするはずないって。……あたし、直接佳織に聞いてくる」


「あ、藍子、待って!」


 藍子は理恵の制止も聞かず、そのまま佳織の席まで行ってしまう。


「佳織」


「なに? どうしたの藍子、そんな怖い顔して」


心なしか、佳織の表情に元気がないように見える。


「理恵が、その……あんたが人をいじめてたって言ってるんだけど……そんなわけないよね?」


 佳織の心がざわつく。まさか、見られていたなんて。それも、よりにもよって理恵に。


「わ、わたしが? 理恵の見間違いだと思うよ?」


「だよね? 信じるからね?」


 その言葉に、佳織の胸が痛むが、友達を失いたくない一心で、佳織は藍子に嘘をついた。


「当たり前。わたしが、そんなことするように見える?」


 そこまででやめておけばよかったのに、動揺していたからか、佳織は余計なことまで口にしてしまう。


「きっと理恵の見間違いか……それか、理恵、嘘ついてるんじゃない?」


 自分が嘘をついてることがバレないように、理恵が嘘をついてるのだと言ってしまった。結果として、この発言が後々になって三人の友情に亀裂を走らせることになった。


「そっか……理恵、どうしちゃったんかな……何でこんなこと言い出したんだろ……」


「さあ……何かあったんじゃないかな。ほ、ほら、理恵が心配そうにこっち見てるから、戻ってあげた方がいいんじゃない?」


「いや、でもなぁ……理恵がそんな嘘ついてたなんて知っちゃったら、どう接したらいいのか……」


「とりあえず普通にすればいいのよ。理恵にもなんか事情があるんだと思う。そういう時こそ、わたしたちが助けてあげなくちゃでしょ?」


「んー……そっか、そうだね」


 納得して、藍子が理恵のところへと戻っていく。佳織は嘘がバレなかったことに安堵したが、それ以上に嘘をつき通してしまったことへの罪悪感を大きく感じていた。挙げ句の果てに、理恵のことを嘘つきに仕立て上げてしまった。どうして素直にいじめられていて、その仕返しにああしていたのだと言えなかったのだろうと泣きそうになる。


「あ、藍子……佳織は?」


 理恵がおずおずと藍子に問いかける。


「んー、やっぱり理恵の見間違いだよ。佳織はそんなことしてないってさ」


「そう、なのかな……」


 そうキッパリと言われると理恵も自信がなくなってきて、本当に見間違いだったような気さえしてきた。


 朝のホームルームが始まり、その後佳織が先生に呼び出された。数人の女子が、ひそひそと話をしているのが理恵と藍子の耳に入る。


「やっぱ昨日のことが……」


「今日相原休んでるしね……秋月にやられすぎて病院行ってるんじゃない?」


「やばがったもんねー……突然キレちゃって……」


「知ってる? 秋月の親父って元ヤンなんだって」


「知ってる知ってる、血は争えないんだねー」


 その一団がどっと笑いに包まれる。


 内容を聞いていた理恵が我慢できなくなり、一言注意しようとしたとき、それよりも先に藍子が動いていた。


「あんたたち、何か知ってんの?」


 突然藍子が輪に入ってきたことにより、その女子たちが怯む。


「な、なによ伊崎」


「いやー、あたしの親友の悪口が聞こえたもんでさ。混ぜてもらおうと思ってさ?」


 そう言いながら、一団の一人の机に座り込む。


「そういや相原休んでるね。で、それに佳織が関係してるって?」


「そうよ。あたしら全員見てたんだから、秋月が相原をボコボコにしてるところ」


「嘘つかないでよ。おまえらならまだしも、佳織がそんなことするわけないだろ」


 藍子が睨みつけるが、相手も引かない。


「う、嘘じゃないわよ!」


「そうよ、マジ怖かったんだから。相原のこと殺すんじゃないかと思った」


「それ以上言うなら――」


「ひっ」


 藍子が一人の女子の胸ぐらを掴み、握り拳を作ったとき、それまで黙っていた一人が口を開く。グループの中のボスだった。


「伊崎さぁ、あたしらのことは別に信じなくてもいいよ。でも、芹沢のことなら信じられるんじゃない? 見たはずだよ、あいつも」


 そいつが、顎で理恵を指した。昨日理恵は、校舎裏に向かう途中、そのグループとすれ違っていた。

 たしかに、彼女たちの証言は、理恵が言っていたことと一致している。


「ねぇ、芹沢? あんた、あの後校舎裏に行ったでしょ?」


「……わ、わたしは、その……」


 突然話を振られて、理恵は怯えた。この騒動を今やクラス中が注目している。肯定すれば佳織を貶めることになるし、否定すれば嘘をつくことになる。他の誰に嘘をついても構わないが、親友の藍子にだけは嘘をつきたくないと、理恵が葛藤する。


