7 悪魔って呼ばないで

 悪魔と邂逅した翌日。

 昼休み、理恵は上級生の教室へとやってきていた。昨日の落し物を落とし主に届けるためだ。


 隣にはどこから調達したのか、理恵と同じ制服を着たマリエルがついてきている。


「どこからツッコめばいいんだか……」


 頭が痛くなり、理恵は頭を片手で押さえた。

 何でここにいるのか、とか、どこで制服を入手したのか、とか言いたいことは山ほどあったが、どうせロクでもない回答が返ってくることは目に見えてるため、もう何も言うまいと諦める。


「楽しそうですねぇ、人間の学校も。んふふ、本当に編入しちゃいましょうかねぇ?」


「お願いだからやめて、本当にやめて」


 マリエルなら本気でやりかねない。学校でまでマリエルに付き合わされるのは勘弁してほしいと理恵はげんなりする。


「冗談ですよ。わたくしはセリーの身を守るために来たんですから、そんなに邪険にしないでくださいよー」


 思いがけないマリエルの言葉に、理恵はキョトンとする。


「え? どゆこと?」


「相手は悪魔ですよ。もしかしたら手帳を落としたのも、わたくしたちをおびき寄せる罠なのかもしれません! 何かあったときに天力てんりきを使えないセリーじゃ抵抗もできないでしょう?」


 というのは建前で、本当は面白そうだからついて来ただけだ。しかし、理恵はそれで納得してしまった。


「それもそうね……わたしとしたことが浅はかだったわ……ありがとう、マリー」


「いえいえ、どういたしまして」


 ニッコリ微笑みながらも、胸中ではやっぱりセリーはチョロくて可愛いですねぇなどと思うマリエルである。


「えーと、上級生の教室ってどう入ればいいんだろ……?」


「え? 普通に入ればいいんじゃないですか? ごめんくださーい」


 え、そんな入り方でいいの? と呆気にとられる理恵を置いて、マリエルが教室に入り、近くの男子生徒に声をかける。


「なに? どうしたの?」


「わたくし、二年の芹沢マリといいます。あの、朱村茜あけむらあかねさんはいらっしゃいますか?」


 うわ、こいつ堂々と嘘ついたぞ。それでいいのか天使。理恵は心の中でツッコミを入れながら、マリエルの後ろについていった。


「会長? いるよ。おーい、会長ー! 二年が呼んでるぞー!」


 男子生徒は親切に茜を呼び出してくれる。

 茜は自習をしていたらしく、教科書とノートを机に広げていた。


「え? わたしに? なになに?」


 呼び出しに気がつくと、すぐに笑顔で駆け寄ってくるが、呼び出し主の近くにいる二人の女生徒の顔を見て、その笑顔が凍りつく。


「会長……? あ、そうか、生徒会長!」


 理恵が茜を指差す。道理で顔と名前に覚えがあるはずだ。茜は理恵が入学したときには既に生徒会長で、一年生のときからずっと生徒会長をやっている。


「あ、あ、あなたたち、わ、わたわ、わたしに何か用ですか?」


 茜があからさまに動揺する。まさか昨日の自称天使たちが同じ学校の生徒だったなんて不覚。いや、大丈夫、向こうもわたしと同類なら、人前で天使だの悪魔だのは言わないはずだ。


