Episode 2
ビクッと肩を震わせ、芳文は声がした方へ慌てて振り向く。
向けた視線の先には、こちらへ大きく手を振る少女の姿があった。
ボブカットの栗色の髪に、大きな瞳は宝石のように透き通る紅。愛嬌のある顔立ちと低めの身長が可愛らしい印象を与え、その雰囲気はどこか小動物を思わせる。芳文とは違う学年を示す色のラインが入った学院の制服を纏う彼女は、首元に桜色のマフラー、両脚に桜色の銃が入った赤いホルスターを身につけていた。
「……なんだ、弥里か」
少女の名を呟く。
ひとつ下の後輩、
急に声をかけられてびっくりしたが、相手が芳文のよく知る少女だとわかって安堵し脱力する。よくよく考えてみれば、自分に声をかけてくる女の子は彼女以外にいないのだった。そんな残念な少年である。
「なんだとは何ですかー」
と、こちらへ歩み寄ってきた弥里が頬を膨らませる。
その表情は何とも可愛らしく、芳文は思わずふっと笑みをこぼした。
「ごめんごめん。会えて嬉しいよ、弥里」
弥里の見た目についつい忘れてしまいがちだが、彼女は学院内でトップクラスの実力を持つ術師である。それなのに分け隔てなく接してくれる彼女に、芳文がどれだけ心救われていることか。弥里に声をかけられてがっかり、ましてや嫌なんてことあるはずがない。
「……私も嬉しいですよ、芳文先輩」
頬をほんのり赤く染め、弥里は微笑んでそう小さく口にした。
性格にしても力量にしても対称的なふたり。そんなふたりが出会ったのは、半年ほど前のことだっただろうか。ちょうどこのあたりで、彼女が上級生たちに絡まれているところを助けたのがきっかけだった。
そう、それはもう先輩らしく恰好よく――なんていうのは嘘で。落ちこぼれの芳文が、彼らに太刀打ちなんてできるはずもなかった。できたのはせいぜい少女の盾となるくらいで、『落ちこぼれのくせに生意気な』という感じで返り討ちに遭ったのは言うまでもない。
結果として、助けられたのは自分の方で情けない姿をさらしただけだった。
という過去を思い出してしまい、またため息が出そうになってかろうじて呑み込んだ。
「…………?」
視線を感じて意識を現実へ戻すと、こちらを見つめる弥里と目が合った。
彼女は小首を傾げ、芳文を呼ばわる。
「ところで芳文先輩」
「うん?」
「服がぼろぼろなのはいつものことだけど」
「う、うん」
「何だか今日はいつになく暗いですね。何があったんです?」
「それは……」
言いかけて、言葉に詰まる。
彼女の指摘は的確で。こちらへ向けられる真紅の瞳は、まるですべてを見透かしているかのようだった。もちろん弥里にそんな能力はないのだけれど、彼女はほんの些細な変化もよく気づくので、そんな風に思えてしまうのだった。
確かに芳文は、悪夢をみていつも以上に気持ちが沈んでいた。別に隠すようなことでもないが、かといって『なんか嫌な夢みちゃってさ。自分の叫び声で目が覚めたんだよね』なんて笑って話せるような明るい性格でもなかった。
だから彼女ならわかってくれるだろう、と苦し紛れに誤魔化しの言葉を口にしておく。
「――察してくれ」
「あ、あー」
弥里から苦笑とともにそんな声がこぼれる。
一言でなんとなく通じてしまうくらいには、彼女との付き合いは長い。
「大丈夫ですよ! 先輩なら、すぐに立派な術師になれます!」
両手でガッツポーズを作って励ます弥里。
けれど、その言葉は今の芳文には届かなかった。
「そんなのむ――」
「無理、じゃないです!」
遮って、先取るように弥里が言い切った。
確かな自信をもって、彼女は告げる。
「無理じゃないですよ。絶対になれます。私だって最初は、へっぽこだったんですから」
誰だって最初はみんな同じだ。そこから始めていくのである。
今では学院トップクラスの術師になった弥里も、最初から力に秀でていたわけではない。何度も壁にぶつかって、それでも諦めず必死に努力して、乗り越えてきた。それが、その経験が今の彼女に自信を与えていた。
春風に緑の葉が心地の良い音を奏でる。さわさわと揺れる木漏れ日の中、弥里は胸に手を当て真っ直ぐに想いを伝えていく。
「私はちゃんと知ってるんですよ、先輩がすごく努力してること。どんなに笑われても、馬鹿にされても、必死に向き合って、毎晩欠かさず特訓もして……。そんな風に逃げないで必死に頑張る先輩は、できるからって楽をしてる他の先輩たちなんかより、ずーっと格好良いです! だから――」
勢いのままに、彼女は溢れてくる気持ちをぶつける。
強く、想いを込めて。
「――だから私、先輩のことが好きなんです!」
「…………っ!」
芳文は目を見開いた。
突然の告白に、驚きのあまり返す言葉が出てこない。そうこうしているうちに、先に弥里がはっとして声をあげた。
「ああっ!?」
自分の発言に気づいて、弥里は顔を真っ赤に染めた。
次いで、なぜか弾かれたように頭を下げる。
「いきなり変なこと言ってごめんなさいっ!」
「…………」
口を開きかけた芳文の前で、彼女は恥ずかしさを誤魔化すように慌てて言葉を取り繕う。
「えっと、だからその……諦めないで欲しいというか……」
必死に取り繕う弥里の様子に、つい笑みがこぼれた。彼女の言葉が純粋に嬉しかったというのもある。こんな風に自分のことを想ってくれているなんて考えもしなかったから。
立ち上がった芳文は、ぽんと彼女の頭を撫でる。
「ありがとう、弥里。おかげで元気が出たよ」
「……え、あ、それは良かったです」
恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに弥里が微笑みを返した。
***
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