Episode 11

 目の前で起こったことに、芳文と弥里は二人揃って目を瞠った。

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。まさかあの気高き使い手、常盤遥子が何もないところで転ぶなんて思いもしなかったのだ。それだけに、その現実を受け入れるのに時間がかかった。


「ま、まあ、転ぶことくらいありますよ」


 弥里がフォローし、彼女のもとに向かった。

 遥子は俯いたまま、差し出された手を取って立ち上がろうとする。


「――痛っ」


 何かに右足を引っ張られ、立ち上がり損なった。

 痛みに顔を歪め、遥子は足元を確かめる。


「…………っ!」


 瞬間、息を呑んだ。

 彼女の足首を、白い手ががっちりと掴んでいたのだ。

 奇妙なくらい白く、か細い手。

 草むらの中から伸びたその腕は、まるで生気を感じられないくらいやせ細って見えた。

 けれど。

 それもそのはず、その手は〝骨〟だったのである。


「ひっ!?」


 恐怖のあまり、遥子は思わず後輩の足にしがみつく。


「……え」


 弥里もそれに気づき、硬直した。

 少女たちふたりの顔がみるみる青ざめていく。

 それは間違いなく、白骨化した人間のもので。

 なんでこんなところに、という当然の疑問が頭を過る。しかしよくよく考えてみれば、この森で息絶えた人たちの骨が残されていても不思議はなかった。なぜなら普段は誰も近寄らないこの古い森は、過去に少なからず行方不明者を出し、立ち入り禁止区域に指定された危険な土地なのだから。

 でも、だからといって。

 それが動くはずなどないのである。

 だけれど。

 それが現実なのだ、とそう突きつけてくるように。


「な、なあ。ふたりとも……」


 と言いづらそうに、芳文が少女たちを呼んだのだ。


「……こ、これ」


 振り向いたふたりは、芳文が指さした先を見て凍りついた。

 そこには、ガイコツがいた。

 立っていたのだ。

 比喩ではない。骨そのものの姿。

 見た目は、まさしく人体模型のような等身大の骸骨。けれど支えなどはなく、しっかりとした立ち姿に、カタカタと音を鳴らしながら動く口。本来であれば動くはずのないそれは、確かに間違いなく動いていて。

 そして。

 一歩、また一歩。

 と、こちらへ踏み出してくる。

 それに合わせて、芳文は思わず数歩後ずさった。


「……ん?」


 そのとき、何かが足にぶつかった。

 振り返ると足元に転がる白い塊。

 それもひとつじゃない。

 ころころと。同じようなものが背後にある急斜面を転がり落ちてくる。そのうちのひとつが何かに当たって飛び跳ね、芳文の両手にすっぽりと収まった。


「え……」


 思わず受け止めてしまったそれに目を落とし、ぎょっとした。

 頭蓋骨だったのだ。

 それも人間の。

 その顔は目なんてないはずなのに、こちらを見上げるかのようで。剝き出しの歯は笑っていることを表現するかのようにカタカタと音を鳴らす。


「――うえあっ!?」


 素っ頓狂な声をあげ、芳文は弾かれたように両手を振り上げる。

 放り投げられたそれは思いのほか高く跳び、転がってきた急斜面の方へと消えていった。

 遠くで落下音が聞こえ、やがて森に静寂が返る。

 が、それも束の間。

 それで終わりではなかったのである。果たして芳文が放り投げたそれがきっかけになったのかはわからないが、また転がってきたのだ。

 今度は大量の頭蓋骨仲間を引き連れて。

 その様は、雪崩のごとく。


「う、あああああああああああああああああ――――!!」


 絶叫する。

 それはもう、恐怖の光景だった。迫り来る髑髏どくろを前に、なりふり構わずその場から逃げ出した。

 女の子を残してきてしまったのは男として情けないとは思うが、今に始まったことではない。それに心配はいらない。少女たちの気配なら、すぐ後ろに感じていた。

 その証拠に、


「何してるんですか、先輩!」

「何してるのよ、馬鹿!」


 背後から罵倒が飛んできた。

 これは置いて行ったことに対して言っているのではない。髑髏どくろの雪崩を巻き起こしたことに対する文句。当然だ、芳文があれをあんなふうに放り投げなければ、大量の髑髏どくろが転がり落ちてくることなんて起きなかったはずなのだから。

 原因は自分にある。わかっている。わかってはいるけれど、それでも芳文は異を唱えるずにはいられなかった。


「僕のせいじゃない!」

「あんたが投げたからじゃない!」

「そんなこと言われても、しかた――」


 と言いかけた途中で、何かを察知した芳文がぴたりと足を止めた。

 目の前に、大きな穴がぽっかりと口を開けていたのである。その縁ギリギリに立ち、今度こそ落ちずに済んだと安堵する。

 が、しかし。


「……おわっ!?」


 どん、という衝撃を連続して背中に受け、芳文は宙に押し出された。

 すぐ後ろを走っていた少女たちが、急に足を止めた芳文にぶつかってしまったためだった。彼らが逃げ込んだのは、人一人が通れるくらいのけもの道で。芳文のすぐ後ろには少女たちがいた。落とし穴に気を取られ、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。 


「ごめんなさあああい!」


 最後にぶつかった弥里の声とともに、三人の姿は暗い穴の底へと消えていった。




  ***

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