「見たよね? 秋月が相原を殴ってるところを」


「……り、理恵? 違うよね? こいつらが、嘘ついてるんだよね?」


 藍子がすがるように理恵を見る。理恵は迷ったが、やはり藍子には嘘をつきたくないと、首を横に振った。


「藍子……その子たちは、嘘はついてない……」


 理恵の言葉に、藍子は信じられない、いや、信じたくないというように目を大きく見開いた。それから、相手の胸ぐらを掴んでいた手が力なく離れる。


「伊崎、謝れよ。あたしらのこと嘘つき呼ばわりして、手まで出そうとしたんだからさ」


 意気消沈している藍子に、ボスの女子が追い打ちをかける。


「…………ごめんなさい、あたしが悪かった」


 藍子は素直に謝って、そのままとぼとぼと教室を出て行ってしまった。理恵が慌てて追いかけようとすると、ボスに声をかけられる。


「芹沢、サンキュー助かったわ」


「……っ」


 別におまえらを助けたわけじゃないと、藍子はグループの女子たちを睨みつけて、走って藍子を追いかけた。


「おー怖」


「ていうか、あいつら感じ悪くない?」


 背後からそんな声が聞こえてきたが、無視して教室を飛び出した。



 藍子は絶望していた。


 佳織が嘘をついていたこと。そして、その嘘を信じ、一時でも理恵を疑ってしまったことで、自己嫌悪に苛まれる。


 嘘をついた佳織は許せない。でも、それ以上に、理恵を疑った自分が許せなかった。

 親友に裏切られて、自分自身も親友を裏切った。


「裏切り者だ……あたしも佳織も……」


 藍子が一人そう呟いていると、後ろから走ってくる足音が聞こえてくる。


「藍子!」


「理恵……」


 藍子が振り返る。その今にも泣き出しそうな顔に、理恵は驚いた。今まで藍子がそんな表情を見せたことは、これまで一度もなかった。


「……佳織にも、その……なんか、そうしなきゃいけなかった理由があったんだと思う……」


「それなら、どうしてあたしたちに話してくれないの? どうしてあたしに嘘ついたの?」


「それは……わたしにはわからない……ごめん……」


「親友だって思ってたの、あたしだけだったのかなぁっ……」


「違う! わたしは、藍子も、佳織も、親友だと思ってる!」


 その言葉に、藍子の自己嫌悪がさらに増していく。理恵は自分のことをずっと信じていてくれていた。信じて佳織のことを相談してくれた。それなのに、自分は理恵を信じることができなかったのだ。


「理恵、ごめん、ごめんね……」


 泣きながら謝罪の言葉を口にする藍子の手を理恵が握る。


「……藍子は何も悪くない。謝ることなんか、何もない」


 あるんだ。あたしは理恵を疑った。藍子はそう思ったが、それを言ったら理恵に嫌われてしまうかもしれないという恐怖から、ただ泣き続けることしかできなかった。


 ――やっぱりあたしは、裏切り者で、そのうえ卑怯者だ。


「理恵……あたし、あんたのことだけは、これから何があっても信じるから……」


「当たり前だ。わたしも、藍子ことずっと信じる」


 その日、藍子はそのまま早退して、しばらく学校を休んだ。


 後日、いじめの問題は露呈して、クラスで帰りのホームルームを延長しての大会議が開かれた。


 そこで主犯格として挙げられたのは例の女子グループと、佳織だった。佳織は被害者でもあったと説明はされたが、相原菜々美に怪我をさせたこともあり、いじめ問題の加害者としてもクラス全員の前で、女子グループと一緒に謝罪させられた。


 それから、佳織はクラスで孤立していった。誰も佳織に近寄ろうとしないし、佳織の方からも周りを遠ざけているようだった。


 藍子は佳織に対して怒っていた。いじめられていたことを相談してくれなかったこと、そして嘘をついて、あまつさえ理恵を嘘つき呼ばわりしたことに。そういった理由から、藍子が佳織に話しかけることも、あの日以来一切なくなっていた。


 理恵はそんな状況をどうにかしたいと、二人を仲直りさせようと何度も試みたが、お互いに壁を作ってしまっていて、どうにもできなかった。


 ある日、理恵が一人で佳織を遊びに誘ったこともあった。


「佳織」


「……なに」


 話しかけるなオーラ全開で佳織が返事をする。


 佳織としては、クラスで浮いてしまった自分に関わることで理恵や藍子に迷惑をかけたくないという思いが強く、そういう態度になってしまうのだった。


「今日、家に遊びに行ってもいい?」


「……なんで」


「な、なんでって……友達の家に遊びに行くのに、理由がいる?」


「……もうわたしに話しかけないで」


 その後もめげずに何度も話しかけてはいたのだが、いつもこのように佳織に拒絶されてしまって、それからどんどん理恵と佳織は疎遠になっていった。


 佳織は、本当はまた昔と同じように、理恵や藍子と三人で遊んでいたかった。でもそれは許されない。二人を裏切って、嘘までついた自分への罰なのだと、佳織は自分に言い聞かせて、そのまま一人ぼっちになっていった。

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