「やい悪魔! 悪魔の分際で生徒会長やってるなんて、何を企んでるのよ!」


 そんな茜の淡い希望は、理恵のその一言によって粉々に打ち砕かれた。


「悪魔?」


 先ほどの男子生徒が怪訝な表情をする。


「な、なな、なんでもないのよ、木村くん! さ、向こうで話しましょ、ね?」


 茜が二人の手を強引に引いていく。


「何するのよ悪魔! 離しなさいよー!」


 理恵の抵抗に、クラス中が何事かと三人に注目し始める。


「悪魔って……?」


「会長って実は悪いことやってるの……?」


 クラスメイトたちのひそひそ話が茜の耳に入る。まずい、このままではわたしの優等生のイメージが壊れると茜が焦り出す。


「あ、あのねみんな! わたし実は演劇やってるの! この子たちは劇団の後輩! 悪魔っていうのは、今やってる劇の話ね!?」


「ああ、そうなんだー、びっくりした」


「会長すごいねー! 文武両道で演劇もやってるなんて。将来は女優とか目指してるの?」


「会長ならハリウッド女優にでもなれそうだよなー」


 咄嗟の嘘だったが日頃の行いのためか、茜のクラスメイトたちはすんなり受け入れてくれたようだ。


「さ、さあ、二人とも? 向こうで話しましょうねー」


 クラスメイトたちに嘘をついてしまったことに心を痛めつつ、二人の手を引っ張ろうとするが、罠を警戒する理恵はなおも抵抗する。


「そんなこと言って、悪魔の罠にはめる気でしょ! 騙されないんだから!」


「お願いだから向こうで話そう!?」


 涙目で懇願する茜に気圧され、理恵が怯んだ隙に二人はずるずると教室の外まで引っ張られていく。

 三年生の教室は三階建ての校舎の三階にあるが、近場で人気がないところ、ということで二人は屋上手前の階段の踊り場まで引っ張られた。

 その道中、理恵とマリエルが話してる内容に茜は頭を痛めた。


「マリー、やばいよ……完全に悪魔のペースだよ……殺されるかも……」


「大丈夫ですよー、セリーのことはわたくしが守りますから。このエンジェルパワーで!」


「先制攻撃したほうがいいんじゃない……? マリーの天力なら力を失ってる悪魔なんてイチコロでしょ?」


「ですから、人間に危害を加えることは禁じられてるんです。今の彼女はあくまでも人間なんですから」


 やばい、この子たちは違う。自分と同類と思っていたが、違う。周囲の目を気にしない真性の中二病だ。関わってはいけない人間に関わってしまったと茜は心底後悔した。


「あ、あのね、二人とも……ええと……」


 茜が何から話したものかと頭を悩ませる。


「そうだ! 自己紹介がまだだったよね! わたしは――」


「昨日聞いたよ。リスティル・ヴァーミリオンでしょ? 魔界を統べる大悪魔の」


「わーわー!? 違うー! 違うのー!」


 慌てて周囲に人がいないか確認する茜。


「セリー、気をつけてください。昨日調べたのですが、ヴァーミリオン家は魔界でも屈指の実力を持つ大悪魔の家系です。油断してはいけませんよ……んぷぷ……」


 マリエルが必死に笑いをこらえながら言う。


「だ、だからー! それは、その、ただの、設定なのー! あなたたちもわかるでしょ!? 脳内設定!」


「こ、怖ー、なんか悪魔がわけわからんこと言ってる……なにこれ、新手の精神攻撃?」


「あなたたちの方が怖いって!?」


 悲鳴にも近い茜のツッコミを受け、流石に気の毒になったマリエルが理恵にネタバラシをする。


「んふふー、セリー、実はですねぇ、彼女は本当はただの人間なんですよー。天力で魂の確認もしましたから、間違いありませんー」


「へ? え?」


 マリエルの言っていることがすぐには理解できず、理恵はしばし硬直した。


「え!? 嘘!? い、いや、だって! あんたも今まで散々こいつが悪魔だって言ってたじゃない!?」


「はい、嘘でしたー。信じ込むセリーと慌てる茜さんが可愛くって、ついつい」


 悪びれる様子もない。理恵はなんだかやるせなくなり、とりあえずマリエルの頭に全力でチョップをした。


「セリー、痛いですー」


 マリエルが叩かれた箇所を抑えて涙目になる。


「わたしの手と心の方が痛いわ!」


 チョップの力加減を間違えたのか、マリエルが石頭なのか、理恵も涙目で手を押さえている。

 茜はそんな二人の様子を、少し引き気味に見ていた。


「あ、うー……あ、朱村先輩……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません……」


 流石に悪いことをしたと反省し、理恵が頭を下げる。


「い、いいよ、わかってくれればいいの、だから頭を上げて、ね?」


「はい……でも先輩、なんで悪魔のふりなんかしてたんですか?」


「もうその話やめよう!?」


 理恵にとっては純粋に疑問に思っての質問だったのだが、茜にとっては傷口に塩を塗られる行為だったようだ。


「て、ていうか、あなたたちも天使とか言ってるんだから、その、わかんないかな? そういうこと言っちゃうこともある年頃だって!」


「え? だって、わたしたちは本当に天使ですから。ねぇ?」


「ええ、そうですねぇ。でもセリー、人間の前で自分を天使だとか言わない方がいいですよ? 頭おかしいと思われますよ?」


「別にわたしは他人にどう思われようが気にしないけどなー」


「じゃ、じゃあ昼休みもそろそろ終わるし、わたしは戻るね?」


 やっぱりこの子たちにはもう関わるべきではないだろうと思い、茜が話を切り上げようとするが、理恵がそれを引き止める。


