18 二人の時間

 ハンバーグを焼きながら、理恵はこれからどうすべきかを考えていた。まさか茜の想い人が自分の兄だとは思わなかった。


「兄さんってさぁ」


 隣でキャベツを刻んでいる兄に声をかける。


「んー?」


「モテる?」


「おい、それは俺が彼女いない歴イコール年齢だと知っての質問か?」


「まあモテるわけないよねぇ」


 身内から見ても兄は特段モテるタイプには見えない。顔は悪くはないけど良くもない。特にこれといった特技があるわけでもない。


「おまえは兄ちゃんを泣かせたいのか?」


「そういうわけじゃないんだけど。彼女欲しいなーとか思ったことないの?」


「ないな」


 即答だった。


「というのは強がりで、本当は?」


「ない。俺はおまえが幸せなら、それだけでいい」


 サラッと恥ずかしいことを言ってのける兄に理恵が引く。


「やっぱりキモいな、こいつ……。マリーにくっつかれて鼻の下伸ばしてたくせに」


「あ、あれは仕方ないだろ! 俺だって一応は男なんだから、いきなりああいうことをされると、その、照れるんだよ! ……ちょっと前まではそんなこと言う子じゃなかったのに……兄ちゃんは悲しいよ。反抗期なんだろうか」


 兄の言う通り、天使の記憶が戻るまでの理恵はいつも兄にべったりだった。お兄ちゃんお兄ちゃんと後ろをくっついて歩き、間違ってもキモいなどと言うことはなかったし、思ったこともない。


 十四年間、人間として生きてきた芹沢理恵に三百余年を生きた天使セリエルの記憶と人格が混ざったことにより、今までより少し引き気味に兄を見てしまうようになっていたのだった。


 無論、人間の理恵としての人格や記憶が失われたわけではないので、兄のことを好きなのには変わらないが、時折それ以上にキモいと思うようになってしまった。


「兄さんさぁ、そろそろ彼女作った方がいいと思うよ、マジで」


 少しでも茜の可能性を広げるため、その方向で話を進めようと理恵が画策する。


「そういうのは、おまえが無事に結婚して幸せになってからだな」


 兄の発言に理恵が頭を痛める。この人はわたしが天使だということを忘れているのだろうか。


「わたしは結婚しないっての。そのうち天使として天界に戻るんだから」


「え? そうなのか?」


 初耳という風に兄が言う。


「そうだよ。人を三人救ったら天使に戻れるって話忘れた?」


「それは聞いた。天使に戻っても、そのままここにいればいいんじゃないか?」


「……あー」


 その発想は理恵にはなかった。何故なら天使は仕事のために各地に派遣され、一箇所に留まるということがないからだ。


「いや、無理だよ。天使は仕事で色んなところに行かなくちゃだし、本来こんなにがっつり人間に干渉できないし」


「じゃあおまえ、天使に戻ったら消えるのか?」


「まあ……そう、なるね」


 理恵は今まで深く考えていなかったが、つまりそういうことだ。天界に戻ったのなら、兄とも、藍子とも、茜とも、今後一切関わることはなくなるだろう。

 感傷はある。だが、それ以上に、魂に刻み込まれた天使としての使命感とでも言うべきなのか、誰かを救わなければという気持ちの方が勝っている。


「……それは寂しいことだな。やめるわけにはいかないのか、それ」


「わたしは、天使だから」


「でも、俺の家族でもある。取り残される人間の気持ちはどうなる?」


「それは……」


 そんなことを話しているうちに、ハンバーグが焼きあがったため、コンロの火を止めて、理恵が続きの言葉を口にする。


「……わたしは、兄さんの気持ちの問題もちゃんと解消したうえで天界に帰るから、安心して」


「……そうか。それが今のおまえの望みなんだな。なら、俺は応援するよ」


 兄は寂しそうに、でもそれ以上に優しく笑って、そう言った。


「ありがとう。……わたし、やっぱり兄さん……ううん、お兄ちゃんのこと、大好きだよ」


 理恵が兄に後ろから抱きつく。変わってしまった今の自分をも受け入れてくれる兄の言葉が嬉しかったのに加えて、二人きりだからということもあり、少しだけ昔のように甘えてみたくなった。


「俺はおまえが幸せなら、それだけでいい」


 先ほどはキモいと否定したその言葉は、今度は何故か理恵の心に素直に染み渡った。


 ――ああ、本当にこの人は、いつだってわたしに優しい。


 離れたくない。でも自分は天使で、兄は人間だから、いつか別れの時は必ず来る。だからそれまでは、たまにこうやって甘えさせてもらおう。

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