朱村 茜

6 転生悪魔?

 芹沢家での騒動から一週間が経ち、マリエルが理恵の家に引っ越してきた日。


「何故にわたしがあんたの買い物に付き合わなきゃならんのよ」


 理恵はマリエルの「セリー、わたくしケーキが食べたいです」という一言により、近所のコンビニまで付き合わされている。


 時刻は夜の十時前。当然断ったのだが、過去の恥ずかしい失敗を兄にバラすという脅迫に屈し、一緒に買い物に出かけるハメになってしまった。


「いいじゃないですか。親友同士でのショッピングは楽しいですし」


 マリエルが歩きながら、楽しそうにクルクルと回ってみせると長い金髪がフワフワと揺れる。

 ファッキンクソ天使と理恵は心の中で舌打ちをした。


「親友と言っていいのかも、これをショッピングと言っていいのかも、どっちも疑問だけどね……。そもそも食事いらないとか言ってたくせに」


「甘いものは別腹ですよ」


 別腹の使い方が間違っている気もするが、理恵にはもうツッコむ気力もないのでスルーする。


「あら?」


 近所の公園の前を通るとき、マリエルが急に立ち止まる。


「どしたの」


「セリー、あそこに様子のおかしい人間が!」


 面白いことに期待しているのか、マリエルが目を輝かせ、興奮した様子で公園内を指差す。


 視線を向けてみるが、薄暗くて理恵にはよく見えない。辛うじて誰かがいることは分かるが、どんな人間で、何をやってるかまでは判別がつかなかった。


「……全然見えんわ」


「あら。では、セリーにも見えるようにしますね」


 マリエルが理恵の体に手をかざすと、理恵の体が柔らかな光に包まれ、次第に視界がクリアになっていく。天使の力ーー天力てんりきによって視力が強化されたためだ。


「なんか屈辱だわ……本来なら、これくらいのこと自分でできるのに……」


 文句を言いながら、再度公園内を見渡すと、そこにはファンタジーの物語でしか見たことがないような黒いローブを着た人物が、木の棒で地面に魔法陣を描いていた。


「ああ、ありゃたしかに様子のおかしい人間だね……」


 絶対に関わらない方がいい。家に着いたら警察に通報しよう。


「おーい、なにしてるんですかー?」


 そう思っていたのに、マリエルが公園の中へ走っていき、あろうことか不審人物に声をかけていた。

 あいつあとで殴る。理恵はため息を一つ吐いて、マリエルの後を追った。


 近づいてみて分かったが、その不審人物は理恵と同年代の少女であり、黒いローブの下には理恵が通う中学の制服を着ていた。


「……我に何用か、人間」


 作業を中断されたのが気にくわないのか、黒ローブの少女が不機嫌そうに理恵たちを睨みつける。


「いやー、こんな時間に何をなさってるのかなって、気になりましてー」


 マリエルは相手の機嫌などお構いなしに、いつも通りのんびりとした口調で話す。


「見て分からんか」


「うん、分からん」


 分かりたくもないが、と心の中で付け加える理恵。


「ふっ……ならば大人しく立ち去るがいい。ここは人間の立ち入っていい領域ではない……」


「ええーっ、ということは、もしかして、あなたは人間ではないんですかーっ?」


 マリエルがわざとらしく驚いたふりをすると、そのリアクションに気を良くしたのか、黒ローブの少女が仰々しく自己紹介を始めた。


「我が名はリスティル・ヴァーミリオン。魔界を統べる大悪魔だ。今は故あって人間に転生し、人間界へと降り立っている」


「ええーっ、びっくりですーっ」


 マリエルの天使としての能力の一つに、他者の魂の色や形を見ることができるというものがある。それによってその人間の性質を大まかに見抜くことができ、善人か悪人かの判別ができる。


 ちなみに色が白に近いほど善人、黒に近いほど悪人であるが、目の前の少女の魂の色は真っ白だ。何なら元天使の理恵よりも白い。本当に悪魔であるなら、こんなに魂が白いはずがない。つまり、この少女はただの人間で、しかも超善人だ。


