樹海に溺れる。~君と死んだ兄を捜した222日間の日記~
れしおはる
序章 ~彼の日記~
空は青く。風は白く。森は緑に。
ノルテ王国の樹海の中を今日も闊歩する少年、リブル・マドゥルガーダは暁闇の空を見つめ、じっと何かを考えていた。
「……あ」
力の入っていない声、響く。
あの日からもう二百二十三日経ったのだ。そう思うとリブルの体からスッと魂が抜けたように、彼は生気の無い目をする。紺碧の瞳に輝きは無く、液体の様に艶のあったはずのダークブラウンの髪の毛はパサパサと乾燥していた。
乾いてひび割れた唇。粉をふく白いけども泥で穢れた肌。
リブル・マドゥルカーダという美しい少年は、確かに存在していた。だがあの日から二百三十三日経った。その事実だけで彼は、衰弱の青年と化してしまった。
「かのじょ、に、あいたい。ああ、あいたい」
彼の口から紡がれる言葉はもう、言葉としての役割を果たしていなかった。その声は誰にも届かないのだから。あいたい、と紡いだ言葉も、もう誰にも届くことはなく、儚く夜明けの空に散る。
「もういちど、だ、け」
『リブル!』
彼の頭の中にある少女の声がよぎる。その瞬間、リブルは目を覚ました。神が覚醒するかのように。新たな時代の開闢を表すかのように。
リブルが今頼りにしているのはその少女の声だけ。ただそれだけ。他になすべきことはない。ただ少女の声に耳を傾けるのみ。
彼の住む世界モンターニャ。彼はこの世界の全てを知った。知ってしまった。
彼は救われた。
彼は目を覚ました。
「あの少女」のおかげで。
頭の中に浮かぶ、チョコレート色のハーフアップヘアにポピーレッドの瞳。紅いワンピースを揺らして舞う、あの可憐で美しき少女の姿。
彼は思い出した。そして今彼は力を欲した。その願いは集中していき、やがて強い光となる。
「ナビール・エマ・ザフル! もう一度、俺のもとに来い!」
『リブル?!』
彼は、目の前に温かな涙を流しながら立っているあの小さな少女がいるという現実を直視できなかった。証拠として、彼の視界は今ぼやけている。
乙女の小さく繊細な手が彼の手を包んだ。手と手が交わるそこに、雫が一つ、また一つと滴り落ちる。その雫も交わり合う。その瞬間、二人は喜びを感じた。
彼は少女を抱きしめようと手を伸ばし、背中に回す。だが次の瞬間、少女は夕陽のように優しい笑顔を浮かべて、金の粉となり散っていってしまった。
これは、夢ではない。そのことは確かだった。
『悠遠の時を超えて、私は、貴方に逢いに来たんだよ』
声だけ、ずっと聞こえていた。それも彼の悲しさを助長させる。
切り離されるより、曖昧な方が辛いのだ。
彼は既に力尽きていた。彼の死に顔は、とても安らかで、静かに、まるで神のように微笑んでいた。
「ずっと」
これはきっと遺言だ。彼の。彼の死に様はきっと、誰も知らない。
死んだ彼のすぐ隣に、小さな手帳が落ちている。
タイトルには、「君と過ごした二百二十二日」。どうやら日記の様であった。表紙を開くと、几帳面な文字が綴られている。
ここにきっと、彼と彼女の全てが記されているのだろう。
彼は、これを遺すために生まれてきたのかもしれない。
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