2 転生プロジェクト

 某日、天使セリエルは上司の天使長に呼び出されていた。


「はあ……やだなぁ……バックれたい……」


 セリエルは重いため息とともに、その可憐な容姿に似つかわしくない言葉を吐き出した。


 天空都市の中央部に位置する大宮殿。その最上階にある天使長の執務室のドアの前で立ち往生すること十数分。


 また説教を聞かされるのだろうか思うと、セリエルの気持ちは沈んでいった。


 天使の仕事にも様々ある。

 セリエルの仕事内容は人間界に降りて、苦悩を抱えている人間をサポートして悩みを解消するという、言わば人助けだ。


 一定期間内に何人を救うというノルマのようなものがあるが、セリエルはここのところ全く目標を達成できていない。


 今回呼び出されたのは、きっとその件での説教だろう。あるいは、仕事をサボって人間界の娯楽施設で遊んでいたことがバレたのだろうか。何にせよ、心当たりがありすぎた。


「よし……」


 セリエルはようやく怒られる覚悟を決めると、一つ大きく深呼吸をしてから執務室のドアをノックした。


「入りなさい」


「失礼します。天使セリエル、天使長閣下の呼び出しに応じ馳せ参じました」


 セリエルが天使長の前でひざまずき、うやうやしく一礼する。


「セリエルよ、顔を上げなさい。おまえが何故呼び出されたか分かるかね?」


 セリエルはひざまずいた姿勢のまま、天使長の顔を見上げる。こいつ見た目はただのおっさんだよなぁという思考が脳裏をよぎった。


「おい、今こいつ見た目はただのおっさんだよなぁって思っただろ」


 天使長に他者の心を読む力があることはセリエルも知ってはいたが、まさか初っ端から心を読んでくるとは予想外だった。セリエルが慌てふためく。


「え!? や、やだなぁ天使長、勝手に人の心を覗かないでくださいよ。セクハラですよ?」


「黙らっしゃい! おまえがいつも不真面目だから、私はこうしてるのだ! 第一、問いかけと全く関係ないことを考えるとは何事か! おまえはそういうところがなっておらんのだ!」


 また始まったよと考えて、セリエルはしまったと口に手を当てた。この思考も天使長には筒抜けなのだ。


「全く反省しておらんようだなぁ?」


「してますしてます! えーと、呼び出された理由ですよねー……こ、心当たりがありすぎて、正直どれのことかー……」


 仕事の成果が出ていないことか。サボってたことか。天使長の陰口を天使仲間に言いまくったことか。どうせ嘘は通じないので、正直に心の内を曝け出す。


「……おまえには、ほとほと呆れるわ。ちなみに陰口とは、どんなことを言ったのだ?」


「え、えー、あはは、なんだっけなぁ、忘れちゃいました」


 実はヅラだとか、権力を振りかざしてきてウザいとか、説教がねちっこいとか。問いかけられると、自然と思考が浮かび上がってしまい、結局はバレてしまうのだった。


「……最近、天使たちが私の頭部をチラチラ見てくるのはおまえが原因だったのか。カツラをかぶって何が悪い!」


「あ、やっぱヅラなんすね」


「セリエル! おまえというやつは!」


 怒りが頂点に達した瞬間、天使長の力が暴発する。それによりカツラが真上に飛び上がり、また元の位置へと戻った。それを見たセリエルが思いっきり吹き出す。


「な、何がおかしいか!」


 流石に天使長も今のは恥ずかしかったのか、顔を赤らめながら怒鳴り散らすが、セリエルは構わず笑い続けた。


「あははははは! だ、だってっ、今のは卑怯ですよっ。誰だって絶対笑いますって! 天使長、一発芸としてやったら絶対ウケますよ!」


「天罰!」


「ぎゃーーーー!」


 文字通り雷を落とされ、セリエルは黒焦げにされてしまった。


「反省したか」


「は、反省しました……こ、心の底から……」


 その言葉に嘘偽りがないことを確認すると、天使長は満足げにうんうんと頷いた。


「最初からそう素直であれば良いのだ」


「はい……」


「さて、今日おまえを呼び出したのは、仕事の成果が出ていないことでも、サボっていることを今更咎めるためでも、はたまた私の陰口を言っていたからでもない」


「では、何なのでしょうか?」


「おめでとう! 天使セリエル! おまえは天界の新プロジェクトの第一号に選ばれたのだ!」


「わー、嬉しー」


 セリエルが棒読みで喜びを表現する。どうせロクでもないプロジェクトなんだろう。


「私が考えた画期的なプロジェクトをロクでもないとは何だ。また雷落とされたいか? ん?」


「天界にはどうして労組も労基もないんでしょうねぇ……。あったら絶対パワハラを訴えてやるのに……」


 どうせ心が読まれるなら同じことだと、セリエルはもう素直に毒づくことにした。人間界の日本のブラック企業もひどいが、天界の労働環境もそれに負けず劣らずひどいと思う。


「馬鹿者。私は真面目に仕事をする天使に対しては優しいぞ? こんなのはおまえだけだ」


「反省してまーす」


 セリエルの態度に天使長はイラッとしたが、このままでは埒があかないと諦めて話を続けた。


「天使として人間を救うのにも限界がある。干渉できる範囲が限られているからだ」


「まあ、特例を除いて姿を見せてはいけないって掟がありますからねぇ。陰からちょっとしたことしかしてあげられませんしね」


「その通りだ。例えば心を病んでしまった人間がいたとする。おまえなら、どのように救いの手を差し伸べる?」


 ここでの天使としての模範回答は、天使の力を使ってその人間の運命を微調整し、大切な人や物と巡り合うようにして心を癒してあげるだとか、その人間の夢に干渉して悩みの解決に繋がるような天啓を授けるだとか、そういうものだ。


