第10話

「姫、遅くなったが、ドレスを贈りたい。パライス王国から密かに取り寄せていた、ナントカいう人気デザイナーの、流行の最先端というデザインで……」

「……」

「姫、そ、そのう、この首飾りを受け取ってほしい。俺の母上の形見のひとつで、我が国有数の宝とかいう由緒ある宝石で……」

「……」

「ひ、ひめ。あの、祖国が恋しいのではないか? 心の慰めのひとつに、愛らしいペットはどうだろう。この仔猫は、生まれたての頃に保護して俺がミルクをやって育てた子で……」

「仔猫。破廉恥な美女に変身する仔猫ですの?!」

「うっ……」

「陛下からの贈り物なんて要りません! フケツ、不潔です!」

「ごごご誤解だぁ! 誤解を解く為ならなんでもするから言ってくれ。そ、そうだ、姫の好きな俺の『アレ』を一晩中触ったりいじったりしても構わないから!」

「不潔な言い方は止めて! わたくしのもふもふを穢さないで!!」 


 まなじりを上げてヒルデは魔王を睨み付ける。


「わたくしの目の前で、は、裸の女性を触るだなんて信じられません!」

「いや、俺の方から触った訳ではなくて」

「言い訳は男らしくないわ!」

「ぐぅっ……」


 ヴォルフは言い返せない。『男らしくない』という言葉に弱い。



「まあ、しばらくそっとしておかれた方がいいですよ」


 打ちしおれながらも黙々と書類に目を通している王の姿があまりに痛々しいと思い、フェリクスは声をかけた。王のテンションが下がりっぱなしなので、今日の執務室には小動物化している者はいない。これが本来あるべき、国のトップの姿なのだが、何か物足りなくも感じてしまうのは毒され過ぎだとフェリクスは密かに思う。


「……姫に嫌われてしまった。俺はどうすればいいんだろう」

「ちょっと刺激が強すぎただけですよ。賢い方ですから、冷静にお考えになれば、陛下が悪い訳じゃないとおわかりになりますって」

「俺と結婚するのが嫌になったろうか。でも、だからと言って俺の立場で婚約をどうこうする訳にはいかん。だが、姫の嫌がることはしたくない……」

「お嫌なわけないですよ。この頃は随分打ち解けてらっしゃったじゃないですか」

「姫が俺と一緒にいてくれたのは、アレが触りたいだけだったんだ。不潔な俺は姫にとって必要じゃないんだ……」

(うぜえええ! 聞いちゃいねえ!)


 主君の事は敬愛している。主君の為なら命を捧げる覚悟もある。だが、むさ苦しい男の憂鬱乙女のような泣き言はうざいとしか思いようがなかった。元々幼い頃には遊び相手として兄弟のように育った間柄であるので、言葉には出さないものの、フェリクスの脳内に遠慮はない。


(ヴォルフさまの魅力はケモノの耳や尾っぽなんかじゃない。姫だっていずれは気が付かれると思うが、ああもう、もどかしい!)


「兄上。そんなに落ち込まれなくても大丈夫ですよ」

「ディート」


 柔らかく声掛けしたのは、普段は何かと皮肉屋な弟王子。役立たず、と語る視線をフェリクスに投げ、おもむろに兄を諭し始める。


「いいですか、姫は、レイアに嫉妬なさっているんですよ」

「し、嫉妬?」

「そうです。いくら結婚が決まっている相手と言っても、まだ姫が兄上を知ってから日が浅い。そこにレイアがはしたなく親し気に兄上に接触したので、姫は嫉妬してお怒りになったのです」

「つまり、怒ってるんだろ? 俺のこと、嫌いに……」

「女性は、嫌いな男が他の女性と親し気にしていても嫉妬などしません。姫がお怒りなのは、兄上のことを好きになられているからです」

「好き?!」


 その言葉に、ヴォルフの髪の中からぴょこんと犬耳が立ち上がる。


「マジか。俺は嫌われた訳じゃなかったのか?!」

「そうですよ。姫はただ、拗ねてらっしゃるだけです。本当は兄上が悪い訳じゃない事くらい、冷静に考えればお解りになっている筈。でも、なかなかにしっかりした所がおありな分、ご自分から仲直りしたいとは言い出せないでいらっしゃるのだと思います」 

「そうなのか! 女の気持ちに詳しいおまえが言うんなら、そうなのかもな!」


 一斉に小動物の髭や尻尾が生えだして、執務室にいた数人は軽く溜息をつく。


「そうか! 姫は俺を、す、好きだからあんなに拗ねて!」


 一気に甦った魔王は屈託なく笑っている。


「ディートさま……一瞬で立ち直らせるとは流石ですね」

「まあ、おまえとの経験の差かな」


 恨めしそうに自分の猫髭を撫でているフェリクスに対して勝利の笑みを浮かべた後でディートリヒは、


「とにかく、おまえはちゃんとレイアを抑えておけよ、保護者として」

「私は別にあいつの親ではないんですが」

「従兄だろ。彼女はおまえの言う事は昔から割と聞いてたから」


 それは子どもの頃、ヴォルフ王子が捨てたハンカチやペンなんかをこっそり横流ししていたから……とは無論フェリクスは言えない。宮廷美女がこぞって美形のディートリヒ王子をもてはやしているのに、幼馴染でもあるレイア公爵令嬢だけは子どもの頃からヴォルフ一筋で、ディートリヒを他の令嬢のように憧れの眼差しで見ないので、王弟は微妙に悔しがっているのだと、フェリクスは知っていた。


