第487話 罪な男

 やはりこの人は頭がいい。この短時間で必要な単語を覚え、切り替えられるようにもなった。


「あとは使って慣れていきましょう」


 その日はそれで終わり、朝の七時に食堂に集まることを告げて解散した。


「シエイラ。必要なものはあるか? ホームから持ってくるぞ」


「だからマスターはわたしの母親ですか? 自分のことは自分でやりますよ」


「母親がいたのか?」


 あなた、孤児でしたよね? 母親のこと知っている口振りだよ、それ。


「姉が母親のような人だっただけです」


 そう言うと、食堂を出ていってしまった。オレ、なんか地雷踏んだ?


「気になさらず。シエイラはあまり過去を話さない女ですから。逆に、タカトさんに心を開いているのが驚き……でもないですね。あなたはそういう人ですし」


 どういう人だよ? オレは特別なことはやってないぞ?


「まったく、面倒な女だ」


「そんな面倒な女と平気で相手できる男なんですよ、あなたは」


 そう言うとルスルさんも食堂を出ていった。なんなのよ?


 職員に目を向けるが、おれ知らね~! とばかりに食堂を飛び出していってしまった。


「なんだよいったい?」


 ワケワカメと、新たにワインを取り寄せてラッパ飲み。オレ、ハブられてる?


「おじさん、おつまみです」


 ルクク……ではなくて、マナナが皿にキャベツっぽいものを切ったのを持ってきた。


「まだ起きていたのか?」


 もう二十一時だ。子供は寝る時間だぞ。まあ、オレがマナナくらいの頃は二十三時に寝てたげど。


「明かりがあるうちに文字の勉強してるの。宿の仕事は読み書きできないと困るから」


「へー。それは偉いな」


 オレは忙しくて学んでいる暇もないよ。タブレットで時間売ってねーかなー。


「なら、これをやる」


 ノートとボールペンを取り寄せた。


「これに書いて覚えるといい。ただ、これには魔法がかかっていて、オレが触れないと十五日後に消えてしまう。しばらくここに泊まるからそれまで使うといい」


「これ、紙?」


「ああ。ゴブリン駆除員が買える安いものだ。気にすることなく使うといい」


 ノートを開き、ボールペンの使い方──以前に握り方を教え、ノートに書かせた。


「へー。字が綺麗なんだな」


 なんか英語っぽい文字でなんて意味かわからないが、文字が綺麗ってのはわかる。これ、達筆だ。


「そ、そうかな~?」


「ああ。綺麗な字だ。マナナってどんな字だ?」


「こうだよ」


 ノートにマナナと書かれた。これでマナナと読まれるんだ。

 

 オレもスケッチブックとペンを取り寄せ、マナナと書いてみた。んー。なんかいまいち。まあ、それほど字が上手いってわけじゃないしな。こんなものか。


「マルスって書けるか?」


「書けるよ」


 ノートに書いてもらい、オレもスケッチブックに書いてみた。


「これがマルスか」


 もう一回書いてみる。うーん。やっぱりしっくりこないな~。


 下手にしゃべれるからか、あまり字を覚えようとする意志が弱い。こうして書いてもあまり頭に入ってこない。が、こんな幼い子ががんばっているのに大人として情けなさすぎる。チャンスだと思って学ぶとしよう。


「他にも知っている文字はあるか?」


「うん。じゃあ、マレセラーノね」


 マナナに書いてもらったらオレは写すとやっていく。


「お客様。そろそろ火を落とします」


 と、女将さん的な女性がやってきてそんなことを言った。あ、もう二十二時を過ぎてたよ。


「わかりました」


 ちょっと乗ってきたところだが仕方がない。働く子供をこれ以上酷使はできないからな。


「ありがとな。勉強になったよ。これは教えてくれた礼だ」


 金ではなくきっとなカットの袋を取り寄せてマナナに渡した。


「これも触らないでいると十五日後に消える。その前に食べろよ」


 袋を破り、中から一つ出して包装を破いて食べさせた。


「……美味しい……」


 甘いって味覚は知らないのか? まあ、孤児であり甘いものがそうあるわけでもない。知らなくても無理はないか。


「寝る前に歯を磨けよ。歯の手入れを怠ると酷いことになるからな。お休み」


 マナナの頭をわしゃわしゃして食堂を出た。


 部屋に戻ったらホームに入り、ミサロに外で寝ることを伝えた。


「了解。ビシャたちの準備ができたから明日の朝に出るそうよ」


「そうか。ミリエルによろしくと伝えてくれ」


 そう言ってホームを出た。


「高級な宿でもベッドは固いな」


 マットレスを出すか? いや、片付けるのが面倒か。このまま寝るとしよう。


 と、ドアがノックされた。この気配、シエイラだな。


「どうした?」


 鍵を外してドアを開けると、食事時の服装のままで、手にワインを持っていた。


「一緒に飲みませんか?」


 なにか物言いたげな表情だ。やはり支部長となんかあったのかな?


「わかった。付き合うよ」


 きっと誰かといたい気分なんだろう。少しくらい付き合ってやるか。


 部屋に入れ、グラスを取り寄せてワインを注いだ。


 これと言った会話はない。ただワインを飲み、十分もしないで一本開けてしまった。


「……一人は寂しいものですね……」


「そうだな。寂しいな」


 すべての関係をダメ女神に切られてしまい、右も左もわからない異世界に連れてこられたときは怖さと寂しさで泣いたものだよ。


「だが、今はたくさんの人に囲まれている。ありがたい限りだ」


 確かに失ったものは多い。だが、こうして得られたものもまた多い。なくしたくないって思うくらいにな。


「自分の居場所は自分で見つけろ。見つけたなら逃すな。自分がいやすいよう築いていけ。お前が幸せになるためにな」


 ワインをもう一本取り寄せ、シエイラのグラスに注いでやった。


「そういうところですよ!」


 なんか意味不明に叫ばれて、ベッドを占拠されてしまった。なんなの、いったい……?

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