第2話 跳び蹴り

 それは今から三日前、大学のサークルでの出来事だった。ぼくやナナ先輩が所属しているサークルは日本歴史研究会といって、硬派なイメージとは裏腹に、実態は部室でだらだら時代劇を観るのがメイン活動の、いたってゆるい団体だ。


 その日は一足早いクリスマスパーティということで、部室を会場に一人一品料理を持ち寄るという趣向だった。百均のオーナメントで飾りつけた部室にナナ先輩が意気揚々と持ち込んだのは、カップうどん界における定番中の定番、赤いきつねの十二食入りケースだった。


「タマエで特売してたから箱買いしちゃった!」


 ものすごくいい笑顔で段ボールをかかげるナナ先輩を、ぼくらはやんやの喝采で迎えたものだ。ちなみに、タマエというのは大学の近くにある激安スーパーで、万年金欠の学生にとっては何より大切な補給基地である。「タマエがいなきゃ生きていけない」とは、ぼくらの間で日常的に交わされるジョーク(という名を借りた切実な本音)だ。


「七瀬らしいなあ」


 苦笑まじりにそう応じたのは、ナナ先輩の同期でサークル会長の清水先輩だった。


「けどさ、もうちょっと考えたほうがいいんじゃない? ほら、栗本さんとか見習ってさ」


 そのときのナナ先輩の顔は、いま思い返しても胸が痛む。まるで潮が引くように、すうっと笑みが消えた顔。だけどそれも一瞬で、ナナ先輩はすぐに「そういう清水は何持ってきたのー?」といつもの明るい調子をとりもどしていた。


 ぼくは、わりと昔のことを思い出してくよくよするタイプの人間だけど、あの夜清水先輩に跳び蹴りを食らわしてやらなかったことは、人生における後悔ベストテンに入るんじゃないかと思っている。まあ、剣道部もかけもちしている清水先輩に、ぼくみたいなひょろガリ眼鏡の蹴りが決まるとも思えないんだけど。


 ぼくの後悔はさておき、あの日のナナ先輩のざっくり傷ついた顔を目撃しておきながら、その原因となったカップ麺を当の本人に勧めたぼくは、最低最悪にデリカシーのない大馬鹿野郎だった。


「すみま……」

「ごめんっ!」


 あせって謝ろうとしたぼくの前で、ナナ先輩はぱんと両手を合わせた。


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