4 マリエル

「はじめまして、人間の方。驚かせてしまい申し訳ありません」


 宙に浮いていた天使は優雅に着地して、持っていたケーキをテーブルに置いた。


「わたくし、マリエルと申します。そこのセリー……セリエルとは親友なんです」


「あ、ああ、ご丁寧にどうも」


「何しにきたの、マリー」


「セリー、そんな嫌そうな顔しないでくださいよ〜。わたくし傷ついちゃいます〜」


 言葉とは裏腹に、マリエルは特段傷ついた様子もなく笑うとふところから一枚の紙を取り出し、理恵に差し出した。


「今回の仕事の概要をお伝えに来ました。転生の弊害で細かいことは覚えてないだろうからって、天使長様が」


「ああ、そう……まあ、たしかに転生前の記憶はおぼろげだけどさ……」


 理恵が書類に目を通す。


「……読めないんだけど」


 兄も横からその紙を覗き込むが、見たこともない文字が書かれていた。


「セリー、本当にただの人間になったんですねぇ。天界の文字が読めないだなんて。じゃあ、天使言語もわからないんですかねぇ?」


 優しく微笑みながらも、どこか意地悪な口調で言うマリエル。

 この天使、実は性格悪いんじゃなかろうかと兄は思ったが、余計な口出しをすると話がややこしくなりそうなので黙っておく。


「う、うう、うるさい! いいから翻訳しなさいよ!」


「仕方ないですねぇ。えー、読み上げますね。親愛なるセリエルへ。天使長だよーん」


「待って。あんた、ふざけてるでしょ」


「んふふー、だって本当にそう書いてるんですもの」


「じゃあ、ふざけてるのはあのハゲか……マジむかつくわ……」


 理恵が怒りで拳をフルフルと震わせる。


「地が出てますよ、セリー。人間の方がいらっしゃるんですから気をつけないと。天使のイメージが悪くなりますよ?」


 理恵が怒っているのが面白いのか、マリエルはニコニコ……というよりはニヤニヤと笑う。


「あー、もういいわよ。猫かぶるのも疲れたし。別に気にしないでしょ、兄さんは」


「どっちにせよ元の理恵と違いすぎて気になるけど……。待て、おまえが本当に天使なんだとしたら、理恵はどうなったんだ? どこに行った?」


「え? ここにいるけど」


 理恵は当然のようにそう言うが、兄には理解が追いつかない。


「んふふー、お兄さん混乱してらっしゃいますね。まあ、大人しくて可愛かった妹がこんなんになったら、そう思いますよね〜」


「悪かったわね、こんなんで。どうせわたしは駄目天使、略して駄天使とか言われてたわよ……」


「えーと、つまり……どういうことだ?」


 兄の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。


「つまり、この子は理恵ちゃんでもあり、セリエルでもあるんですよ。十四歳になるころに天使の記憶が戻るようにと調整を受けて転生したんです。なので、お兄ちゃん大好きっ子な理恵ちゃんとしての記憶も残ってますよ〜。ね、セリー?」


「う、うっさい、大好きとか言うな」


 照れて顔を赤くし、目をそらしながら前髪を指でくるくるといじる理恵。

 それは理恵が照れているときの仕草そのもので、兄は少し安堵した。言動はおかしくなっても、やはり理恵は理恵なのだと認識できた。


「そ、そんなことよりー! 早く続きを読みなさいよー!」


「んふふー、セリーはやっぱり可愛いですねぇ。ついつい、からかってしまいます〜」


 あ、こいつ絶対性格悪い。マリエルの心底嬉しそうな笑顔を見て、兄の疑念は確信に変わった。


「えー、では、続きを読み上げますね。今回の仕事は、三人の人間を苦悩から救うことだ。一人救うごとに天使としての力が徐々に戻り、三人救ったとき、おまえは天使として天界に戻ることができるであろう」


 マリエルが天使長のモノマネをしながら、仰々しく読み上げる。


「三人救うだけ? 楽勝じゃない?」


「そう思いますか? んふふー」


 マリエルが意味ありげに笑う。


「人が人を救うってのは、そんな簡単なことじゃない気がするけどな」


 兄が率直な感想を述べると、マリエルは感心したように微笑んだ。


「あら、流石はお兄さん。セリーと違って賢いですねぇ」


「マリー、あんまり馬鹿にしてると殴るよ?」


 理恵はそろそろ我慢の限界とばかりに握り拳を作るが、当のマリエルは余裕そうだ。


「申し訳ありません、少々冗談が過ぎました。でもねセリー、天使として人間を救うのと、人間として人間を救うのを同じように考えない方がいいですよ?」


 ここにきて初めて、マリエルが真剣な表情を見せる。


「うーん……そんなもんかな? 天使のときは結構さくさくお気楽に救済してたからなー」


「さくさくって……天使ってそんな軽い感じで人間救ってるのか?」


 人間として何だかガッカリしたと言うか何というか、何とも言えない気持ちになる兄を見てマリエルがフォローする。


「お兄さん、この子がちょっと天使としてはアレなだけですので、幻滅なさらないでください。普通の天使は、もっと一人一人に寄り添って人助けをしていますよ〜」


「別にさー、結果として救われるんならさー、どっちでもよくない?」


「それともう一点。セリーと、お兄さんにも関係することなんですけど」


 ブーブーと口を尖らせている理恵を放ってマリエルが話を進める。


「俺にも?」


「ええ。わたくしもセリーのサポート要員兼、天界への報告係として、今日からここに住ませていただきますね」


 突然現れた天使からの、唐突すぎる同居宣言だった。

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