Episode 7

「――どうして、こんなことになったんだ」


 木の幹に手をつき、森の中で芳文はひとりそんな声をあげた。

 歩き始めてから、一体どれくらいの時間が経っただろうか。濃霧によって行く先は霞みがかり、先を歩く仲間たちの姿もすっかり見えなくなっていた。

 木々が密集し霧に覆われた森は薄暗く、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。まるで異世界へと足を踏み入れていくかのようで、ひとりで歩くには少しばかり心細いものがあった。

 ここは、『古森』と呼ばれる巨大な森林。

焔凪えんな〉の背後に広がるこの大森林は、その名の通り古くから存在し、この土地の人々から恐れられてきた。その理由は、この森へ足を踏み入れた者は二度と帰らないと言われているからだった。

 それなのに――

 なぜ、そんな森に入ることになったのか。

 それには、昨夜起きた事件に関係があった。

 宝物庫から見事 《ルミナス》を盗み出すことに成功したクライブは、あの後あろうことかこの古森へ逃げ込んだらしい。というよりも、向かったと言った方が正しいのかもしれない。宝玉の起源を考えれば、古森の先にある龍が眠るという山を目的地とするのは至極当然のような気がした。

 そして図らずも当事者の一人になってしまった芳文は、目を覚ましてすぐ首領に呼び出され、予想外にも他四人の学生とともにクライブの追跡を命じられることとなったのだ。


 ――曰く、『先行して宝玉を盗んだクライブを捜索し、居場所を突き止めよ。また可能であれば宝玉を奪還せよ』と。


 まさかその重要な役割に自分が含まれようとは思いもしなかったが、しかしそれよりも驚いたのは芳文が共犯として疑われているということだった。首領によれば、ずっと落ちこぼれと蔑まれてきた芳文が、それ故に賊を手引きし宝玉を盗み出すことに加担したのではないかと考える者たちがいるのだという。


(とんだ、言いがかりだよ)


 確かにいつか見返してやるという気持ちはあるけれど、だからといってそんなことをしてやろうなどと思ったことは一度もない。そもそも、そんな勇気だって持ち合わせていないのである。

 しかし、あの時間あの場所にいたとなれば、そこで何をしていたのかという話にはなるわけで。となれば不審に思われるのは当然で、疑われても仕方がないことなのかもしれない。夜に外出してはならないというような規則は別にないのだから、とやかく言わる筋合いはない気もするが……。

 勿論ただ鍛錬をしていただけということは説明したし、単に巻き込まれただけだということも首領は理解してくれていた。それでも、お咎めなしとはいかないようで、拘束しない代わりとして宝玉を奪還するために力を尽くせと言うのであった。あるいは、自らの手で宝玉を取り戻してこいということだった。


「大丈夫、君ならできるよ」


 不安しかない芳文に、首領から告げられたのはそんな言葉だった。

 それを聞いて、何を根拠にと思った。未だまともに力も使えず、実習ですら活躍したことはないのに、こんな無力な自分に一体何ができると言うのだろうか。


「無理ですよ。知らないわけじゃないでしょう、僕は――」

「落ちこぼれ、か」


 芳文の言葉を先取るように応じて、首領は続ける。


「確にそうかもしれない。だが、この先もそのままとは限らないのではないかな?」


 そう言われれば、そうだとうなずくしかない。この先のこと、未来がどうなっているかなんて芳文にはわからない。誰にもわからないのだ。

 今はまともに力も使えない自分が、この先もしかしたら〈焔凪えんな〉一の術師になっているかもしれない。その可能性がまったくないとは言い切れないし、むしろそうあって欲しいと芳文は思う。

 父のように、立派な術師になること。

 それが芳文の目標で。

 だけど。

 そんな未来を想像することはできても、そうなると信じることは今の芳文にはどうしてもできなかった。

 未来に希望なんてひとつもない、と芳文は思っていた。


「芳文。君はクライブに立ち向かったと聞いたが、あれは嘘だったのかな?」

「それは……」


 嘘ではない。決して嘘ではないのだけれど、その事実よりも結果を後ろめたく思って芳文は首領から目を逸らす。


「でも結局、僕は何もできなくて……」


 一撃。たった一撃を受けただけで、打ちのめされて気を失ってしまった。だから立ち向かったと言えば聞こえはいいけれど、実際のところ何もできてはいないのだ。それは何もしていないのと同じことなのではないだろうか。

 それに、結果は目に見えていた。すぐに誰か人を呼ぶなりしていれば、もっと違う状況になっていただろう。しかし芳文は、自分が立ち向かうことを選んでしまったのだ。落ちこぼれという現実を変えたいと、そんな自分勝手な理由で。

 あのとき胸の中に湧き起った熱は、感情は、今はもうどこにもない。あるのは、あんな選択なんてしなければよかったという後悔だけ。あのときなぜ無謀にも立ち向かってしまったのかと、猛省してさえいるくらいだった。

 しかし首領の評価は、そんな芳文とは違うものだった。彼が見ているのは、そこではなかった。


「――よく踏み出した」


 首領はそう言ったのだ。

 驚いて振り向いた芳文に、首領は真剣な眼差しで言葉を継ぐ。


「周りの者はその結果だけを見て君を役立たずと言うかもしれないが、私は君を否定しない。結果はどうあれ、君は立ち向かった。そのことにこそ意味があると私は思っている」


 思わず涙が出そうになった。

 その言葉に、心が救われたような気持ちだった。どんなに苦しくても、諦めたいと思いながらも、それでも頑張ってきた。こんな自分でも、できることがあるのではないかと思ったから。信じてくれる人たちに背を向けたくなくて、その想いに応えたくて、立ち向かうことを決意した。

 結局何もできず、今度もまた無力さを突きつけられただけだったけれど……。

 それでも、何も成しえなかったという結果だけではなく。

 その努力を。

 その在り方を。

 見ている人は見てくれていて、評価してくれる人もちゃんといる。他人からすればほんの些細なことかもしれないが、それがどれほど心の支えになることか。

 ――だけど。

 もう一度、同じようにクライブと対峙したときに自分は立ち向かうという選択をできるだろうか。揺るぎない覚悟をもって踏み出すことができるだろうか。


(……たぶん無理だ)


 もうできる気がしなかった。クライブとの対峙で、すっかり心が折れてしまっていた。

 その心中を察した首領は、


「――君のお父さんは立派な人だった」


 と、唐突にそんな話を切り出した。




***

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