Episode 23

 押し返された分の距離を一挙に取り戻し、巨大鬼が今度こそ反撃へと転じる。


「負け、た……」


 力なく膝をつき、遥子はその場に項垂れた。

 全力を出し尽くした彼女に、もはや打つ手はなかった。すべての力を使い果たした遥子は、もう動く力すら残っておらず、逃げることもかなわない。

 しかしもとより、この場から逃げるつもりなど遥子にはなかった。

 最初から心に決めて挑んでいたのだ。

 勝つか、負けるか。

 生か、死か。

 結果はどちらかひとつに限られる。

 それが、常盤の名を背負った少女の覚悟。

 その覚悟が砕かれ、彼女が敗北したとき。

 それは、『死』あるのみ。

 だから遥子はその結果を受け入れ、ゆっくりと目を閉じた。


「常盤さん!」


 背後で彼女の名を叫ぶ少年の声が響く。

 芳文は思わず駆け出していた。

 彼女のもとに行って何ができるわけでもない。何もできないのはわかっている。仲間たちが倒れても、大切に思う人たちが傷ついても、芳文にできることはひとつもない。

 でも、だからといって。

 このままじっとなんてしていられなかった。

 その瞬間を、ただ見ているだけなんてことはできなかった。

 芳文にとって、常盤遥子も憧れの存在のひとりで。凛とした姿勢で何事にも立ち向かっていく彼女の在り方は、いつ見ても美しくて格好いいと思った。彼女のように強くありたいと、今の戦いを見て芳文は改めて思った。

 芳文だけじゃない。学院にいる多くの者が彼女のことを認めている。

 彼女は〈焔凪えんな〉になくてはならない存在で、みんなの指針なのだ。

 だから。

 こんなところで、終わりにしてはいけない。終わりにして欲しくない。


(――間に合えっ!)


 心の中で叫んだ。必死に願った。

 巨大鬼が拳を振り下ろす瞬間、芳文は俯いたまま動かない彼女のもとへと飛び込んだ。彼女の身体を庇うように抱きとめ、地面を転がる。

 鬼の拳は、ぎりぎり彼らが抜け出したあとの地面を砕いた。小高い丘を転がりきったところで、ようやく芳文は身体を起こす。図らずもまた押し倒すような姿勢になってしまった芳文に平手打ちが飛んできた。


「何するのよ、邪魔しないで!」

「それはこっちの台詞だ! 何やってるんだよ、死ぬつもりか!」


 かっとなり、思わず彼女の頬を叩き返してしまった。

 ついさっき身を投げ出した自分が言えたことではない。そんなことはわかっているけれど、遥子から告げられた言葉はあまりにも予想外で聞き流すことができなかった。


「うるさい! あんたには関係ないでしょ! 私は、落ちこぼれのあんたとは違うの! 無様な負けは許されないの!」


 だから、死ぬことも厭わないのだと。

 睨み返してくる少女に、きっとあのとき、あの瞬間、自分もこんな風に見えていたのだろうかと芳文は思った。


「関係ないなんて、そんなこと言わないで欲しい」


 突き付けられた言葉に複雑な表情を浮かべた芳文は、彼女の上からそっと離れた。


「……確かに、僕は落ちこぼれだ。常盤さんみたいな名家の出でもないし、何かを背負っているわけじゃない。だから、生き急ぐ君の気持ちをわかってあげることはできない」


 学院トップの実力を持つ彼女とは生きる世界が違う。

 彼女には彼女の苦しみがあって、それを理解することは絶対にできないだろう。

 だけど。


「でもそれは、君だって同じだ。落ちこぼれの気持ちなんてきっとわからない。みっともなくて、情けなくて、悔しくて、苦しい思いを僕は嫌というほど味わってきた。無様な姿をさらすたび、もう死んでしまいたいって、この世から消えてしまいたいって何度も思った」

「それは私だって……」


 遥子は言葉を詰まらせた。

 言葉を継げなかったのは、同じとは言い切れない自分がいたからだった。この少年を前にして、それを口にすることはできなかった。

 でも芳文は、何も別にわかってほしいだなんて言うつもりはなかった。そんなことが言いたいわけではない。

 今、芳文が伝えたいのは――


「これくらいで諦めるなよ。君はいつも凛としていて、どんな困難にも真っ直ぐ向き合って乗り越えていく。さっきもそうだ。僕は君の戦う姿に憧れた。格好いいと思った。そんな君のことが僕は好きだ。大切に想うから、死んでほしくないんだよ」

「何言って……」


 突然の告白に、遥子は言葉を失った。

 驚きと戸惑いの表情を浮かべる彼女を目の前にして。自分が勢い余ってとんでもない発言をしてしまったことに気づきながらも、芳文は構わず続けていく。


「無様に負けたっていい。生きていてくれれば、それでいい。そんな君を否定する人がいても、僕は君を好きでいるから。だから、ここで終わりになんてしないでくれ」


 生きていてほしい、終わりにしないでほしいだなんて、押しつけがましいのかもしれない。きっと自分勝手だ。でも、芳文はそう願わずにはいられなかった。


「僕は今まで、大切な人のためなら死んでも構わないって思ってた。僕にはそれくれいのことしかできないから。でも僕が間違ってた」


 残される者の気持ちを知った。心が痛かった。自分が誰かを大切に思うように、誰かも自分を大切に思ってくれている。そのことを学んだから、その人のために精一杯生きようと芳文は心に誓った。

 そしてゆっくりと立ち上がる。


「誰ひとり欠けることなく帰るんだ。そのために必要だって言うのなら、僕が――」


 その瞬間、芳文は覚悟した。

 今度は、死を受け入れるのではない。

 立ち向かう、そんな覚悟だ。

 大きく息を吸って、敵対するものたちへと向き直り。


「僕が、《ルミナス》を取り戻してやる!」


 芳文はそう宣言する。

 それとほぼ同時に、強く握り締めた両の拳に炎が灯った。




  ***

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