「この大事な時期に、兄上と姫の仲を裂くような真似は許されない。もう少しレイアには自重してもらいたい、と伝えてくれ」

「はあ」


 伝えるのは伝えるが、その後の彼女の行動の責任まではとれない、と思うフェリクスだった。レイアは思い込んだら一直線、しかし本当に悪い事――姫に危害を加えるような真似は絶対にしないだろう、と信用している。元々、レイアと王に身分的な不釣り合いはないし、何度動物にされても諦めないのに妹としか思えないと言われ続けている従妹に、少し同情的でもあった。勿論、王がヒルデと婚約を結んだ今、レイアを応援してやる気は全くなかったが。


「レイアとヒルデ姫が友人になれたらいいと思うんですがねえ」

「何を眠たい事を言っている。恋敵同士そう簡単に仲良くはなれないだろう。今はとにかく、姫に兄上を愛してもらわなければ困る」

「困る、と仰っても、それこそ、第三者が何か言って簡単にうまくいく事でもないと思いますが……」

「だから、兄上の恰好いい所を、姫に向かって見せられるよう、我々が計らわないといけないと思うんだ」

「恰好いいところ、と言っても、それはたくさんあるとは思いますが、肝心の陛下が、姫の前では犬になってしまわれるので……」


 ディートリヒはこほんと咳払いをした。


「フェリクス。そうやってすぐ諦めるから、おまえは女性に捨てられるんだ」

「ひ、ひどくないですか?! 私はディートさま程ではないにしろ、モテる方だと自分では!」

「いいや、おまえは女性を惹きつけて離さない術に長けてない。女性は、強い男が好きなんだ。おまえみたいにちゃらちゃら喋ってるだけなのは、すぐ飽きてフラれるんだ」

「えぇ……じゃあディートさまは何か強い所を女性に見せてらっしゃるんですか?」

「いや。僕くらいになれば、いちいち男としての魅力をアピールしなくても、女性が僕を離さないからね」

「じゃあ参考にならないじゃないですか!」

「おいそこ、何をコソコソ話してるんだよ?」


 すっかり立ち直った王が犬耳をひくひくさせて近づいて来る。


「なあディート。姫が俺を好きで嫉妬してるんなら、俺は姫に、姫だけを好きなんだから嫉妬なんてしなくていい、って言ってくればいいのか?」

「あ、いや、ちょっと待って下さい。いきなりそう仰っても、あらそうですか、とはいかないかと!」


 嫉妬ですと言ったものの、姫の怒りはそこよりも、プライドを傷つけられた事が大きいのではないか、とディートリヒは密かに思っている。だからそう単純な言葉で機嫌が直る訳はない。嫉妬なんかしなくてよい、などと迂闊に言えば更に傷を広げそうだ。そもそも、ここでは威勢がよくても、姫の前では途端に口下手になる兄が、上手く言葉で宥められる訳がない。


「じゃあどうすればいいんだよ?」

「つまりですね。姫が、兄上をもっともっと好きになって、いつまでも拗ねていては兄上の心が離れてしまう、と焦ってしまうくらい、兄上のいい所を見せつけてはどうか、と今フェリクスと相談していたんです」

「俺の心が姫から離れるなどあり得ないぞ」

「それはわかっていますが、男女の間柄には緊張感や駆け引きも必要なのですよ」

「俺は姫を相手に駆け引きなんかしないぞ!」


 おかしな所で強情な兄に心中溜息をつきながらも、ディートリヒは辛抱強く話を続ける。


「駆け引きという言い方は悪かったかも知れません。とにかく、兄上、早く姫に機嫌を直して貰いたいでしょう? 婚儀も迫っていますし、姫に、『ああヴォルフさま、好き好き大好き、心から愛しています』と言われたくないんですか!」


 執務室周辺にいた者たちは、ボフッという爆発音のようなものが室内から聞こえて騒然となった。集まって来た人々に対し、狐が中から扉を開けた。


「フェ……フェリクスさま? ですよね? どうなさいました?」

「あー、なんでもない。ちょっと陛下が嬉しくなられ過ぎただけだ……」

「ああ、そうなんですか。安心致しました」


 異常事態もこれで済んでしまうのは如何なものか、と思いつつフェリクスは扉を閉めて室内を振り返った。

 男の服が床に散らかり、小動物が数匹うろうろしている。


「すきすき大好き……こ、こころから愛しています、だと……」


 想像力豊富な魔王は、その言葉だけでテンションが暴発してしまった。暫く萎れていたので魔力が溜まり過ぎていたのもあるかも知れない。王自身だけは全身動物にはならず、いつもより更に艶やかでふさふさの尻尾を部屋の真ん中でぶんぶん振り回して真っ赤になっている。


「ディートさま……」


 フェリクスは、美しい銀の毛並みの鼬に近付いた。鼬は優雅に溜息をついた。


「まだ何も説明してないのに……」

「これ、婚儀大丈夫ですかね?」

「対策を考えないといけないな」


 苦労性の王弟と側近は、獣顔を見合わせてまた溜息をついた。

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生贄として魔王に嫁いだらなぜか溺愛されているので、とりあえずモフろうと思います。 青峰輝楽 @kira2016

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