14 喫茶オータム・ムーンにて

 茜が恋に落ちたあの日から数日後、茜から理恵に連絡がきた。どうやら今日は生徒会の仕事も塾もなく、放課後から完全に空いているとのことだった。


 理恵は茜の抱えていた苦悩を自分の兄が既に解消してしまっていることも、茜が自分の兄に恋をしていることも知らず、頑張って茜を救おうと張り切っていた。


 放課後、二人は校門前で合流した。


「先輩、連絡くれてありがとうございます」


「当たり前だよ。連絡するって約束してたもの」


 二人揃って歩き始める。茜は特別身長が高いわけではないが、理恵が小柄であるため、二人が並ぶと姉妹のようにも見えた。


「どこ行きましょうか?」


「うーん、多分ゆっくり話せるところがいいよね?


「そうですね。どこかいいところあります?」


「生徒会の後輩の家がね、喫茶店やってるの。そこなら落ち着いて話せると思うんだけど、どうかな?」


「喫茶店ですか……えーと……」


 理恵が財布の中身を確認する。最近マリエルにお菓子をねだられることが多く、金欠気味なのであった。


「あ、お金のことなら気にしないで。わたしが出すから」


「え、えぇ……それは流石に悪いですよ……」


「いいの。わたしが悩みを相談する立場なんだから、それくらいさせて?」


「うーん……じゃあ、お言葉に甘えます。あ、もしかして、悩み見つかったんですか?」


「え!? え、えーと、あのー、うーん」


 相手が天使とはいえ仮にも後輩に、恋で悩んでいるなんてことを言っていいのだろうかと茜が考える。


「悩みが見つかったというか、新しく生まれたというか……」


「そうだったんですね。任せてください、この天使セリエルが必ず解決してみせます!」


 理恵がえっへんと胸を張る。


「あ、ありがとうね。……お店に着いたら、言うね」


 茜は一人でずっと悩み続けるのも、もう限界に近いし、この際思い切って相談してみようと思った。


 茜の言う後輩の家がやっている喫茶店までの道のり。それは何故か理恵もよく知っている道だった。もしかしてあの店だろうか。それだと理恵にとっては少し、いや、かなり気まずい場所になる。


「あそこだよ」


 茜が指差す建物を見て、理恵はやっぱりかと少しだけ苦い顔をする。


 喫茶オータム・ムーン。四人掛けのテーブル席が六つとカウンター席が五つの、個人経営の小さな喫茶店だ。理恵は小学六年生の途中まで、藍子と毎日のようにここに遊びにきていた。