 マリエルはイジり甲斐のある面白い人間を見つけたとウキウキしていたが、その隣にいる理恵は何故か深刻そうな顔をしている。


「そんな……まさか悪魔が転生して人間界にやってきてるなんて……」


 理恵は黒ローブの少女ーー自称リスティルの言うことを間に受けてしまっていた。


 自分自身が人間に転生した天使であるということと、天使だったころに魔界の悪魔と戦ったこともあるが故に、リスティルの話は理恵にとって現実味を帯びていたらしい。


 このまま放っておいた方が面白そうだと、マリエルはニヤニヤしながらも黙っていた。


「ふっ……安心するがいい。今の我は力を失っている。普通の人間と変わらん。今はまだ、な」


「くっ……悪魔め、何を企んでるの!?」


「えっ!? えー……それは、だな……」


 あまりにも理恵のノリが良すぎて、リスティルから動揺が漏れる。その様子を見てマリエルは必死に笑いを堪えている。


「わ、我が力を取り戻したあかつきには、人間界を征服する!」


「なんてこと……悪魔どもが人間界への侵攻を進めていたなんて……マリー、すぐに天使長に報告するのよ!」


「え? てんしちょう?」


 リスティルがキョトンと目を丸くする。


「残念だったわね、悪魔。あなたたちの野望は、わたしたち天使が阻止するわ。あなたもここで捕らえさせてもらうわ!」


 リスティルは理恵が何を言ってるのかしばらくの間考え、そして合点した。ああ、この子も自分と同類の中二病なのだと。


 そうとわかると、リスティルの演技にも自然と熱が入っていく。


「ふっ……無駄だ。今ごろは我が軍勢が、天界に攻め入っているはず。連絡などつかぬ」


「なっ!? マ、マリー!? 本当なの!?」


「ええ……先ほどから天使長様に交信を図っているのですが……一向に繋がりません……」


 重々しく言うが、もちろん大嘘である。


「くっ……じゃあ、せめてこの悪魔だけでも捕らえるよ!」


「ダメですよ、セリー。たとえ元悪魔でも、今の彼女はただの人間です。天使が人間に危害を加えることは禁じられてるのをお忘れですか?」


「ふっ、そういうことだ、天使ども。我はここで失礼する。力を取り戻すためにやらねばならんことが山ほどあるのでな。はーっはっはっ!」


 高らかに笑いながら、リスティルが走り去っていく。そのとき何かを落としていったが、テンションが上がりすぎていたのか全く気がつかなかったようだ。


「くそー……一体どうすればいいのよ……」


「んふふ、天使がそんなはしたない言葉を使ってはいけませんよ」


 マリエルがリスティルの落し物を拾い上げる。


「あら、これはこれは……」


 手帳。それも個人情報満載の生徒手帳だった。


「ふふん、悪魔め、油断したようね」


「あ」


 理恵はマリエルの手から生徒手帳をひったくり、中身を確認する。


 朱村あけむら あかね。三年A組。どうやら理恵の一つ上の先輩らしい。住所は理恵の家から割と近い。


「あらら、今から届けに行きますか?」


「別にわざわざ悪魔に返さなくてもいいんじゃない?」


「でも、今の彼女は人間ですから。人間の落し物をネコババしたりしたら、査定に響きますよ?」


「うぐ……じゃ、じゃあ、わたしが明日学校で渡すよ。それにしても朱村茜、朱村茜か……」


 部活にも委員会にも所属していない理恵に上級生の知り合いはいないはずなのに、その名前と顔には何故か覚えがあった。


「どっかで聞いた名前なんだけど、どこだっけ……」


 喉元まで出かかっているのだが、思い出すことができない。


「ま、いっか」


 思い出せないなら大したことではないのだろう。そんなことよりも、これから悪魔にどう対抗するべきかの方が重要だ。


 悩んでいる理恵の隣で、マリエルはネタバラシをするべきか否かの思考を巡らせる。もう少し黙っておこう、きっとその方が面白いだろうという結論に至るまで、そう時間はかからなかったが。




