21 回想

 秋月佳織は、昔から優等生だ。真面目で授業もしっかりと受け、忘れ物もしたことがない。

 小学生のころ。まだ藍子や理恵と親友だったころ、佳織は不真面目な藍子を注意したり、気弱な理恵を引っ張っていったりしていて、三人の中ではしっかり者のお姉さんのようなポジションだった。


 これは、そんな佳織が今まで生きてきて、一番楽しかった日々のこと。


「佳織ー、宿題写させてちょー」


「藍子……また? もう、宿題は自分でやらないと意味ないんだよ?」


「わかっちゃいるんだけどさぁ、ついつい忘れちゃって」


「はぁ、仕方ないなぁ……」


 佳織は渋々といった様子で算数のノートを藍子に渡そうとする。そんな二人の様子を見て、理恵がボソッと呟く。


「佳織が甘やかすから、藍子はいつまでも宿題をしてこないんだと思う」


 その言葉に、ノートを渡そうとする佳織の手がピタッと止まる。


「た、たしかに、一理あるかもね」


 何だかんだ言いつつも、佳織は毎回藍子に宿題を見せてしまっていた。これでは本当の意味で藍子のためにならないのかもしれないと考え直す。


「こら、理恵! 余計なこと言うなっての!」


「藍子は一回先生に怒られた方がいい」


「なんだとー、そんなひどいこと言うのはこの口かこの口かー!」


 藍子が理恵の両頬をつまみ、横にぐにーっと引っ張る。


「いひゃい、いひゃい」


「もう! 理恵が可哀想でしょうが! やめなさい!」


「じゃあ宿題見せてくれる?」


「わかったわよ……でも今回が最後だからね、はぁ……」


 佳織はため息を吐きながら、藍子に算数のノートを渡す。


「サンキュー、愛してるよん、かおりん」


 藍子が意気揚々と宿題を写し始めるのを、理恵が呆れた顔で見る。


「佳織、この前も今回が最後って言ってた」


「うぅ……理恵、わたしもダメだってわかってるのよ……」


「佳織は甘いからねー。将来男をダメにするタイプだね、きっと」


「藍子、それが宿題を見せてもらってる立場で言うこと?」


 藍子の失礼極まりない発言に、流石に佳織が腹を立てる。


「友達ってのは、いつも対等な立場で発言するものだよ、かおりん」


「宿題写してる奴は、立場としては下等だと思う」


 理恵の冷静なツッコミに、藍子が悪そうに笑って返事をする。


「理恵ー、またほっぺた引っ張るよー」


 理恵がサッと佳織の後ろに隠れる。


「こーら、理恵をいじめないの」


「えー、今のはあたしの方がいじめられてたよ。下等って言われたんだよ。下等ってひどくね?」


「事実じゃんバーカ」


 理恵がべーっと舌を出す。


「よーし、おまえはくすぐりの刑に処す!」


 藍子が理恵を捕まえようと手を伸ばすが、理恵は佳織の体を壁にして回避した。理恵はそのまま廊下へと逃げ出し、二人の追いかけっこが始まる。


「こら二人ともー! 廊下を走らないの!」


 こんな三人での楽しい日々が、いつまでも続くと思っていた。




◇◆◇




 ある日の放課後。佳織は忘れ物を取りに教室に戻った際に、偶然にも自分のクラスのいじめの現場に遭遇した。三人の女子が、一人の女子を囲んで暴行していた。


 いじめられていたのは、相原菜々美あいはらななみという女子生徒で、大人しくいつも一人で本を読んでいるような子だった。

 優等生で正義感の強い佳織は、当然放っておくことなどできず即座に止めに入り、ひとまずその場は収まったのだが、佳織がいじめの標的にされるまでそう時間はかからなかった。


 物を隠され、陰口を言われ、時には呼び出されて直接的な暴力を受けることもあったが、佳織は周りに心配をかけたくないという気持ちが強く、友達にも家族にも相談できないでいた。


 みんなといる時、表面上はいつも通りに笑っていたが、佳織の心は擦り切れていて、一人で泣くことも増えていた。


 でも、自分がいじめのターゲットになったことによって、相原さんは助かったんだ。わたしは正しいことをしている。その気持ちだけが佳織の心を支えていた。


 ある日、佳織がいじめっ子数人に校舎裏に連行されたときだった。いじめから助けたはずの相原菜々美が、そこにはいた。


「相原さん……どうして?」


 佳織はわけがわからないまま、数人に羽交い締めにされる。


「秋月さん……ごめん!」


 かつて助けた相原が、謝りながら佳織を殴ってきた。彼女は佳織のいじめに、いじめる側として加わってきたのだった。


 彼女にも何か事情があるのかもしれないと佳織は考えた。だが、それと同時に佳織の心を支えていた何かが、音を立てて壊れた。


 人間なんてこんなものか。自分の保身のために平気で他人を陥れるんだ。それなら、わたしもそうなればいい。


 佳織は怒り狂った。拘束を力づくで振り払い、かつては助けた相原を、徹底的に痛めつけた。馬乗りになり、何度も何度も顔や体を殴りつけた。


 他のいじめっ子たちはそんな佳織に恐怖し、散り散りに逃げていった。


 やめて、お願い、許して、ごめんなさい。佳織が殴っている間、相原は泣きながらそんなことを叫んでいたが、頭に血が上っている佳織の耳には届いていなかった。


 その現場を、理恵が見てしまった。人の泣き声がすると思って校舎裏にやって来たら、佳織が見たこともない形相でクラスメイトを殴りつけてる現場に遭遇してしまった。

 理恵にはそんな佳織を止める勇気がなく、その場から逃げ出してしまった。

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