Episode 21
鬼の右手に火球が炸裂する。弥里によって連続して撃ち込まれた攻撃は、しかし鬼の硬い腕を打ち砕くには至らず僅かに軌道がずれるにとどまる。
だがそれだけでも十分と、心の中で弥里に感謝の念を送る。雷の力を纏わせたままの剣で防御の構えを取り、拓海は拳を受け止めた。
「――――くっ」
凄まじい衝撃に顔を歪める。
圧し掛かる超重量の拳は上手く受け流しきれず、身体が弾き飛ばされた。
「がっっ!?」
背中から勢いよく地面に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まった。
瞬時に発動させた雷の鎧によってどうにか身を守ることには成功するが、それでもその衝撃を完全には殺しきれなかった。すぐさま立ち上がろうと身体の向きを変え、地面に手をつく。しかし上手く力が入らず、また地面に倒れ伏した。
頭上に気配を感じて視線を上に向けると、二撃目の拳が目に映る。
「……言う通りだったな」
弱々しく呟き、拓海は苦笑を零した。
この巨大な鬼を倒すには、圧倒的に力が足りなかった。遥子に言われた通り学院最強などと言われ、心のどこかで浮かれていたのかもしれない。〈ルミナス〉にしてもそうだ、そんな心の弱さがつけ入る隙を与えた。
だからこれは慢心した自分への罰なのだと、拓海は目を閉じ死を受け入れる覚悟をした。
そこに――
「諦めちゃ駄目です、先輩!」
と、弥里の声が届いた。
その声と同じように温かな炎が、拓海の身体を優しく包み込んだ。後方から伸びてきた桜色の炎は、彼を連れてその場から安全な場所まで退避させる。
目を開くと、離れた場所に立つ桜色のマフラーの少女の姿が見えた。
この状況において、彼女の瞳は絶望すら浮かんでいない。
小柄なのに、何て頼もしいオーラを放つことか。
だけど、彼女は拓海を救ったことで無防備になってしまっていた。
「比嘉……」
自分を救ってくれた彼女を助けたいと思うが、拓海はまだ力が出ない。
無防備となった弥里へ、周囲にいた小鬼が殺到する。
彼女を呑み込んで黒い山が築き上げられた。
「弥里!」
後方で芳文が叫ぶ。
何ができるわけでもないのに思わず駆け出していた。
でも途中でその足を止める。弥里が無事なことに気づいたからだ。当然だ、こんなことで屈するような彼女ではない。
「はーなーれーろっ!」
そんな声とともに黒い山の中から桜色の光が膨れ上がり、弥里を呑み込んだ鬼がすべて吹き飛ばされる。その中心に立つ桜色のマフラーの少女はやはり無傷で。
しかし自身に群がった鬼を打ち払った直後、弥里は凍りついた。
「…………え?」
思考が停止する。
目の前に大きな黒い壁があった。
でもそれが何なのかを、瞬時には理解することができなくて――
「あ……」
鬼の拳だと理解したときには、弥里はもう打ち飛ばされていた。
直前で青い光を見た気がしたけれど、それは気のせいだろう。その身に受けた衝撃は大きく、受け身を取ることもままならない。
小柄な身体は宙を舞い、何度も地面に叩きつけられた。もう何度目かもわからない打撃のあと、最後は温かい何かに受け止められた気がした。
「……弥里! 弥里!」
彼女の身体を受け止めたのは芳文だった。
華奢な肩を支えながら、彼女の名を必死に呼びかける。ぐったりと動くことのなかった弥里が、少ししてようやく目を開いた。悲痛な表情で覗き込む芳文を、真紅の瞳が見つめ返す。
「良かった。生きてる」
「……うん、大丈夫。生きてる」
弱々しくも微笑みを返した弥里に、芳文はほっと胸を撫で下ろした。