◇◆◇



 一方その頃。


 リスティルこと朱村茜は自宅前で黒のローブを脱ぎ、それを折り畳んで鞄にしまっていた。


「はー、楽しかった。わたし以外にあんな子がいるなんてね」


 先程の理恵たちとの一件を思い出すと、自然と笑みがこぼれる。


「さて」


 悪魔としての時間はおしまい。家では良い子の茜ちゃんとして振る舞わなくては。茜は自分の中のスイッチを切り替える。


「ただいま」


 玄関のドアを開けると、いつも通りに母親がニコニコと出迎えてくれる。母親はこれから仕事に出かけるところなのか、バッチリとメイクを整えている。


「おかえりなさい、茜ちゃん」


 母親はもう四十歳近いはずなのだが、化粧の力なのか元が良いのか、二十代と言っても通るほど若々しい容姿をしている。二人で出かけると姉妹に間違われることもあるほどだ。


「遅くなってごめんなさい」


「いいのよ、茜ちゃんは勉強頑張ってるんだから」


 茜の塾通いの生活は小学生からで、もう六年続いているが、そもそものきっかけは小学三年生のとき、父親と死別したことだった。


「お母さん、これから仕事? 今日は夜の方は休みじゃなかったっけ?」


「お店で欠員が出ちゃったらしくてね。さっき出勤できないかって連絡きたところなのよ」


「そうなんだ。無理したらダメだよ?」


「茜ちゃんも頑張ってるんだから、お母さんも頑張るわよ。あ、ご飯作ってあるから、ちゃんと食べるのよ? それじゃ、行ってくるわね」


 親指を立ててウインクする母親に、茜も同じリアクションで返す。


「うん、ありがとう。いってらっしゃい、お母さん」


 家を出る母親の背中を見送る。

 子供を放っておいて夜の仕事に行く母親を、世間は決して良い目では見ないだろう。それでも茜は母親を尊敬しているし、感謝もしていた。

 父親が亡くなってから、母親は二人の娘を育てるために、朝も夜も関係なしに働き始めた。


 絶対お母さんに心配をかけない良い子であり続けよう。そして将来偉い人になって、お母さんとお婆ちゃんを助けてあげよう。茜がそう誓ったのが小学三年生のときだ。


 当時お世話になった先生に将来立派な人になる方法を質問した際、勉強を頑張ることと友達を大事にすることと教えられ、それから塾に通うようになり、現在に至る。


 そんな茜がどうして悪魔の真似事なんかをしていたのかというと、ストレス発散のためだ。

 自分で決めてやっているとはいえ、学校では完璧な優等生を演じ、その後夜遅くまで塾で勉強をし、家では家事もこなしている。それはまだ十五歳の少女には荷が重く、現実を忘れて空想に浸る時間が必要だった。


 自室に荷物を置き、部屋着に着替えて居間に向かうと、母が作ったであろうカレーの香りがする。


 カレーが入っている鍋を火にかけ、辺りを見回す茜。


「あかりは……もう寝てるわね」


 三つ下の妹の不在を確認し、悪魔的な笑みを浮かべる。


「くっくっく……人間からの供物によって我が力も徐々に戻りつつあるぞ……」


 などと言いながら、カレーをかき混ぜてみる。


「見てろ、天使ども……我が力を取り戻したあかつきには、こんな世界などすぐに支配してみせるぞ……はーっはっはっ!」


 コンロの火力を最大にし、ぐるぐると高速でカレーをかき混ぜ、高笑いなんかしてみせる。今は一人の時間だから、悪魔になってもいいのだ。


「おねえ、何やってんの?」


「はひ!?」


 高らかに笑う姉を、いなかったはずの妹が白けた目で見ていた。茜の顔はたちまち耳まで赤くなる。


「あ、あ、あかり!? まだ起きてたの!?」


「トイレに起きただけだけど。なんかお姉がカレーをぐるぐるしながら笑ってるから、何やってんのかなって」


「き、聞いてたの?」


「なんかぶつぶつ喋ってるのは聞こえたけど、何言ってるかまでは聞こえなかったよ」


 ほっと胸を撫でおろす。危ないところだった。自分が悪魔になりきってるということは、面識のある人間には知られてはいけない。家族なんて一番まずい。


「あ、あのね、お姉ちゃん、ちょっと疲れてたの。お腹も空いてたしね? あんまりにもカレーが美味しそうだったから、つい、ね?」


「あ、そう……勉強もほどほどにしときなよー、ふあぁ……」


 納得したのか興味を失ったのか、あかりはあくびをしながら自室へと戻っていった。その姿を見送り、ほっと一息ついたところ、鍋からの異臭に気がつく。


「うひゃぁ!?」


 火力を最大にしていたせいで、カレーが焦げかけていた。慌てて火を止める。


「はー……何やってんだろ、わたし……」


 せっかく母が作ってくれたカレーを台無しにするところだった。おのれ悪魔めと自身の中の邪悪な存在を呪う。


「あ、自分自身の中に存在する悪魔と戦う人間っていいかも……。わたしは悪魔の転生体だけど、人間でもあって……自分の中の悪魔と戦うわたし……!」


 新しい脳内設定が生まれた瞬間であった。

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