Episode 8

「君のお父さん、高木浩輔は立派な人だった」


 唐突にそんな話を切り出した首領に、怪訝な表情を浮かべつつも芳文はその話に耳を傾けた。


「しかしな、そんな浩輔も最初は君と同じだったんだ。まともに力も使えず、ちょうど今の君のように周りからはよく馬鹿にされていたものだ」

「え、父さんが……」


 それは、初めて聞く話だった。

 多くの人に慕われていた父の話は、その活躍とともによく耳にするし、父と比べられることもよくあることだったけれど、そんな話は今まで聞いたこともなかったし、まさかそんな過去があるなんて思いもしなかった。


「浩輔がその力に目醒めたのは、二十代も後半だった。そこからの彼の活躍は、君もよく知っているところだろう」


 憧れの存在である父の、意外な過去。

 かつて落ちこぼれだった浩輔も、後に〈焔凪えんな〉の誰もが認める術師となった。その事実は、同じように落ちこぼれという壁に苦しみ、そこから抜け出せなくて葛藤している芳文に希望を与えてくれる。


「君は変わらないと諦めてしまっているようだが、案外変わっていくものだよ。いろいろなものに触れれば、誰しもがその影響を受ける。君がクライブに立ち向かおうと思ったようにな」


 そう言い添えてから、首領はゆっくりと立ち上がる。


「さてどうだ、芳文。もう一度、踏み出してみる気になったかな?」


 この問いに、どう答えたのかは言うまでもない。

 今となってよくよく考えてみれば、何だか上手いこと言い包められ、その言葉に乗せられてしまったようにも思う。それでもこうして首領に背を押されるまま、芳文はこの古い森の奥地までやって来たのだった。


(何で行くって言っちゃったんだろう……)


 ため息をひとつ。

 早く仲間たちに追いつかねば、と芳文は再び歩き始める。陰鬱な雰囲気も相まって、気分は上がらない。ここに至るまでにも、いろいろな気持ちが浮き沈みし、その感情が足取りを重くしていた。そんな風に悶々としているうちに、気がつけばひとり置いて行かれていたのだ。


(なんか魔狼まろうでも出てそうだな……)


 時折聞こえるガサゴソという音を全力で無視しながら、芳文は足を動かし続ける。

 薄暗い森の中をしばらく進むと、やがて視界に光が差し込んできた。

 眩しさに目を細める。その中を少し前へ踏み出せば、空気はがらりと変化した。立ち込めていた霧はもうどこにもなく、頭上には青空が広がっている。吹き抜けていく風が清々しく心地いい。今までの陰鬱な雰囲気が、まるで嘘のようだった。

 そして。


「やっと、追いついた……」


 開けた場所に出た芳文は、仲間たちの姿を認めて安堵する。彼らはこの場所で休憩を取っているところだった。


「遅せえぞ。そんなんだから能無しって言われんだ」

「……ごめん」


 飛んできた罵声に、苦笑を浮かべる。

 そこまでは言われてないと思いつつも、その言葉は心の中に留めた。

 相手は石動直也だ。下手なことを言えば、どうなるかわかったものではない。ここは反論などせずに、流しておいた方が身のためだ――と、そんな風に考えていると芳文を呼ぶ声が届いた。


「先輩、ここどうぞ」


 ぽんぽんと叩き、自分の左隣へ座るように促したのは桜色のマフラーの少女、比嘉弥里である。

 彼女の気遣いに感謝しつつ、芳文はレジャーシートの上に荷物を下ろす。そして座ろうとしたところで、弥里の右側に座っていたお嬢様然とした少女と目が合い、心臓がドクンと跳ねた。

 学園一の美少女、常盤遥子だった。

 彼女はそんな芳文の反応も気にせず、冷ややかな声で告げる。


「ちゃんと来たのね。てっきり逃げ出したのかと思ったわ」

「そんなことしないよ……」


 肩を竦める芳文。

 逃げられるものなら逃げたいところではあったけれど、そんなことをしても意味はない。ここで引き返したところで、共犯という疑いをかけられた芳文に居場所はないのだ。今戻ればおそらくは拘束され、手厳しい取り調べを受けるだけだろう。


「少し休んだら出発だ。もう遅れるなよ」

「あ、うん。わかった」


 最後に、念を押すように告げてきたのは学院最強と言われる青葉拓海である。

 この四人が、芳文のほかに首領によって選出されたメンバーだった。そして誰が決めたわけでもなく、最も実力のある拓海が自然とリーダーという形になっていた。それには誰も異はないようだったが、太い木の根にどっしりと腰を下ろしていた直也だけは小馬鹿にしたような口調で彼を呼ばわった。


「――で、この後どうすんだ? リーダーさんよ」

「とりあえず、あの山へ行く予定だ」


 拓海の視線が、遠くに見える山へと流れた。

 その視線を追っていき、直也が心底嫌そうな表情を浮かべる。目的の山はまだ何キロも先にあり、そこに至るまでの道のりは果てしなく遠くに感じられた。


「マジか。あそこまで行くのかよ」

「仕方ないでしょ、それ以外に手掛かりがないんだから」


 そう告げたのは遥子だった。

 自分たちが与えられた役割は、クライブを捜し出すこと。対して、自分たちが知り得ている情報は、彼が向かった方角だけ。それ以外の手掛かりは一切ないというのが現状だった。

 当然ながら、この広大な森からひとりの人間を捜し出せるような都合のいい能力なんて持ち合わせてなどいない。もっとも、そんな能力が存在するのなら、最初から見習いの身である少年たちを、わざわざ先行させる必要なんてありはしないのだが。

 故に、この状況下で今自分たちにできることは、クライブが次に取るだろう行動を予測し、彼が向かいそうな場所を一つひとつあたってみるしかなかった。そして、その中で最も可能性が高いのが、あの山ということだった。

 それは直也とて指摘されなくてもわかっていることではあるが、それでも言わずにはいられなかったのだ。小さく舌打ちし、直也はぼそっと呟く。


「いいよなあ、風の術師様は気楽で」

「は?」

「歩かなくても飛べるだろ。俺らになんか合わせてねえで、先行ったらどうだ?」

「そんなことしないわよ」

「何で?」


 真面目な顔で訊き返してくる彼に、呆れたように遥子がため息を吐く。

 確かに遥子は、彼女自身が使う風に乗って空を飛ぶことができる。最小限の力で地を滑るように移動することだって可能だ。それだけの実力を持っていた。

 ――しかし。

 力は無限ではないのである。

 この先で何が起こるかもわからない状況で、楽をしたいがために力の無駄遣いをすることは絶対にできない。もし肝心な場面で力が尽きでもすれば一巻の終わりとなる。それ故に必要以上の力は使わず、できる限り温存しておくのが術師のセオリーだ。

 そんなこともわからないなんてあり得ない、という感じで遥子は彼を見据える。


「それくらいわかるでしょ、馬鹿なの?」

「なっ、馬鹿だと! てめえ!」




  ***

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