Episode 12
黒い狼の群れが、木々の間を駆け抜けていく。
茂みの中にしばらく身を隠し、それをやり過ごした拓海と直也がため息を零した。
「……行ったか」
周囲を確認しつつ、茂みからそっと出る。
ところが芳文たち三人がいつまでたっても姿を見せない。彼らの気配を探ってみても近くには他に人の気配すらなかった。
「おい、あいつらいねえぞ」
「どうやら逸れてしまったみたいだな」
「どうするよ? 合図でも出すか?」
「いや、それではクライブにも居場所を教えることになる」
周囲にはまだ魔狼が駆け回っている。それを解き放っただろう
走ってきた方角を見据え、しばらく考えたのち。
「……先へ進むぞ」
拓海は向きを変えて歩き始めた。
そのあとに直也も続く。
「ま、これはこれで得かもしれねえな」
拓海の判断に否はなかった。むしろ不敵な笑みで直也は応じたのだ。
もとより、クライブを追跡するために選ばれた寄せ集めのメンバーである。仲間意識なんてものはないし、馴れ合うつもりだって端からなかった。
そんなことよりも、直也が狙うのはただひとつ。
手柄だった。
《ルミナス》は〈
それはお前も同じだろう、と先を行く少年の背中に投げかける。
「おめえも挽回したいだろうしな」
「…………」
それに対して、拓海は何も答えなかった。
ただ黙々と歩みを進めていく。さっきの衝突もあり、沈黙が続くとどうにも気まずい空気になってしまう。それが落ち着かないようで、直也が口を開いた。
「あー、あれだ」
その声に振り返る。
視線を受け止め、直也は首の後ろに手をやってばつが悪そうに言った。
「……さっきはその、悪かったな」
「別に、気にしていない」
「俺だってわかってんだ。俺にリーダーとか向いちゃいねえことくらい。けどよ、それはお前だって――」
そう言いかけて、直也は途中で言葉を呑み込んだ。
拓海が急に足を止めたからだ。その視線は林の先に向けられ、何かを鋭く睨みつけている。
「ん? どうした?」
怪訝な表情で、拓海の視線を追う。
「……テント?」
見れば、少し開けた場所にテントが設営されていた。
大きさは一人用くらいで、近くには焚火の跡も残されている。まだ真新しく、少し前まで使用されていたことが遠目にもわかった。
「奴のか」
「おそらく」
立ち入り禁止エリアであるこの古森で、テントを張るような人間は他に思い当たらない。素早く木陰に身を隠し、気配を探る。この距離であれば、辛うじて感じ取ることができる。
「誰もいねえな」
「ああ。だが、何かあるな……」
テント内にも、その周辺にも、クライブの気配はおろか人の気配すらひとつも感じられなかった。しかしその代わりに、そこには拓海たちも感じたことのない妙な気配があった。それと思い当たるものがあるが、まさかそんなことはないだろう。
「罠じゃねえのか?」
「そうだな……」
普通に考えれば、その可能性が高い。中に何かあるのではないかと思わせておいて、近づけば罠にかかるパターンだ。けれど何か思うところがあるのか、拓海は構わずテントへと向かって歩き出した。
「お、おい」
遅れて、直也もそのあとについていく。
幸い罠はないようだった。テントの側まで来たところで、拓海が振り返る。
「俺が入る。お前はここで見張っていろ」
「お、おう……」
言われるままに直也は従った。
妙に素直なのは罠だった場合、自分が危害を被らずに済むからだろう。きっと何かあれば、ざまあみろと笑うに違いない。
しかし、拓海にしてみればどんな結果になろうがどうでもいいことだった。もとより何があろうと傷つくようなことなどなく、やるべきことをやるだけだ。
テントの周りに罠が何もなかったからといって、その中にも何も仕掛けられていないという保証はない。拓海は念のため正面に立つのを避け、出入り口のファスナーをゆっくりと開けていく。
「…………」
静寂。何も起こらない。
数秒間を置いてから、そっと内部を確認する。
そして仕掛けがないことを再確認し、足を踏み入れた。
「……これか」
無造作に置かれたシェラフの側に、それはあった。
小さな箱。
それが、妙な気配の正体だった。
その箱には幾何学的な模様が刻まれ、何らかの術が施されている。それが結界のような役割を果たし、その中に入れたものが持つ強大な力を抑え込んでいるようだった。
拓海はテント内をもう一度見渡してから、その箱へそっと手を伸ばした。そして、慎重にその中身を検める。
「…………なっ」
箱を開けた瞬間、拓海は絶句した。
自分の目を疑った。何かの術にはまったのではないかと思った。それくらい信じられないものが、目の前にあったのだ。
箱の中にあったのは、《ルミナス》だった。
一見すると、龍の瞳のような形状をした光り輝く石。どこまでも純粋な高エネルギーを内包するその石は、〝至宝〟と言われるに相応しく、その理由が瞬時に理解できるほど、理解させられてしまうほどに美しかった。
実物を見るのは初めてだが、それでもその石が何であるのかなんて聞くまでもない。その真偽を確かめるまでもなく、本物の《ルミナス》だと感じ取れてしまう。
「……だが、なぜ?」
そこで浮かぶのは疑問だった。
何故このようなところに放置されているのか。置いておく理由がわからない。まさか苦労して盗み出したはずのものを忘れていった、などというようなことはないだろう。何か裏があるはずだ、と考えを巡らせても答えは見つからない。
ならば、これ以上考えていても仕方がないと思考をすぐに切り替える。
「まあいい。取り返せたなら……」
首領からの指令は、宝玉を盗んだクライブを追跡すること。また、可能であれば宝玉を取り戻すこと。
理由はどうあれ、今 《ルミナス》は拓海の手の中にある。それはつまり、自分たちが成すべきことは成したということである。あとは逸れてしまった三人と合流し、念のため芳文に宝玉の真偽を確かめ、〈
そう思って箱の蓋を閉じようとした拓海だったが、不意に動きを停止させた。
どうしても、宝玉から目を離すことができなかったのだ。引き込まれた意識は宝玉の中へと沈み、テントの外で風に揺れる梢の音も周囲のすべてが遠ざかっていくような感覚に包まれた。
やがて、心の内にある感情が湧きあがってくる。
それは衝動だった。
どうしてだろう。さっきまではそんなことひとつも考えてはいなかったはずなのに、今は無性に《ルミナス》を手にしたくて堪らない。自分のものにしたくて堪らなかった。
「この力があれば、俺は……」
そんな囁きとともに、拓海がついに宝玉へと手を伸ばしかけたそのとき。
「――って嘘だろ、おい! 何で効かねえんだよ!」
嘆きにも似た、そんな叫び声が耳朶を打った。
***
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