あの瞬間確かに弥里は死んだと思った。巨大鬼の拳をまともに受けて生きていられるはずがない。それでも大事に至らなかったのは、直前で拓海が雷の盾を展開していたからだった。弥里が殴り飛ばされる瞬間に見た青い光は、つまりそういうことだったのである。
「まずい……」
ドスンドスンと大きな足音が近づいてくる。
巨体の割に動きの軽い鬼は、大きな歩幅でここまでの距離をあっという間に縮めてくる。このままだとすぐに鬼の攻撃が自分たちに降り注ぐだろう。
弥里はまだ動けそうにない。彼女を抱えて逃げることもできるが、正直逃げ切れる自信もなかった。第一逃げるにしたって、この草原には結界が張ってあり、逃げ場なんてどこにも存在していない。
(だったら……)
芳文にできることはただひとつ。
自分が囮となって、彼女から巨大鬼を引き離す。
それが芳文に残された唯一の方法。手の平に灯る程度の小さな炎しか使うことができない芳文に、皆と同じように戦う術はなくて。だから、どう立ち向かってもこの状況を覆すことはできない。
だけどそもそもの話、何も別に戦う必要なんてないのである。
弥里さえ、助かればいいのだ。
そのために必要なのは、彼女に降りかかる脅威を取り除くこと。要するに、あの鬼の標的を自分にだけ向けさせればいい。それならば落ちこぼれの芳文にだってできる。そこに何の技量も必要ないはずだ。
(今度は僕が、弥里を助ける番だ)
そうと決まれば、芳文の行動は早かった。
弥里をその場にそっと寝かせ、彼女を守るように前へ出る。
「……って、そうだよ。どうすればこっち向くんだよあれ」
前に出たはいいものの、気を引く方法がわからず芳文は呆然と立ち尽くした。
感情を持たない相手には、言葉による挑発も通用しない。目前に迫る巨大鬼の視線は、なぜか今も弥里に向けられていて。芳文には目もくれず、このままだと芳文を踏み潰していきそうな勢いまである。
一体、どうすれば巨大鬼の気を引くことができるものか。
「あーもう、こうなったら!」
一か八か、持ちうる限りの力を放出して鬼の意識を引き付ける。
この場において最も力の弱い芳文が、果たしてこの方法で鬼の気を引くことができるかどうか。わからないけれど、やるしかない。このまま弥里のもとへ向かわせるわけにはいかないのだ。
鬼の進行方向に立ち塞がり、いつもは全力で消している存在感を、今ばかりは全力でアピールする。気づいてくれと必死に祈った。
(……頼む!)
そんな思いが通じたか、鬼の動きが一瞬止まった。
次の瞬間、ギロリとその視線がこちらへ向く。標的を芳文に変えたのがわかった。
「よし!」
それを確認した芳文は、迷わず左の方へ駆け出した。
全力で、とにかく弥里がいる場所から離れる。
逃げ足だけは自信があった。それでも芳文と巨大鬼との距離はすぐに縮まった。途中振りかざされた手が頭上を掠め、そのあとにも何度か危うい瞬間はあったけれど構わない。ただひたすらに走り続けた。
けれど、それも長くは続かなかった。
「え……?」
頭上を大きな気配が通り抜けていく。
思わず立ち止まった芳文は、眼前で起こった光景に目を疑った。
なんと、跳び上がった巨大鬼が芳文の前方に躍り出たのだ。
「えーっ!?」
驚愕する芳文へ、巨大鬼は振り返りざまに横殴りの一撃。
それを屈んでやり過ごした芳文に、さらにもう一撃。拳を振り下ろす。
「おわっ!?」
ぎりぎり跳び退って躱したものの、段差に足を取られて草原に尻餅をついた。
みっともない、なんて思う余裕もない。怒涛の攻撃はまだ止まらなかった。立ち上がるどころか避ける間さえもない速さで次の一撃が来る。
「あ……」
終わった。
そう思うが早いか、芳文目掛けて大きな拳が振り下ろされた。
***
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