8 友情の合言葉

 午後の数学の時間、理恵は授業を受けながら、茜の悩み事とはなんなのかを考えていた。

 この年代の女子の悩みと言えば、一番多いのは人間関係であろうか。家族、友人、異性と人間関係にも色々あるが、何にしても情報が不足しすぎている。そもそも悩みが人間関係と決まったわけでもない。


 教壇では教師が三角形の合同条件について話している。三角形……悩みが三角関係の解消とかだと、結構大変だなぁとぼんやりと考える。


 いや、でもそれなら悩みを自覚してるはずだ。見た感じでは自覚のある悩みを抱えているようには見えなかった。そうなると無自覚のもの……無自覚のストレスを抱えていて、その原因を解消することが彼女を苦悩から救うということになるのだろうか。


 苦悩を救う立場であるはずの理恵が、答えが見つからない苦悩に頭を抱える。


「芹沢、どうした? 体調でも悪いのか?」


 頭を抱える理恵を見て、教師が心配そうに声をかける。


「あ、いえ大丈夫です! ちょっと問題が難しくって」


「そうか、わからないところがあったらすぐに聞いてくれよ」


 笑顔ではきはき答える理恵を見て、クラスが多少ざわつく。


「やっぱり芹沢少し変わったよね……」


 囁く声がそこら中から聞こえる。一週間前まで、セリエルの記憶が戻る以前の理恵は引っ込み思案で大人しく、もっとぼそぼそと喋る人間だったためだ。


「彼氏でもできたんじゃない?」


「あー、男の影響? あるかもねー」


 色恋話が大好物の女子たちが好き勝手言っているのが聞こえるが、理恵は気にする素振りもなく、また考え事に没頭する。


 あれこれ考えてはみたものの、結局これといった答えは見つからず、何はともあれ茜と話さないことには始まらないという結論に至ったのが午後の授業が全て終了したころだった。


 ホームルームが終わり、さて茜の教室まで行こうかと席を立とうとしたとき、一人の女生徒に呼び止められる。


「理恵、ちょい待ち」


 呼び止めたのは理恵の幼馴染の伊崎藍子いざきあいこだった。


「藍子? どしたの?」


「あんた彼氏できたの?」


 まさか藍子の口からそんな言葉が出るとは思わず、理恵ががっくりする。


「んなわけないでしょ……。まさかあんたまであんな噂を真に受けたの?」


「んなわけないでしょ、言ってみただけ。でも、ここ最近あんた、ちょいおかしいよ。何かあったん?」


「んー」


 実はわたし天使なんだよねと言おうかとも考えるが、人前で天使とか言うと頭おかしいと思われますよというマリエルの言葉が脳裏をよぎる。


 多少不躾ではあるが、藍子は藍子なりに自分のことを心配してくれてるのだろう。ここで天使とか言い出しても余計に心配をかけるだけだろうと思い、適当な言い訳を考えるが、なかなか思い浮かばない。


「藍子はさ、前世って信じる派?」


 サバサバしてる藍子がそんなものを信じるわけがないと知りつつも、探りの質問入れてみる。


「いんや、まったく。なに? あんた信じる派?」


 信じるというか実際前世があるのだが、藍子にそう言っても信じてもらえるかどうかわからない。引き続き、探り探り会話の方向性を模索してみることにした。


「いやー、あはは。もし、もしもよ? わたしが前世の記憶が戻ってーとか言ったら、どうする?」


「理恵がそう言うなら信じるよ」


 予想外の返答だった。しかも即答で。


「え、な、なんで?」


 ドン引きするわという回答を想定していた理恵は面食らってしまった。


「理恵はさ、昔からあたしに嘘ついたことないじゃん? それに、それならそのキャラの変わりようにも納得がいくし」


「藍子……」


 理恵は思わず感動してしまい、無条件で信じてくれるという藍子の友情に不覚にも泣きそうになってしまった。


「にぃに好き好き大好きブラコン大魔王の芹沢理恵に彼氏ができたってのよりは、百倍信用できるわ」


 藍子が意地悪そうにけらけらと笑う。


「わたしの感動を返せ馬鹿野郎」


「あっはっは、ごめんごめん。ふぅん、にしても前世ねぇ。あんたの前世って何だったわけ?」


「天使」


 藍子の口調は馬鹿にする風でもなく、ただ純粋に聞きたいだけという感じだったので理恵ももう素直に答えることにする。


「天使ってアレ? 英語で言うとエンジェル?」


「そうだよ」


「ははぁ、まさか天使ときたか。こりゃ予想の遥か上だわ」


「やっぱ信じられないでしょ。別にいいけどさ」


「信じるっつったでしょ。あたしは理恵のこと疑ったことなんて一度も……」


 そこまで言いかけて、ハッと何かに気がついたように藍子の口が止まる。そして、やや間を置いて「……一度しかないんだから」と付け加えた。


「いや、そこは一度もないって言うとこでしょ。何でわざわざ言い直すかな。ていうか、わたし、なんか疑われるようなことしたっけ……?」


 理恵にはまったく心当たりがないのだが、もしも疑われるようなことをしていたのだとしたら申し訳なく思う。


「理恵が何かしたってよりはあたしが……いや、やっぱいいわ、昔の話を掘り起こすのも何だし」


 藍子は何故か気まずそうな顔をするが、理恵には皆目検討がつかない。昔何かあっただろうか。


「えー? なにさ、気になるなぁ」


「いいのいいの。それよりさ理恵、昔決めた友情の合言葉覚えてる?」


 友情の合言葉。それは昔、友情を忘れないようにと作ったものだ。


「覚えてるよ。忘れるわけないでしょ」


「じゃあ、理恵の"り"は?」


 藍子の問いかけに理恵が答える。


「理解の"り"。何があっても理解し合あえるように努力しよう。藍子の"あ"は?」


 今度は理恵の問いかけに対し、藍子が答えた。


「ありがとうの"あ"。感謝を忘れずにってね。うん、やっぱキャラ変しても理恵は理恵だね」


 安心したように藍子が笑い、理恵も昔決めた合言葉がなんだかおかしくって、笑ってしまう。


「今やると結構恥ずいね、これ。何年振りにやったっけ」


「もう何年もやってなかったからね。覚えてる? 昔さ、合言葉決めるぞーって張り切って、みんなで辞書とか引いていい言葉ないか調べたもんね」


「そんなこともあったねぇ」


「ああ、それより引き止めてごめん。どっか行くとこだったんでしょ?」


 そうだった。昔を懐かしむのもいいが、天使の仕事もしなくてはと思い直し、理恵が席を立つ。


「ちょっと朱村先輩に用事があってね」


「生徒会長? そりゃまた珍しいね。何か力になれることは?」


「今は大丈夫。ありがと、藍子。またね」


「あいよ、またねー」


 藍子の気遣いに感謝しながら、理恵は教室を後にした。

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