Episode 27

 柔らかくて、少しひんやりとした彼女の手。その手に連れられるまま、芳文は歩いていく。

 驚いた。心臓が止まるかと思った。高鳴る鼓動が手を通して彼女に伝わるのではないかと気になった。どうにか気持ちを落ち着けて、芳文はやっとの思いで言葉を口に出す。


「……い、行くってどこに?」

「決まってるでしょ、特訓よ」

「と……え?」

「私があなたを鍛えてあげるわ」


 戸惑いの表情を見せる芳文に、振り返って遥子が告げたのはそんな言葉だった。

 彼女は立ち止まり、そして続ける。


「その格好、どうせまたぼろ負けしたんでしょ。情けない」

「それは……」


 事実を突かれ、返す言葉も出ない。

 一対一ならまだなんとかなるものの、複数で来られると今の芳文には手に負えなかった。その勝敗はぼろ負けというほど酷くはないが、負けは負けである。


「いい、あなたには強くなってもらわないと困るの」

「何で?」

「何でって、それは……」


 いつも言いたいことははっきり言う遥子が、珍しく口ごもる。

 その様子を怪訝そうに思いながら、芳文は続きを待った。


「……助けてくれたじゃない。その、お礼もしたいし」

「いや、先に助けられたのは僕だけど」

「そうだけど! でも!」


 まだ握られたままの手にぎゅっと力がこもる。

 俯いた遥子の表情はわからないけれど、ただ何か大切なことを伝えようとしていることだけはなんとなくわかって。その緊張が伝わってきて、芳文までドキドキして何だか落ち着かない。


「と、常盤さん?」

「遥子でいいわ……」


 やがて顔を上げた遥子が、勇気を振り絞るように言葉を紡ぐ。


「だって、あなたは私の――」

「あ、せんぱーい!」


 言いかけた遥子の言葉が、横合いから飛んできた明るい声に搔き消された。

 振り向くと、桜色のマフラーをした小柄な少女がいつもの笑顔で手を振っていて。そして駆け寄ってきて、芳文の左腕に抱き着いてきたのである。


「弥里!?」


 ふにゅっと腕に当たった柔らかな感触に、悲鳴にも似た驚きの声を上げる。

 それも構わず、弥里は続けた。


「芳文先輩、私と付き合ってください」

「……え?」

「……え?」


 疑問符が浮かぶ。

 聞き間違えだろうか。何だか今日はずいぶんと大胆な言動を取る彼女の勢いに呑まれ、頭がうまく回らない。

 その様子に弥里も小首を傾げるが、やがて何かに気づいたように声を上げた。 


「あ、間違えた。正しくは、私に付き合ってくださいです。一緒に行きたいところがあるんです。夕ご飯も奢りますよ」

「いやいや、夕飯は僕が――」


 そういうことか、と芳文は頷く。

 彼女の誘いは素直に嬉しかった。弥里には何度も助けられているし、断る理由もない。しかし年下の女の子に奢らせるわけにはいかない。そのことだけはしっかり伝えようと、誘いを受ける前提で芳文が話を進めかけたときだった。

 右手に走った痛みと、耳元で囁かれた冷たい声に遮られたのだ。


「ねえ、何か忘れているんじゃないかしら?」

「ごめんなさい!」


 少女の殺気に背筋が凍りつく。芳文は全力で謝った。

 それで気が済んだかどうか、ふんと顔を背けた遥子は次いで後輩の少女を呼ばわった。


「弥里、ちょっといいかしら」

「あ、遥子先輩。いたんですか」

「いたわよ、さっきからずっと」


 いつの間に下の名前で呼び合うようになったのだろうか。とはいえ仲が良いとはとてもじゃないけど言えそうにない、そんな空気がふたりの間には流れていて。


「悪いんだけれど、私たちはこれから大事な用があるの。だからごめんなさい、また今度にしてくれる?」

「えー、そうなんですか?」

「あ、うん。常盤さんに戦い方を教えてもらえることになったんだ」

「それだったら私が教えてあげますよ? 同じ炎を使う私が教えた方が学べることも多いと思いますし。言ってくれれば、いつもみたいに相手するのに」


 そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。

 だけど、遥子もそれだけでは引き下がらない。


「風は、炎と相性がいいわ。一緒にできることだってきっとあるはずよ」

「相性が良くたって違う力じゃないですか。芳文先輩が困ったとき、どうやってアドバイスするんです?」

「そうは言うけど、同じ力同士じゃそもそも特訓にならないじゃない」


 ふたりの少女が芳文を挟んで睨み合う。

 どちらも譲らず、口論はやがて芳文の取り合いへと発展した。芳文の腕を両サイドから引っ張り合い、綱引きの綱のごとく身体が右に左に揺れ動いて。


「ちょ……痛い痛い! ふたりとも、落ち着いて!」

「あなたは黙っててくれるかしら!」

「先輩は黙っててください!」

「……あ、はい」


 その気迫に圧され、芳文はすぐに押し黙った。

 自分では彼女たちを止めることができない。もはやどうすることもできなくなった芳文は、思い出したように振り返った。傍で面白いものでも見るかのように、呑気に見物しているソラへ助けを求めたのである。


「見てないで助けてくれ、ソラ」

「ごめん、無理」

「えぇー」


 ソラの対応はあっさりしたものだった。

 彼は求めに応じなかった。それどころか、ばっさりと切り捨てたのだ。

 それもそのはず、この状況に口を出そうものなら彼女たちに何をされるかわかったものではない。ここは黙って見守っておくのが無難である。そう考えたソラは『頑張れよ』と心の中で応援するに止め、何もせずただ見守ることに徹するのだった。


「そうだ、芳文先輩に決めてもらいましょう」

「そうね、それがいいわ」

「げっ」


 呻き声が漏れる。

 やっぱりそう来るのかと芳文は顔を引きつらせた。その予感はなんとなくしていて。だからソラに助けを求めたのだけれど、しかしそれも得られなかった。

 そんな芳文の前に、究極の選択肢が突きつけられる。


「私がいいですよね。ねえ、芳文先輩?」

「いいえ。私がいいに決まってるわ。そうよね、芳文?」


 両側から、とびきりの笑顔で選択を迫ってくる遥子と弥里。

 どちらもその笑顔は、普段なら素敵で可愛いと思うのだけど。

 今はまったく違うものに見えた。


(こ、怖い……)


 剣呑な空気に肩を竦める。

 結果どちらに転がってもバッドエンドな未来しか見えなくて、芳文は堪らず悲鳴を上げた。


「……もう、勘弁してくださーい!!」


 こうして。

 落ちこぼれだった高木芳文の新たな日常が始まったのだった。




<おわり>

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ルミナス -僕はその光を掴み取る- 伏見春翔 @haruto_13

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