Episode 6
「私の名は、クライブだ。黎ではない」
名を改めた彼の声は冷たい。その表情に、直前まであった柔らかな笑みはすっかり消え去っていた。
ポケットから問題のものを取り出し、淡々と告げる。
「最初から、目的はただひとつ。すべては、この《ルミナス》を手に入れるため。そのためだけに、私はここに入った」
彼が〈
すべては《ルミナス》を手に入れるため。そのために、クライブは〈焔凪〉に潜入し、一所懸命に尽くすことで信頼を獲得した。そうして首領から宝物庫への立ち入り許可を得た彼は、今日まで最深部に至る方法を模索し、準備を重ねてきたのである。
「君たちに会ったとき、その番犬には気づかれてしまったものと思ったよ。それで少々焦ったが、《ルミナス》は無事に手に入れることができた」
その成果を見せつけるように宝玉を持ち上げ、勝ち誇った笑みを浮かべる。彼が視線を向けたソラは、すでに気を失っていて倒れたまま動かない。
あの大量の荷物は、宝物庫へ納めるように頼まれたわけではなく、むしろ宝物庫を攻略するために用意したものだった。何ヶ月も前から計画していたクライブは、今夜ついにそれを決行し、やり遂げたのである。それも図ったように首領や上級の術師が不在の日に。
夕方、彼と会ったときに気づいていたら……と思う芳文だったが、今から宝玉を盗りに向かおうとしているなんて誰が考えるだろう。そんな真意に気づけるはずもない。
「それを、どうするつもりなんですか?」
「《ルミナス》は、こんなところに眠らせておくにはあまりにも勿体無いものだ。力は使ってこそ意味がある、価値がある。それなのに、首領には使おうという意志がない。だから私が使ってやるのさ、この世界を変えるためにな」
クライブの手の中で、純白の輝きを放つ《ルミナス》。
そこに秘められた力は、芳文にもわかるほど強大で。もしその強大な力が悪意によって振るわれたとしたら、一体どんな結果を生むのだろう。きっと、とんでもないことになるに違いない。
「そんなことさせない」
咄嗟に応えてしまい、芳文は慌てて口をつぐむ。
思わず言い放ってしまった。そんなことできもしないのに。
(どうしよう。どうすれば……)
彼を止めなければ、と思うのは本心だった。けれどそう思う一方で、どうすることもできないと諦める自分もいた。
目の前にいるのは、首領の相棒ソラですら敵わなかった相手。そのうえ、宝物庫の最深部から宝玉を盗み出すという奇跡じみた所業を成し得た男だ。ろくに力も使えない、落ちこぼれの芳文が太刀打ちできるような相手ではない。
確かに、ここでクライブを捕まえることができれば、周囲から向けられる目は大きく変わることだろう。しかし、芳文にはもともと彼に挑む気すらなかったのである。《ルミナス》が盗まれたと聞かされて驚きこそすれども、その犯人を捕まえてやろうなどとはひとつも考えていなかった。
ただ運悪く、この場に居合わせてしまっただけ。
その流れで、クライブと対峙することになってしまっただけ。
それなのに。
(……それでも、逃げたくない)
そんな感情が、芳文をその場に踏み止まらせていた。
目の前にいる相手を止めることなんてできないかもしれないけれど。今までだって、みっともなくて、情けなくて、悔しくて、苦しい思いをいっぱい味わってきた。もうこれ以上失うようなものもなければ、傷つくようなこともない。今さら何を恐れることがあるのだろうか。
こんな自分でも、信じてくれる人たちがいる。その想いに応えたくて、彼らに背を向けたくなくて。
立ち向かうことを、心に決めた。
それを後押しするように、背後から夜風が優しくふわりと吹き抜けていく。手にしていた木剣を握り直す。怖気を勇気に変えて、芳文は一歩前へと力強く踏み出した。
「僕は〈
「だから、この私を止めると?」
その問いに頷き返し、芳文は地面を蹴った。
感心したように、クライブが小さく笑みを浮かべる。
「なるほど。君にもあるじゃないか、根性というものが」
しかし、表情が緩んだのも束の間。迎え撃つクライブはそう告げるとともに、右手に握り締めていた《ルミナス》を前へ突き出した。
――直後。
宝玉から強烈な光が放たれた。
「く……うあっ……」
視界が真っ白に染まったと同時、身体が弾き飛ばされる。
防ぐ間もなく、防ぎようもなく、気づいたときには地面を転がっていた。あまりに一瞬のことで、何が起きたのか理解することができなかった。
「…………っ」
すぐに起き上がろうと地面に手をつくが、失敗してまた倒れ伏す。
全身から、力が抜け落ちていく。それが《ルミナス》の光による結果なのだと理解したときには、もう立ち上がることすらもできなくなっていた。
「内なる力が目覚めることを祈っているよ、落ちこぼれの高木芳文くん」
そんな言葉が残され、遠ざかっていく足音。
光を直視したことで奪われた視界の中で、クライブの気配を追いかけて。
「ま……て……」
力を振り絞って手を伸ばすが、当然届かない。
やはり何もできないのかと無力さに打ちひしがれ、悔しさに顔を歪める芳文。次第に薄らいでいく意識の中で、そのとき新たな気配とともに声が響いた。
「――待て」
と、クライブの行く手を阻んだのは黒髪の少年だった。
闘気の宿った群青色の瞳が、男を真っ直ぐに捉える。整った顔には冷酷ともいえる冷たい表情が浮かぶ。芳文とは対照的なまでに力に満ち溢れた彼は、制服の上着を肩に羽織り、すでに鞘から抜き放った青色の剣を手にして、そこに立っていた。
「青葉拓海。さすがは学院最強の術師だ、対応が早い」
「そんなことはどうでもいい」
称賛するクライブに対し、黒髪の少年――
「ここで何をしていた?」
「何って? 見ての通りさ」
答えて、肩を竦めてみせるクライブ。
その様子に、拓海は眉を
「……まあいい。話は捕まえた後でじっくり聞いてやる」
「さて、君にそれができるかな」
不敵な笑みを浮かべ、クライブが再び駆け出した。
その手にはいつの間にか短剣が握られ、迎え撃つ拓海と激しく衝突する。
「……くっ」
勢いに押され、顔を歪める拓海。
防戦一方で、攻撃に転じる隙もない。
そのまま三度打ち合い、次の一撃を受け流してようやく反撃に出た瞬間――
「…………っ!」
拓海は男の姿を見失った。
「首領に伝えておけ、《ルミナス》は頂いたとな」
耳元で囁かれ、慌てて振り返る。
しかし、そこにはもう誰の姿もない。すぐさま探知した男の気配はすでに遠く森の中で、今から向かっても追いつくことはもう難しい。
「……何者なんだ」
呆然と立ち尽くす。
やがて、拓海はクライブが言い残した言葉を口の中で反芻した。
「《ルミナス》は頂いた……だと?」
この少年もまた、その事実をすぐには受け入れることができなかった。
しかし彼がコートの内に隠し持っていた妙な気配と宝物庫の有り様を考えれば、それが事実であるということは明らかだった。
「そんな、馬鹿な……」
そう呟き、拓海は静かな夜の森へと視線を向けた。
***
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