一日目~少女のランタン~

 日も沈む午後六時。俺は何かをするわけでもなく家に引きこもっていた。

 大木をくりぬいて作ったツリーハウス。枝と枝をハンモックで繋いでいる。ご近所さんはもう家族のような関係性。近所の村娘と一緒に夕飯を食べることはしょっちゅうだし、たまに子守を任されることもある。

 果物の置いてある棚に置いてある写真立て。その写真に写っているのは、俺……の様に見えるが兄だ。二つ上の兄で、俺が十二の時に魔物に喰われてしまった。だから残った骨もほとんどなく、歯しかない。

 そして俺は今年で十八。十四歳で亡くなった兄の年齢をとうに越している。

 両親もまた、俺が生まれてすぐに魔物に喰われた。顔も知らない。そんな俺の親代わりになってくれたのはご近所さん、そして兄。

「兄貴……?」

 凛々しく微笑んだまま全く動かない、写真の中の兄。彼が喰われるところを俺は、生で見た。10センチ目先、兄が喰われた。その瞬間を。


 腕が牙でもぎ取られ、大量出血。骨髄も丸見えだった。

 絶叫して悶え苦しむ兄の姿は鍋底の錆のようにこびり付いて頭から離れない。四肢をその残酷に鋭い牙でもぎ取られた後も辛うじて兄は生きていたが、首をもぎ取られたその瞬間、兄の意識は無くなった。骨の髄までしゃぶり取られ、残ったのは歯だけ。


「ああ……」

 その惨状を思い出すだけで目眩がしてくる。

 外にある湖。星鏡が揺らめく。もうこんな時間か。空想にふけっていると、どうも時間を忘れてしまう。時計は九時を指していた。

 そろそろ飯作って、水浴びでもして寝よう。今日はオートミールにしようか……。

 俺は立ってキッチンに向かう。その瞬間、扉からノックが聞こえてきた。短夜の来客。一体誰なのだろうか。

「はい」

 扉を開けると、そこには一人の少女が立っていた。

 彼女はとても美しかった。チョコレートのように甘いブラウンが柔らかく結われているハーフアップ。果実の表面のようにみずみずしく柔らかい白い肌。ポピーの花のように可憐なレッドの瞳。とても怜悧な顔立ちをしている。華奢な体は紅いワンピースによって包まれ、小さな足を包むのは黒いハイヒール。手には消えそうな蝋燭が淹れられたランタン。

 きっと見た限り、異国からの冒険者であろう。

「……私は真紅の森からの者です。ナビール・エマ・ザフルと申します。真紅の森より逃亡して参りました」

 真紅の森、スカーレット・フォレスト。罪深き欲に満ちた、化け物の森。ここから何千里も離れた森。何故そんなところからはるばるここへ来たのだろうか。逃亡なら真紅の森からすぐ近くの海の森、オーシャン・フォレストでもよかっただろうに。ここ、北の森、ノーザン・フォレストは相当遠かっただろうに。

 それにしてもこの少女、洋服も薄汚れているし、長旅で疲れていそうだ。乙女をこのままにしておくわけにはいかない。

「俺はリブル・マドゥルガーダ。取り敢えず入りなよ」

「ありがとうございます」

「俺は飯作ってるから、水浴びでもしてくれば? そこの湖はそんなに水も冷たくないし。洋服も洗ってくればいいよ」

 彼女を案内した後、俺はオートミールを温めた。女を家に入れるなんて初めてかもしれない。いや、ご近所さんは何回も入れているけども……。

 静寂の夜に現れた彼女。一切の情報も読み取れない儚げな彼女。

 本当に何者なのだろうか。

「ただいま帰りました」

 見ると、ナビールが水浴びから帰ってきていた。バスローブに身を包み、少し寒かったのか頬を紅潮させている。可愛いな。不覚にもそう思ってしまった。

 それにしてもいつまでもバスローブなのも可哀想だな。でも俺の家には女の子の着る服なんてないし……あ、そうだ! 


「何? こんな遅くに」

 隣の家の娘であるイネスを訪ねる。眠い目を擦りながら出てきた彼女のブロンドは所々跳ねている。

「いやさあ、なんか突然女の子が迷い込んできていて。洋服とか良かったら貸してくれない?」

「ああ、そう……まあいいけど」

 コイツ絶対話聞いていないな。そう思ったものの彼女はきちんと服を貸してくれた。白いブラウスとネイビーのフレアスカート。黒のソックスと編み上げブーツ。

「お前こんな服持ってたんか」

 バカにするように言うと睨まれた。やべえ殴られる。俺はダッシュで帰宅した。

 

 俺はすっかり冷めてしまったオートミールをナビールに差し出す。彼女は震える手でスプーンを持つ。相当、疲れているのだろう。小さな口がオートミールを飲み込む。

「……おい、しい」

 その言葉に俺は胸を撫で下ろした。彼女が美味しいと言ってくれた。それだけで嬉しかったのだ。

 明日はきっと、蒼穹が見れるであろう。彼女の家を探してあげなくては。

「あなたは森の守り人」

 ナビールがそっと呟く。ミステリアスな口調。「あなた」とは、何を指しているのだろうか。

「リブルさんは、森の守り人。これは『開闢の大樹』に定められた運命。あなたが場所も分からないヴィダ・フォレストを目指すのだって開闢の大樹に定められている。聖王はリブルさんを選んだ」

 意味がわからなかった。開闢の大樹と言えば、この世界の何処かにあると言われているサン・フォレストとムーン・フォレストの中にある、この世界を護っている大樹。

 ヴィダ・フォレストは、俺が今探している場所。死者の墓場。そこに行けば死者に会えると言われている。だが場所は解明されていない。何処の地図にも載っていない。ある人はひたすら北東に進んでいれば辿り着いたと証言し、ある人は川でおぼれて目が覚めたらそこにいたと証言し、(もしかしたら死にかけていた?)ある人はドアを開けたらそこにいたと証言する。

「どういうこと?」

「そうやって人に聞いてばかりじゃ何もわかりませんよ」

 打って変わって強い口調になったナビールに俺は仰け反る。ギラっと輝く瞳は、全ての始まりを意味していた。光輝いていた。彼女は。

「全部、自分で見なきゃ。じゃないと面白くないです」

 彼女はにこりと微笑むと、立ち上がった。全部彼女は知ってるな。思わず微笑する。


 長い長い旅が、はじまる。



 

 

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樹海に溺れる。~君と死んだ兄を捜した222日間の日記~ れしおはる @Haru0706

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