3 わたし、天使なんです

「わたし、天使なんです」


 十四歳の誕生日の夜、芹沢せりざわ 理恵りえは兄にそう告げた。

 仕事帰り、誕生日ケーキを買って帰ってきた途端にそんなことを言われ、兄は反応に困る。妹は冗談でもそんなことを言う性格ではない。真面目で大人しく、口下手な子だ。


「理恵はいつだって俺の天使だよ」


 そう冗談めかして返答するのが精一杯だったが、当の妹は「うわ、キモいな、こいつ……」とドン引きしていた。


「…………」


 キモいなこいつ。

 キモいなこいつ。

 キモいなこいつ。


 理恵の言葉が兄の脳内で繰り返し再生される。

 妹と過ごして十四年。初めて妹にキモいと言われた兄は絶句し、ショックで固まっていた。


「それと、わたしの本当の名前はセリエルですから。今後はそう呼んでくださいね、お兄さん」


「セリザワリエだからセリエルとはまた安直な……」


「た、たまたまですから! たまたま人間としての名前と天使としての名前が似てるだけですから!」


 触れてほしくない部分を指摘され、理恵――――自称セリエルは羞恥と憤怒で顔を赤くする。


「で、なんで急に自分が天使だって言い出したわけ?」


 ネクタイを緩め、買ってきたショートケーキを皿に盛りつけながら兄が問いかける。


「実は今日、前世の夢を見まして。あ、紅茶ください」


 理恵が盛り付けられたショートケーキをフォークでつつきながら言う。


「紅茶ね……はいはい」


 やはり今日の理恵はおかしい。言ってることもそうだが、いつもなら自分で率先して紅茶を淹れるはずだと兄は首を傾げる。


「その夢で思い出したんです。自分がもともと天使で、仕事をするために人間に転生させられたってことを」


「仕事って?」


「やだなぁ、お兄さん。天使の仕事といえば、人助けに決まってるじゃないですか」


 自称天使は、ケーキを頬張りながら自慢げにそう言うが、お茶淹れも手伝わない奴が人助けなどできるのだろうかと兄は疑問に思う。


「ふぅん……そうか、頑張れよ」


「その顔は信じてませんね」


「信じてる信じてる。兄ちゃん、理恵の言うことは何でも信じるぞー」


 二人分の紅茶を淹れ、兄も席に着く。いつも通り兄はストレート、妹にはミルクティーを用意する。


「お兄さん、わたし紅茶はストレート派なので、今度からはストレートで淹れてくださいね。たしかに前はミルクティーが好きでしたが、今のわたしはストレートの方が好きなんです」


「あ、そう。じゃあ取り替えるよ」


 兄がお互いの紅茶を取り替えようとするのを、理恵が制止した。


「待ってください。お兄さん、どうやらわたしが天使だということを信じられていないようですので、ここらで証明してあげましょう」


 理恵がドヤ顔で宣言する。


「どうやって」


「天使の力――――天力てんりきを用いれば、触れずともカップを入れ替えることなど造作もないこと……そりゃ!」


 カップに手をかざし、念を送るが――――。


「………………」

「………………」


 ――――何も起こらなかった。


「あ、あっれー? そ、そんなはずは……! そりゃ! はぁぁー!」


 先ほどよりも強く念を送るが、やはり何も起こらない。そうこうしてるうちに、兄がカップを交換してしまった。


「おー、入れ替わったぞ。理恵はすごいなー」


「馬鹿にしてるんですか!?」

「してないって。そんなことより早く飲め。冷めるぞ」


「わたしは天使なのに……何でこんな……何で能力が使えないの……ちくしょう、あの野郎、転生させるときに何か細工しやがったんだ……」


 椅子から崩れ落ち、四つん這いになりながら、この世の終わりかのような絶望しきった顔で何やらぶつぶつと呟いている。


「なんか天使らしからぬ言葉が聞こえてきたような気がするんだけど」


「どうせわたしは落ちこぼれ天使ですよ! 仕事サボった罰として人間に転生させられたんですから! あーっはっはっは! ドチクショウ!」


 一転して高らかに笑い出すと、今度はやけくそ気味にケーキにがっつき出した。昨日までの大人しくて引っ込み思案な理恵とは本当に別人のようだ。役作りもここまで行けば本物だ。それか本当に頭がおかしくなってしまったのか。


「おまえ、学校で何かあったのか? 悩みがあるなら兄ちゃんに言ってくれよ」


 流石に心配になり兄がそう言うも、理恵は涙目でケーキをやけ食いして止まらない。


「ええ、そうですよね。お兄さんからしたら、突然妹がおかしくなったようにしか見えませんもんね。そりゃ心配にもなりますよね。でも心配ご無用です。天力てんりきが使えなくたって、わたしは平気へっちゃらですから!」


 とてもそうは見えないのだが、今の理恵に何を言っても無駄だと諦め、兄もケーキを食べようとするが、ケーキが皿ごと消えていた。


「あれ、俺のケーキ……?」


 理恵にケーキを取られたのかと思いそちらを確認するが、ケーキは一人分しか見当たらない。


「いくらわたしが落ちこぼれの駄目天使だからって人のケーキに手を出したりしませんよ。名誉毀損で殴ってもいいですか?」


「い、いや、悪かった。じゃあ俺のケーキは……」


 辺りを見回すと、すぐにケーキは見つかった。見つかったのだが。


「……えぇぇ?」


 ケーキが皿ごと宙に浮き、フォークが動き、ケーキが消えていく。まるで見えない何かがケーキを食べてるように。


「ひぃ! な、なに!? お、おばけ!?」


「な、なんだ? どうなってる?」


 突然の出来事に理恵は涙目で悲鳴をあげ、兄は狼狽えるばかりだった。


「あら? おばけとはひどいですね、セリー、んふふ」


「ケーキが喋った!?」


 慌てる兄とは対照的に、事態を把握した理恵は落ち着きを取り戻す。つい先ほどまで涙目になっていたが、今は怒りで肩を震わせていた。


「その声……笑い方……あなた、マリーね!? 出てきなさい!」


「んふふ、失礼しました。今のセリーにはわたしの姿が見えないのですね」


 声の主である少女が姿を現した。

 どことなくふわふわとした雰囲気を纏った少女は、ケーキと同じようにふわふわと宙に浮いている。


「て、て、天使?」


 兄の開いた口が塞がらない。

 その姿は、まさに天使としか言い表せないものだった。


 ウェーブがかかった長い金髪に、澄んだ青い瞳。

 純白の衣を纏い、背には衣と同じく純白の翼を背負っている。

 極め付けには頭上に神々しく輝く金色の輪が浮いていた。


 妹が天使を自称し始めたかと思いきや、今度は本物の天使が目の前に現れたのだ。

 兄は今日は一体どうなってるんだと頭を抱えた。

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