Episode 22

 ――その瞬間、芳文は覚悟した。

 死を受け入れる覚悟だ。

 なんとなく予想はしていたからだろうか。いざそのときが来てみると意外と落ち着いたもので。しかしだからといって、死が怖くないというわけではない。

 死ぬのは怖い。

 普通に怖い。

 だから、目を閉じる。ぎゅっと強く。

 これから来る痛みに身構えるように。


「……芳文先輩!」


 呼ぶ声が聞こえた気がした。

 こんな自分にも分け隔てなく接してくれた、明るくて優しい女の子の声。

 弥里には何度も心を救われた。彼女の笑顔に、彼女の声に、何度勇気づけられたことだろう。感謝してもしきれない。

 彼女は無事だろうか。どれくらい走ったか定かではないが、巨大鬼からは十分に引き離すことができたはずである。

 結局この人生において、何かを成し遂げたことはひとつもなかったけれど。でも最後に、大切な人のためにこの命を懸けることができてよかった――なんて考えていて、ふと芳文は気がついた。


(……あれ?)


 いつまで経っても来るはずの痛みが来ない。痛みすら感じないほどに一瞬で終わってしまったのかと思ってしまったくらいだ。

 しかし、そうではなかった。


「何やってんのよ、馬鹿!」


 代わりに叩きつけられたのは、そんな声だったのである。

 目を開けた芳文は、眼前の光景に驚愕した。


「なんで……」


 自分と鬼との間に、黒髪の少女が立っていた。

 その凛とした佇まいは、後ろからでもすぐにわかる。

 常盤遥子である。

 彼女は上に挙げた両手で、その手前に展開した風の結界に力を注ぎ鬼の拳を押し止めていた。


「なんで、じゃない!」


 軋む音が鳴る。押し負けそうなのは遥子の方で、今にも結界が砕けてしまいそうだった。

 それでも必死に食い止めながら、遥子は苛立たしげに叫ぶ。


「格好つけてんじゃないわよ! あんたは何もできないんだから、後ろに引っ込んでなさい!」


 彼女の言うとおりだ。

 芳文には、何もできはしない。真っ当に父さんのような術師になるのだとクライブの誘いを断り、努力し続けるなんて大口を叩いた先からこの有様である。大切な人を守る力もなく、自らを犠牲にすることでしか危機を打開することもできない。


(僕は無力だ……)


 変わらない。何も変わっていない。

 首領は、自分が思っているよりも変わっていくものだと言うけれど。


(いつも、いつだって、変わらない自分に絶望するんだ)


 変わらない自分を何度も突き付けられてきた芳文にとって、それこそが事実で。

 覆りようのない現実なのだ。


「助けてくれてありがとう」


 これだけは伝えて、芳文は急いでこの場から離れた。

 彼女の邪魔にならないところまで離れたところで振り返る。すぐに弥里のもとへ向かおうと思ったけれど、どうしても戦いの行く末が気になってしまったのだ。


「ふん、まったく……」


 遥子が鼻を鳴らす。

 芳文が離れたことを気配で確認し、跳び退った。それとほぼ同時に風の結界が消失する。限界ぎりぎりだった。もう少し遅ければ潰されているところだ。

 遥子の目の前で、抑えを失くした巨大鬼の拳が地面を砕く。

 前傾姿勢になった鬼へ、彼女はすかさず風を動かして突き上げる一撃を入れる。ガッという衝撃音とともに、巨大鬼がバランスを崩して後ろに仰け反った。

 鬼が態勢を整え反撃に出る間を与えず、遥子は次の手を打つ。鬼の体を風の拳でランダムに殴り続けた。その攻撃自体は鬼の硬質な体を打ち砕くには至らないが、しかし動きを鈍らせるだけの効果は十分にあった。

 その間に、これまでため込んできた力を開放する。

 巨大鬼を中心として、四方に竜巻を展開。逃げ場を奪い、確実に圧し潰していく。いくらこの場にいる少年たちよりも強大な力を持つ巨大鬼とて、これには耐えられまい。

 しかし。


「――――――っ!?」


 竜巻の中心で、紅の双眸がより一層光っと思った瞬間。

 巨大鬼はまるで扉を抉じ開けるがごとく竜巻を両手で押しのけ、平然と現れ出でたのである。そしてそのまま反撃に転じ、鋭い鉤爪を少女へと振りかざした。

 ここまでしても倒せない巨大鬼に絶望する感じてくる遥子だったが、それでも彼女は折れなかった。


「私は常盤遥子! 常盤の人間、常盤の術師!」


 名乗りを上げる。声を張り上げ、気合を入れ直すように。

 自分よりも遥かに巨大な相手をキッと睨め上げ、毅然とした態度で立ち向かう。


「だから負けられない! 絶対に、負けるわけにはいかない!」


 振り下ろされた鉤爪を防ぎ止め、今度は押し返した。

 反動で鬼がよろめいた隙に、力を再収束させる。

 遥子が挙げた両手の上で、橙色の風が輪となって展開し渦を巻く。周囲の大気をも巻き込んで、旋回した風がやがてひとつの形を顕現させた。

 巨大な風の槍。

 彼女が操れる最大級の力をもって形成された異形の槍が、両手を振り下ろす遥子の動きに合わせて巨大鬼の胸を貫かんと突撃する。


「ほう」


 と、感心した声をもらすクライブ。

 今度こそ巨大鬼が倒されるかもしれないという状況でも、その様子は相変わらず落ち着いたもので。もうその場に胡坐を組んで座り込んだりなんかして、呑気に戦況を愉しんでいる。


「しかし浅いな」


 ぼそりとクライブがそう呟くが早いか。

 少しの静寂の後、ごおっと粉塵を振り払う風切り音とともに地面を踏み直す轟音が響いた。


「……うそ、でしょ」


 粉塵の中から現れた漆黒の姿を遥子は呆然と見据える。

 今度こそ、打ち倒すことができたはずだった。それだけの手ごたえを確かに感じていて。

 だけど、巨大鬼は健在だった。

 遥子の風を真正面から受け止め、耐え凌いでみせたのだ。

 それでも無傷では済まなかったようで、胸には大きな蜘蛛の巣状のひび割れが入っている。ただクライブが言ったように傷は浅く、その一撃が硬質な体を打ち砕くには至らなかった。




  ***

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