「ああ、そんな感じの案件ならこの前ありましたよ。仕事に疲れて鬱になってたリーマンがいたんで、宝くじで一等当ててあげました」


「……は?」


 まさかの回答に天使長が唖然とする。


「そしたらすごい喜んじゃって、すぐに元気になりましたよ。いやー、救ったなぁ」


「馬鹿たれ! そのような方法が救済として認められるか! 大金を得たことでその人間が堕落する可能性だってあるだろうが!」


「えー、でも、その大金で何か事業とか興して、それで大成功して幸せな人生を送れるかもしれないじゃないですか」


「おまえはまったく……そんなだから周りから駄天使と言われるのだ」


「あー! それ、わたし気にしてるんですから!? ……ひどいなぁ、やる気なくすなー」


「もともとやる気などないだろうが。話を戻すぞ。天使としての干渉に限界があるなら、いっそ人間になればいいんじゃね? という画期的なアイディーアから生まれたのが、天使転生計画だ」


「完全に思いつきじゃないですか……」


 その思いつき計画の実験第一号に選ばれたのが、一番使えないと判断された自分なわけだとセリエルは解釈した。


「セリエルよ、そんなネガティブな理由でおまえを選出したわけではない。おまえは、こう、妙に人間くさいところがあるからな。人間に転生しても、人間界に馴染みやすいであろうと考えてのことだ」


「それって、遠回しにおまえは天使らしくないって言われてる気がして素直に喜べないんですけど」


 セリエルがブーブー文句を言うが、無視して天使長は話を続ける。


「おまえが人間に転生するのは明日だ」


「明日ぁ!?」


 セリエルは思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。あまりにも急すぎる。


「そうだ。今のうちに仲の良い天使には別れを告げておくように。しばらくは天界には戻れんからな」


「はぁ……どうせゴネても無駄なんでしょうね……。それで、わたしは人間になって何をすればいいんですか?」


 セリエルは諦めのため息をつき、仕事の内容について聞く。


「無論、人間を救うのだ。今回は試験的な要素が強いので、ひとまず三人で良い。三人救ったとき、おまえは再び天使として転生し、天界に戻ることができる」


「なんだ、それなら簡単そうですね」


「生まれてすぐに天使の記憶があると人間界での生活に支障をきたす可能性が高い。なので、ある一定の年齢になったときに天使の記憶が戻るように調整する」


「思いつきの割には色々考えてるんですね」


「思いつきではない。画期的なアイディーアから生まれたプロジェクトだと言っただろう」


「そういうことにしておきますよ。あ、一個だけリクエストいいですか?」


「……なんだ」


「不自由のない裕福な家庭の子供に転生させてください。ああ、あと、優しいお兄ちゃんとかいると嬉しいなぁ。それと、どうせなら今のわたしのように、容姿にも恵まれたいですね」


 セリエルの口から次から次へと欲望にまみれた願望が出てくる。


「何が一個だ、馬鹿たれ。もう転生先は決まっている。日本のどちらかというと貧困な家庭で、アルコール中毒の父親とヒステリックな母親の子供としておまえは転生する」


「メチャクチャ地獄じゃないですか、このハゲ!? な、何でよりにもよって、そんな人生ベリーハードなご家庭に転生させるんですか!? 嫌がらせですか!? それともパワハラですか!?」


「その方が人間の痛みや苦しみをより理解できるようになるであろう。今後のおまえのキャリアにも活かせるであろうという、私のグッドアイディーアだ。あと、どさくさに紛れてハゲとか言うな」


 天使長が再び雷を落とし、セリエルが再び黒こげにされる。


「す、すいませんでした……」


「わかれば良い。私からの話は以上だ。何か質問はあるかね?」


「一つ気になることがありまして」


「言ってみなさい」


「天使長って、天使の力がすごく強いですよね。雷落としたり、相手の心を読んだり。そんなこと出来る天使なんて他にいないじゃないですか。尊敬します」


「あ、ああ、いきなりどうしたのだ」


 急に褒められ、尊敬してるとまで言われて天使長が少し照れ臭そうにする。


「そんな天使長の力をもってしても……髪の毛を生やすことはできなかったのでしょうか……?」


「…………」


 場が静寂に包まれる。

 天使長の体が怒りでプルプルと震えて、次の瞬間ついに天使の力が暴走し、カツラが今度こそどこかに吹っ飛んでいってしまった。それを見てセリエルが腹を抱え、飛んでいったカツラを指差しながら笑う。


「あっははははは! て、天使長、ヅラが! ヅラが飛んでいきましたよ!


「この……駄天使が!」


「あ、じゃあ失礼します」


 セリエルは身の危険を感じ、天使の力を用いた瞬間移動で逃走した。


 その日、歴史ある天界の大宮殿が半壊したという。

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