Episode 4
横を見れば呆れた表情を浮かべるソラがいて、その視線が痛い。
「情けないなあ」
「悪かったね、言われなくてもわかってるよ……」
と顔を背ける。
そんなことは今さらだ。改めて言われるまでもなくわかっている。
これはチャンスだったのだろう。きっと、今後彼女と話す機会なんてそうそう訪れたりはしないだろう。だけど、それでも芳文にはできなかったのだ。誰かに自分の想いを告げるなんて、どうしてもできなかった。
「はあ……」
深く息を吐いて、芳文は寮へ向けて歩き出した。
しかしドンという衝撃を身体に受け、その歩みはすぐに止められた。建物の陰から人が出てきたことに気づかず、ぶつかってしまったのだ。
「――おっと」
そんな声とともに、何冊かの本が音を立てて地面に落下した。
目の前には、段ボール箱を抱えた相手の姿。声からして男なのはわかったが、その荷物は驚くほど多く、箱に収まりきらずにうず高く積み上げられた本で相手の顔すら見えない。
「あ、すみません……」
「いやいや、こちらこそ」
横から顔を覗かせ、柔らかな口調で相手の男も謝る。
年齢は三十代半ばくらいだろうか。くせのある茶髪に碧眼。すらりとした長身で、芳文より頭一つ分くらい高い。こちらへ向けられる優しげな表情には一切澱みなく、見た目にも穏やかな雰囲気が伝わってくるようだった。
「悪いね。上に乗せてくれ」
「……すごい荷物ですね」
地面から拾い上げた数冊の本を、芳文は言われるまま上に乗せていく。抱えた荷物の量を考えれば相当な重さになるはずだが、それでも彼は平然としたものだった。それは彼が術師であるからで、芳文もそこに驚いたりはしない。
「首領に頼まれてね。宝物庫内にある本棚に、とのことだ」
「大変ですね。良かったら手伝いましょうか?」
学院を有する〈
「いや……」
答えかけた彼の視線が芳文の横に向けられる。それを追って振り返ると、彼を睨みつけるように見据えるソラの姿があった。ふたりの視線を受けても、ソラはじっと男の方に金色の双眸を向けたまま動かない。
怪訝な表情を浮かべ、芳文が訊く。
「どうかした?」
「……ああ、いや。何でもない。ちょっと考え事をしていただけだ」
芳文の声にやっと我に返ったソラが首を横に振った。
それからもう一度、男の方へと向き直る。
「悪いな、
「いえ……」
「俺も何か手伝ってやりたいところではあるんだが、このあと用があってな。だから、ここで失礼させてもらうよ」
そう断りを入れてから、ソラはふたりに背を向けた。
「じゃあな、芳文。諦めずに頑張れよ」
「あー、うん……」
走り去っていくソラを呆然と見送る。
前から思っていたことではあるけれど、相変わらず神出鬼没な狼である。黎と呼ばれた男の方を見れば、彼も何とも言えない表情を浮かべていた。目が合ったふたりは揃って苦笑し、やがて黎が口を開いた。
「――それじゃあ、僕も宝物庫へ向かうとするかな」
「あ、はい」
「手伝うと言ってくれて、ありがとう。でも、これは僕の仕事だからね。君の手を煩わせるわけにはいかない。だから、その気持ちだけ受け取っておくよ」
にっこりと微笑み、黎は宝物庫へと向けて再び歩き始めた。
その背中を見ていたら、ふと父の姿が脳裏に浮かんだ。
どうしてなのかはわからない。もしかすると読書好きの父が、何冊もの本を抱えて家に帰ってきたときの姿と重なったのかもしれない。
数年前、仕事中に行方知れずとなった父。彼は自他ともに認める読書バカで、暇さえあれば本を読み、図書館に数日籠ることさえもあったような変わり者だが、しかし術師としての評価はかなり高く、幾度となく〈
芳文にとっても、彼は憧れの存在である。
父親としても、術師としても。
それは、今でも変わらない。いつか父のように立派な術師になりたいと、その背中を必死に追いかけている。
「……いつかは、父さんに追いつくことができるかな」
「できねーよ」
「えっ!?」
寮に入ったところで、思わぬ方向から声が返ってきて目を瞠る。
どうやら口に出してしまっていたらしい、ということに遅れて気がついた。しかも、よりにもよって面倒な相手にそれを聞かれてしまった。彼は念を押すように突きつけてくる。
「お前じゃ無理だ、落ちこぼれの高木芳文」
そう嘲るように告げたのは、
逆立てた茶髪に、鋭い目つき。右頬のあたりに大きな刀傷があり、口元には好戦的な笑みが浮かぶ。着崩した制服は芳文と同じ色で、身長もさほど変わらないが、細身の芳文に比べてがっしりとした体躯の彼は、逞しいという言葉が似合う。
見るからにガラが悪く不良のような雰囲気の直也だが、その実、成績優秀で術師としての実力もかなり高い。芳文は実習で、幾度となく彼に叩きのめされている。今日もこっぴどくやられたばかりだった。
「今日はずいぶん頑張ってたみてーだけどな」
「……うるさいな」
苦し紛れに言い返すも、立場は変わらない。
琥珀色の双眸にギロリと睨まれる。
「そう思うんだったら、てっぺん取ってみせろよ」
「ああ、やってやるよ!」
目を逸らしたくなるような鋭い視線を真っ直ぐ受け止め、芳文は言い切った。
そう言い切ってから、はっとなった。
「あ……」
悔しくて思わず切り返してしまった。そんなことできるはずもないのに。
しかし、後悔したところでもう遅い。一度口から出てしまった言葉は、もう戻すことはできない。そんな生意気なことを言って、一体どんな目に遭わされることだろう。そう思い身体を委縮させる芳文だったが、対する彼の反応は予想とは違っていた。
「へえ、そいつは楽しみだ」
一瞬驚いた顔を見せるも、直也はすぐにニヤリと笑みを浮かべた。
そして、
「まあ精々頑張るんだな」
と、そう言い残して去っていく。
呆然と、芳文はその背中を見送った。
「…………」
しばしの沈黙の後。
彼の姿が見えなくなったところで、芳文は拳を壁に叩きつけた。
(くそっ!)
込み上げてくる悔しさ。ただ悔しくて、悔しかった。口では強がっても、彼を見返すことはできない。今の芳文では、どんなに足掻いても彼の足元にすら遠く及ばない。
「……僕は、無力だ」
壁に額をつけ、呻くように吐き出した。
目には涙が滲む。
当たり前にできることが、できない苦しみ。
何度も突きつけられて、嫌になるほど思い知った。
変わらない。
変われない。
どんなに足掻いても、それが現実だ。
父さんは、大勢を救った。
でも、芳文は違う。
昼間見た夢のように、たとえ仲間が倒れゆく姿を前にしたとしても、何もできはしないだろう。あの夢の中でそうだったように、ただただ立ち尽くしていることしかできないだろう。
結局、高木芳文は何も成し得ることができないのだ。
父さんに追いつくなんて、夢のまた夢で。そんな願望を抱くことさえも、きっとおこがましい。
――『大丈夫ですよ! 先輩なら、すぐに立派な術師になれます!』
ふと、そんな言葉を思い出した。
それは、弥里がかけてくれた言葉。
きっと、ソラや父さんも同じことを言うだろう。
「どうして……」
どうして、信じてくれるのか。
こんな自分に向けられる、彼らの優しさ。
それが、痛くて苦しかった。
いっそ見捨ててくれればいいのに。
と、そう思ったら、今まで抑えていた感情とともに涙が溢れて止まらなくなった。
***
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