「あ、先輩待った! これ、昨日落としてましたよ!」


 理恵が生徒手帳を茜に渡す。


「わ、これを届けに来てくれたの? ありがとうね、えーと」


「芹沢です。セリエルでもいいですけど」


「あ、ありがとうね、芹沢さん」


 茜が若干引きつった笑顔でお礼を言う。


「……ところで、茜さん。何か悩みをお持ちではありませんか?」


 マリエルが珍しく真顔で問いかける。


「え? ……いや、特にない……と思うけど」


 突然の質問と、マリエルの全てを見透かしているかのような目に、茜がたじろいだ。


「我々は人助けを使命とする天使ですから、苦悩を抱えている人間のことはわかるんです。魂に元気がありません」


「天使とか魂とか、あなたたちいい加減に……え……?」


 温厚な茜も流石に我慢の限界と言わんばかりに怒ろうとしたとき、突如マリエルの体が発光する。


「んふふ、まあ、信じられませんよねぇ。では、これではいかがでしょうか?」


 百聞は一見にしかず。マリエルが天使としての姿を解放する。

 茜は目の前の光景に呆気にとられ、目を丸くする。目の前の少女からいきなり翼が生えてきて、その頭上には光り輝く輪が浮かび上がったのだ。


「マ、マリー、いきなり何やってんの?」


 突然の展開に理恵もついていけず、ポカーンと口を開けてしまう。


「だって、こうしないと、茜さんはわたくしたちのことをただのイタい人だと思っちゃうじゃないですか? それは心外ですから、んふふ」


「そんな理由で人前で易々と天使の姿を見せるのもどうかと思うけど……」


「ええ、もちろん冗談です。でもねセリー、彼女が悩みを抱えているのは本当です。あなたの使命をお忘れですか?」


「え? ああ、三人救えってやつ?」


「わたくしは、あくまでサポート係です。彼女を苦悩から救うのは、あなたの役割ですよ」


 穏やかに微笑み、人間の姿に戻るマリエル。


「あ、あなたたち、ほ、本物の、天使?」


「え、はい。ずっとそう言ってるじゃないですか? それで先輩、何に悩んでるんですか?」


 天使と人間としてではなく、ただの先輩と後輩といった感じで問いかける理恵。


「セリー、フランク過ぎますって……もうちょっと天使らしくしましょう? 天使としての振る舞い、もう忘れちゃいました?」


「えー、かったるいなぁ……振る舞いとか別にどうでもいいじゃん」


 マリエルに注意され、理恵がブーブーと不満を漏らす。


「昔は文句を言いながらも仕事中は天使らしい振る舞いをしてましたのに……本当に人間っぽくなりましたねぇ」


「うるさいなぁ、わかったよ、やればいいんでしょ、やれば」


 理恵はぶつくさと文句を言いながらもコホンと一度咳払いをし、それから「あー、あー」と発声練習をして声のトーンを高めに調整する。


 わたしは一体何を見せられてるんだろうと、二人が天使であることを信じつつも、やはり若干引き気味で見てしまう茜。


 発声練習を終えた理恵が改めて茜に向き直り、優しげな微笑みを浮かべる。


「迷える子羊よ。神は清らかなる心を持つあなたを救うべく、あなたの前へ天使を遣わしました。さあ、あなたの苦悩を告白するのです。さすれば、あなたは苦悩から解放され、健やかに生きることができるでしょう」


 理恵が先ほどまでとは別人のような、澄み切った声で話す。その声を聞いた者は何でも打ち明けてしまいそうな、慈愛に満ちた、まさに天使の声と呼ぶにふさわしいものだった。


「芹沢さん、ギャップ激しすぎて怖いよ……。うーん、それにしても、わたしの悩みかぁ……」


 茜が考え込むのと同時に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。


「あ、もう戻らないと! また今度ね、芹沢さん!」


「え、ちょ、先輩、悩みは!?」


「今すぐには浮かばないから、考えとくねっ」


 そう言うや否や、茜は自分の教室へ戻るべく小走りで去っていってしまった。


「……ちぇー、わざわざ天使の声まで作ったのにさぁ」


「んふふ、でも、素晴らしい天使っぷりでしたよ。一瞬、本当に天使なんじゃないかと思っちゃいました」


「ねえ、喧嘩売ってる? ていうか、先輩に悩みなんかあるの? なんか見た感じ、全然悩んでなさそうなんだけど」


「いえ、魂がぐんにょりしてましたから、彼女が苦悩を抱えてるのは間違いないですよ。でも、自覚がないのかもしれませんねぇ」


「ああ、そのパターンか……。それじゃ、わたしも教室戻るから、あんたは家に帰りなさいよ」


「えー、わたくしも授業受けてみたいですー」


 マリエルが子供のように駄々をこねる。


「無理だって。完全に部外者だし授業なんか受けられるわけないでしょ」


「それは天力でどうとでもー、ちょちょいっとみなさんを洗脳しちゃいましょう」


 ニコニコと笑いながらとんでもないことを言う。たしかに天力を用いれば人間の洗脳や記憶の改竄も容易だろう。


「マリーなら本気でやりかねないから怖いわ……」


「んふふ、もちろん冗談です。では、大人しく帰るとします。おうちで待ってますよ、セリー」


 マリエルの姿が瞬時に消える。おそらく自宅まで瞬間移動したのだろう。これも天力の為せる技の一つである。


「やっぱ天力って便利だわ……わたしもまた使えるようになれるのかなぁ……」


 元天使は独り言を呟きながら、その二つの足を使って地道に階段を降りていくのであった。

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