Episode 26

「終わったー」


 なんて伸びをして、いつもなら授業終わりの解放感に浸るところだけれど、芳文は荷物をまとめてそそくさと校舎を後にする。別にこのあと予定があるとかそういうわけではない。何もないのだが、とにかく急いでいた。


 ――あれから数日が経った。

 芳文にかけられていた疑いは芳文自身が《ルミナス》を取り戻したということで解消され、捕らえたクライブは術師の犯罪を取り締まる組織へと引き渡された。

 学院の見習い術師である少年たちが、特に落ちこぼれで知られる芳文が盗賊から宝玉を取り戻したという話は、瞬く間に〈焔凪えんな〉中に広まっていった。芳文にしてみればこれ以上目立つことになるのは避けたいところだったが、こればかりは仕方がない。

 ただ問題なのは、芳文に勝てば宝物庫を破ったクライブにも勝る実力を得た証になるなんてことまで考え出す輩が現れ、決闘や勝負を仕掛けてくる者が後を絶たないことだった。そのお陰で、以前よりも酷い目に遭うことが多くなったような気さえしている。

 それはこの日も例外ではなく、芳文の格好は前にもましてボロボロだ。ようやく落ちこぼれという苦悩から解き放たれたと思ったのに、安寧の日々はなかなか訪れそうにない。


「はあ……」


 ため息とともに、ベンチに腰を下ろした。

 ようやく一息つくことができたのは、建物の裏にあるいつものベンチだった。なぜここに設置したのかと思うくらい、この場所には滅多に人が来ない。でもそれが芳文にとっては好都合で、人気の少ないこの場所を気に入っている。ひとりになりたいときは必ずここを訪れた。

 だらしなく手足を投げ出し、天を仰ぎ見る。

 この日も空は青かった。さわさわと微風に揺れる梢の音が心地いい。流れていく雲をぼんやり眺めていると何だか眠たくなってくる。

 そんな風に微睡んでいると、


「よう、芳文」


 軽やかな声に呼ばれた。

 顔だけ振り向くと、すぐ側の木陰に立っていたのは一匹の狼だった。身体に蒼穹を思わせる青い隈取をした、その白狼は――


「ソラ!」


 彼を認識した瞬間、芳文はバッと身体を起こした。

 その様子に、ソラが思わず微笑を零す。


「もう大丈夫なのか?」

「おう。この通りだ」


 芳文に応じて、その場でぴょんぴょんと跳んでみせるソラ。

 元気な彼の姿を見て芳文は安堵した。彼とは宝物庫の前でクライブと対峙したときから会っていなかった。翌日には首領に呼び出され古森へ出発することになり、その後も顔を合わせる機会もなく今日を迎えていた。


「むしろ前よりも調子いいくらいだ」

「あ、それはわかる気がする」


 芳文も《ルミナス》の光を浴びて以来、なんだか身体が軽くなったような気がしていた。もしかすると、力が覚醒したのもそのお陰だったりするのではないかという可能性まで考えたくらいだった。


「そういえば聞いたぜ、君がクライブを倒したんだってな」

「あー、うん。まあ、たまたまだけどね」

「謙虚だな」

「思いあがるほど馬鹿じゃないよ」


 直前まで落ちこぼれの能無し同然だった自分が、学院トップの拓海ですら敵わなかった相手を打ち倒すことができたのは、ほとんど奇跡に近い。もしあのとき彼が宝玉を使わず自身の力で本気を出していたならば、結果はおそらく全く違うものになっていただろう。

 あの場では勢いで押し切ったけれど、力の扱い方は素人同然で。そのことを理解しているからこそ、喜んでもいられなかった。今まで使えなかった分、早く力の使い方を身につけなければならない。


「まあ何にせよ、これで君も落ちこぼれ卒業だな」

「だといいけどね」


 苦笑を浮かべる芳文。

 力を使えるようになったからと言って、今までの立ち位置がすぐに変わるというわけではないことを芳文は知っている。というより、この数日で嫌というほど思い知った。落ちこぼれという壁を超えるのは、きっと容易なことではない。


「こんなところにいたのね」


 そんな声とともに、足音が近づいてくる。

 先に振り返ったソラが、にやりと笑みを浮かべて芳文に告げた。


「彼女さんのお迎えだよ、芳文」

「え?」


 振り返ると、黒髪の少女が立っていた。

 思わず息を呑むほどに美しい容姿をしたその少女は、他でもない常盤遥子である。

 蒼氷色の透き通った瞳が、こちらに向けられている。彼女の表情はどこか不機嫌そうで、しかしその理由は明らかだった。

 冷ややかな声で、彼女はソラへと言い返した。


「彼女じゃないわよ」

「そうなのか?」

「そうだよ。常盤さんに失礼だろ」 

「でも告白したって聞いたぞ」

「なっ!? なんでそれを!?」

「俺の情報網を舐めるなよ」


 思わず立ち上がった芳文に、ソラがドヤ顔で応じた。

 そんな顔で言われてもと芳文は苦笑を浮かべる。果たしてあれを告白と言えるのかどうか。あのときは必死過ぎて、自分の想いを一方的に押しつけるみたいになってしまった気がする。あれを遥子がどう受け取ったのかもわからないし、今さら確かめる気にもなれなかった。


「別に付き合ってあげてもいいけれど」


 ぼそっとそう呟いた彼女の声は、芳文には聞こえていない。

 ただしソラの耳には届いたようで、僅かに顔がにやけている。そんな彼の様子に気づた遥子は、その動揺を隠すように慌てて芳文の手を取った。


「ほら。そんなことはいいから、行くわよ」

「ふえっ……!?」


 突然遥子に手を取られ、芳文は素っ頓狂な声を上げた。




  ***

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