Episode 9
直也が怒鳴り、今にも殴りかからんばかりの勢いで少女へと迫った。
対して、ゆっくりと立ち上がった遥子は淡々と応じる。
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪いの。それとも、阿呆と言ってあげた方がよかったかしら」
「言ってくれるじゃねえか、お澄まししてるだけのお嬢様が!」
「やっぱり見た目通りの馬鹿みたいね。私の方があんたよりも実力は上よ」
「俺をそこらのチンピラと一緒にすんじゃねえ! そんなもん、学院が勝手に決めたことだろ!」
「……やかましい」
言い争いを始めたふたりへ、拓海が冷ややかに告げた。
けれど、それで収まりがつくことはなかった。むしろ火に油を注いだだけだった。結果として、その矛先が拓海にも向けられたのである。
「あ? なんか文句あんのか。元はと言えば、てめえが捕まえときゃこんな面倒なことせずにすんだんだろうが」
「それには同感ね。そこの役立たずならまだしも、まさかあなたが取り逃がすなんて。学院最強なんてちやほやされて、調子乗ってるからじゃないの」
「悪かったな……」
と静かに答えた拓海。
その顔は一見すると無表情にも見えるが、僅かながら眉が
険悪な雰囲気がさらに増し、一挙に辺りを支配していく。三人の闘気が膨れ上がり、それぞれの視線が交わる中心で火花が散っているのが見えるかのようだった。
一触即発。
今にも三つ巴の戦いが始まろうとしていた。
「…………」
そんな様子に、彼らの傍で何とも言えない表情を浮かべる芳文。
そこの役立たずと言われ、思わぬとばっちりを受けた芳文ではあったが、感情に任せて彼らの争いに加わろうなどということはなかった。そういう言葉は言われ慣れているし、今さら怒りに燃えたりはしなかったのだ。
それよりも、早く止めに入った方がいいのではないかという気がしていた。しかしだからといって、この三人の間に割って入るような勇気もない。
結局どうすることもできずにいると、横にいた弥里と目が合って肩を竦めた。彼女も同じ気持ちのようで、ふたりは困ったように苦笑を浮かべる。
そんな彼らの気も知らず、直也がさらにふっかけていく。
「大体よ、一度しくった奴がリーダーってのはどうなんだよ」
「別に好きでなったわけじゃない。やりたければ、いくらでも代わってやる」
と淡々と答えたうえで、拓海はこう付け加える。
「だが少なくとも、お前に統率は無理だろう」
「そうね、馬鹿には無理だわ」
「ああ、馬鹿には荷が重すぎる」
「てめえら! いい加減に――」
頷き合うふたりに、直也の怒りが頂点に達した。
練り上げた気を拳へと収束させる。
それを解き放とうと踏み込んだ、その瞬間。
「――何か来る!」
そんな声に遮られた。
芳文だった。何かが近づいてくる気配を感知し、叫んだのだ。
直後、茂みの中から影が跳び出した。
そしてそれは、よりにもよっていちはやく気づいた芳文へと襲いかかってきた。
だがそれには反応が遅れ、防御する間もない少年に獣が容赦なく牙を剝く。
「おわっ」
後ろから引っ張られ、芳文が情けない声をあげた。
芳文の首根っこを雑に引っ張り、獣から救ったのは拓海だった。さらに一歩前へ出た彼は、標的を捕え損ねた黒い獣が次の狙いを定めようと顔をもたげたところへ、その首目掛けて群青色の刃を振り落とした。
「ガアアッ!?」
と、悲鳴にも似た呻き声があがる。
しかし、一刀両断するはずだった渾身の一撃は三分の一に止まっていた。
「くっ……」
仕留め損なった、その事実に拓海は顔を
奥歯を噛み締める。柄を握る両手に最大限の力を込めるが、それでも刃は進まない。そうこうしているうちに、抑え込まれていた獣が持ち直し始めた。
そして刃が振り払われそうになった、その瞬間――
「――――ッ!?」
土の槍が地面から飛び出し、その胴体を下方から貫いた。
止めとばかりに土の力を使ったのは、直也だった。先ほど収束させた力を、この獣へと使ったのだ。それでようやく獣は制止し、串刺しのままぐったり息絶えた。
「……
動かなくなった獣の容姿を見て、弥里が呟いた。
その正体は、『魔狼』と呼ばれる異形の存在だった。見た目こそ狼そのものだが、黒い毛並みに大きくがっしりとした強靭な肉体を持つこの魔物は、術師の力の前でもなかなか屈することのない、手ごわい相手だ。
得体のしれないこの古森なら、どんな怪物がいてもおかしくはないが、それでも魔狼がいるなんていう話は聞いたことがなかった。
クライブが放ったものだろうか。追っ手が来ることを考え、彼が解き放った可能性は高い。
「おいおい、まだ来るぞ!」
魔狼の足音を周囲の地面から感じ取り、直也が叫ぶ。
呻き声によって居場所が伝わったものか。森のあちこちから遠吠えがあがり、魔狼たちが群れを成してこちらへ駆けつけてくる。その数は徐々に増え、かなり多い。
「こりゃ俺らじゃ手に負えねえな……」
渋い顔をする直也。
悔しいが、相手は一匹倒すのもふたりがかりでやっとという力量を有する獣だった。それが十数匹ともなれば、とてもじゃないが今の少年たちに捌き切れるようなものではない。
となれば――
「逃げるぞ!」
それ以外に最善はない。
拓海の合図で、全員が一斉に走り出した。
***
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