 理恵は店に入るのを少し躊躇ったが、茜が先に入っていってしまったので、仕方なく後を追うことにする。

 店内にはテーブル席に常連客と思しき年配の男が一人本を読みながらくつろいでいるだけで、他に客の姿は見えない。


 茜と理恵は入り口から最も離れている席に座った。


「ここはね、コーヒーも美味しいんだけど、紅茶も絶品なんだよ。芹沢さんはコーヒー派? 紅茶派?」


「紅茶です」


「そっかー、わたしも紅茶派なんだ。好きな茶葉ってある?」


「えーと、いくつかありますけど……一番はダージリンですかね?」


「おぉぉ、わかってるねー」


 茜のテンションが上がる。思い返すと、こんな他愛もない話を同年代の女子とするのは随分と久しぶりな気がする。


「へい、いらっしゃい」


 二人が話していると、喫茶店のマスターが八百屋のような声がけをしてくる。このおじさんも変わらないなと理恵は思う。


「マスター、こんにちは」


「おう、茜っちは今日も勉強か? 偉いもんだなぁ。うちのバカガキどもにも見習ってほしいもんだぜ、ったく」


 茜っちって何だよと理恵は内心ツッコミを入れるが、マスターとは顔を合わせにくいので、できるだけ顔を見られないようにと、うつむき気味になる。

 思えば、この店はお茶も軽食も美味しいのに昔からあまり繁盛していないのは、この自由すぎるマスターにも原因の一端があるんじゃなかろうか。


「そんで、こっちは? ん? んんんん?」


 マスターがうつむき気味の理恵の顔を覗き込んでくる。咄嗟に顔を逸らすが、時すでに遅し、バレてしまった。


「おい、おまえ理恵じゃねぇか! 久しぶりだなぁ、元気にしてたか?」


「あ、あはは、久しぶり、おじさん」


 観念して顔をあげた理恵が苦笑する。


「芹沢さん、ここ来たことあったんだ?」


「ま、まあ、昔ちょっとだけ……」


「ちょっとだぁ? 藍子と毎日来て店を荒らしまくってたじゃねぇか、はっはっは!」


 マスターは嬉しそうに笑うと、ポケットから煙草の箱を取り出してそこから一本取り出し、火をつけた。


「おじさん、昔からそうだけど、接客中に煙草はどうかと思うよ」


「いいんだよ、ここは俺の城だ。これが嫌な奴は帰れ帰れ」


 マスターがしっしっと手を払う。この店よく今まで潰れなかったなと理恵は心底思った。


「ところでよ……ここに来たってこたぁ、佳織とはもう大丈夫なのか?」


 佳織とはマスターの末の娘で、理恵や藍子と同学年だ。


「いえ……そういうわけでは……」


「え? 芹沢さん、秋月さんと友達だったの?」


「い、いえ、それは……」


 二人からの質問はどちらも答えにくいもので、理恵がしどろもどろになる。


「……そうか。悪いな、嫌なこと思い出しただろ。詫びに今日はタダにしてやる。二人とも何でも好きなもん頼め」


「え? え? いいんですか?」


 事情を飲み込めてない茜がうろたえるが、理恵はお構いなしに注文し始める。


「じゃあ、チョコスペパ。それとダージリンのストレートお願い」


 チョコスペパとはチョコスペシャルパフェの略で、通常の三倍のサイズを誇るもので、価格は通常の二倍する。


「じゃ、じゃあ、わたしは、レアチーズケーキと、ダージリンのストレートでお願いします」


「あいよ。ちょいと待ってな」


 マスターは注文を取ると、カウンター内の厨房へと戻っていった。


「…………」


「…………」


 なんだか気まずい空気が流れる。茜の悩み相談どころではない雰囲気になってしまった。

 茜が理恵に佳織と何かあったのかと聞こうか悩んでいると、理恵の方が先に口を開いた。


「……佳織とは幼馴染で、昔は仲が良かったんです」


「昔はってことは……」


「ちょっと色々ありまして、あはは」


 理恵が気まずそうに笑うので、茜はそれ以上は聞けなかった。


「そ、そんなことより! 先輩の悩みって何なんですか?」


「あ、うー……え、えーっとね……」


 今度は茜が目を伏せて、顔を赤くしながらもじもじとする。


「好きな人ができたんだ……」


 やや予想外の返答に、理恵は少し驚いた。


「へぇ……相手はクラスメイトですか?」


「う、ううん、歳上の人」


「高校生とか?」


「多分、社会人だと思うんだけど……実は名前も知らないんだ」


「しゃ、社会人ですか」


 この悩みの解決のゴールは何になるのだろうか。その相手と付き合うこと? いやいや、それは条例とかそういうものに抵触することになるのではないだろうか。


「えーと、先輩はつまり、その人と、付き合いたいんですか?」


「う、ううん、歳の差がありすぎるし……もしも好きだって伝えても、相手にもきっと迷惑かけちゃうから……」


「うーん、そうですねぇ……どうするのがいいかな……。相手はどんな人なんですか?」


 ただのロリコン野郎であれば全力で止められるのだが、茜が好きになる相手なのであれば、きっといい人なのだろう。


「えっとね……優しくて、あったかくて……わたしを救ってくれた大切な人」


 茜が頬を染めながら、相手のことを思い出して幸せそうに微笑む。その様子を見て、先輩は本当にそいつが好きなんだなと理恵は思った。いや、それよりも茜が聞き捨てならないことを言っていた。


「救ってくれた?」


「うん。この間、苦悩がっていうお話があったじゃない? あれね、多分、その人が解決してくれちゃったんだ」


 茜が照れ臭そうに笑う。


「な、なんてこと……」


 天使である自分が人間に先を越されたことにショックを受け、ズーンとテーブルに突っ伏す理恵。


「わたしは天使なのに……なんでこんな……本業で人間に負けるなんて間抜けすぎるぅ……」


 落ち込んでブツブツ呟いているところで、店員が注文の品を持ってくる。


「お待たせしました。あ、会長、いらしてたんですね」


 突っ伏したままの理恵の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「あ、秋月さん、こんにちは」


 声の主は先ほど話題にのぼっていた秋月佳織だった。理恵は知らなかったが、佳織はこうしてたまに家の手伝いをしているのだった。


「あ、あの、お客様、お品物が置けませんので、お顔を上げていただけると助かるのですが……」


 その言葉に、二人の間に何かがあったことを聞いていた茜はハラハラしたが、理恵は言われた通りに顔を上げた。

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