プレゼント

武城 統悟

プレゼント

 今年も母の日が近づいてきた。

 この時期になると決まって思い出すことがある。



 三年前のことだ。

 当時、僕は二十二歳。結婚して半年が過ぎたころだった。妻の由香は高校の同級生で、その当時から付き合っていた僕たちは五年越しの恋を実らせて前の年の十二月にささやかな結婚式をあげた。ふたりでアパートを借り、贅沢はできないけれど、つつましくも幸せな生活を送っていた。


 彼女の母にプレゼントを買おうと言ったのは僕のほうだった。


 義母は世話好きでよくしゃべる人だ。

 妻の実家が電車に乗って駅三つということもあり、このにぎやかな義母はよく僕たちのアパートに遊びにくる。反対に僕らが夕食をご馳走になりにいくということもあり、同居していないわりにはよく顔を合わせるほうだと思う。義母とはいうが気持ちの若い人で、妻とふたりで話している姿は親子というよりは姉妹ような間柄にみえる。僕自身もずいぶん面倒を見てもらっているし、こんなときぐらいは何か感謝の気持ちを伝えたい。


 それに、これは僕の口から言ったほうがいいとも思っていた。


 僕の両親は僕が高校を出てすぐに交通事故で他界してしまっていたからだ。そのことは当然妻も知っている。僕のなかではもうすっかり整理のついていることなので気遣いなどは無用なのだが、妻の口から母の日の話題がでることはなかった。


 だから僕がお義母さんのプレゼントを買いに行こうと言ったとき、妻は本当にうれしそうな顔をしたのだった。


 母の日前日の土曜日、僕たちは義父の運転する車でショッピングセンターに向かっていた。


 義父はこの道一筋三十年という瓦職人である。職人気質というのだろうか、口数は少ない。ずいぶんと怖い印象を受けていたのだけど、妻が言うには

「あれはただ恥ずかしがってるだけなの」

 だそうだ。


 先頭に立って売場を眺めてまわる妻のあとを、僕と浅黒い顔の義父がついていく。


 義母へのプレゼントなので、当然、女性物の売場にいる時間が多くなる。妻がいるとはいえ、歩いてまわるのはちょっと恥ずかしい。義父も同じことを思っているのだろう。所在なげにあたりを見まわしている。


 小物を何点か買って、花屋の前に来たときだ。

「あっ!」

 立ち止まった妻が小さな悲鳴を上げた。

「どうした?」


 驚いてのぞきこんだ妻はいまにも泣き出しそうな表情をしている。その目はバックから取り出した財布に注がれているようだった。やがて消え入りそうな声で妻は言った。

「……お金、落しちゃったみたい」

「いくら?」

「……一万円」


 若くして家庭を持った僕らにとって一万円という金額は結構な金額である。妻はバックのなかをのぞき込んで探しているようだが、どうも見つからないらしい。沈み込む彼女に

「ちょっと探してくる。ここにいるんだぞ」

 と言い残し、僕と義父はいままで見て歩いてきた売場のほうへと駆け出した。


「僕、婦人服のほう行ってみます。お義父さんはアクセサリーのほうお願いします」

 義父はわかった、と頷くと小走りに階段を降りていった。


 婦人服売場についた僕は一縷の望みを込めて、さっき三人で歩いたところを見てまわった。しかし、妻の落としたという一万円は見つからない。


「そりゃそうだよなあ……」

 ため息とともにそんな言葉が漏れる。


 仮に、もし目の前に一万円が落ちていたらどうするだろう。ラッキーだ、とばかりに拾ってポケットのなかにしまい込むにちがいない。名前が書いているわけでもなし、届けようにも誰が落したかがわからないのだ。妻はお札を三つに折っておくくせがあるので、見ればおそらく彼女の落としたものだろうとはわかるが、それにしたって誰かに拾われてしまっては元も子もない。


 ぼんやりと売場を歩いていた僕は意を決したようにポケットから財布を取り出した。所持金は一万四千円。僕はそのなかから一万円札を抜き取ると、それを丁寧に三つに折った。給料日はまだずいぶん先だったけれど、彼女のあんな顔を見ているよりはずっとマシだ。


 花屋に戻ると、妻は店の隅でしょんぼりとたたずんでいた。


 僕は彼女の元に駆け寄ると、とっておきの笑顔で握り締めた一万円札を差し出した。沈んでいた彼女の表情がパッと弾ける。


「どこにあったの!?」

 飛びあがらんばかりによろこんでいる妻に話しかけようとしたそのとき――。


「おーい、あったぞぉ」


 遠くで声が聞こえた。

「光り物のところの店員さんが拾ってくれてた――ん?」

 義父が不思議そうな顔で僕の持っている一万円に目を止める。


 三人のあいだに流れた一瞬の沈黙がひどく長く感じた。


 そして次の瞬間、僕の良かれと思ってついたウソは滑稽なほど簡単にばれてしまった。ウソは真実の前ではまるで無力だ。恥ずかしさが耳たぶを赤く染めていく。


 僕は正直に自分の一万円を出したことを白状した。しかし、そのことによって妻や義父たちの僕に対する見方は変わらなかった。それどころか家族思いのいい旦那だ、ということで、それまで以上に信頼してもらえるようになったのだった。災い転じて福となすとはこういうことをいうのだろう。


 翌日、プレゼントを前にした義母はまるで子供のように喜んでくれた。そして昨日ついた僕の小さなウソが披露され、家族のなかで温かい笑いが広がった。


 それからしばらくたって、ふと僕の頭の片隅をよぎった考えがある。


 あのとき、義父の持ってきた一万円は本当に落ちていたものなのだろうか? ウソがばれたことで全然考えるどころではなかったが、冷静になって考えてみれば店員さんが拾ってくれていた、という話もウソっぽい。義父も自分の一万円を出したのだ。娘が折るように三つ折にして、さも落した一万円を見つけてきたような顔をして。


 そして……妻も、もしかすると気がついていたのかもしれない。そして僕たちの気持ちを汲んで、父から一万円を受け取ったのかもしれない。

 もちろんこれは僕の思い込みで、義父の一万円は本当に落ちていたのかもしれないし、妻は落した一万円が戻ってきたと素直に喜んでいただけなのかもしれない。


 でも、僕はこんな家族が大好きだ。



 今年も母の日が近づいてきた。

 僕たちは今年も母の日のプレゼントを買いにやってきた。

 ただ、あのときとちがうことがひとつある。


 今年は妻にもプレゼントをあげなければならない。

 そう、母の日のプレゼントを。

                                  (了)

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プレゼント 武城 統悟 @togo_takeshiro

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