第8話
ぽかんとしてヴォルフガングは豹変した婚約者を見つめた。ばらされたくなければ? それはまさか、脅迫……?
「あの……いま、なんて?」
魔王はもごもごと言った。勘違いだよな、と心の中で念じつつ。
傍に座っていたブリュンヒルデはいつの間にか仁王立ちになって、座ったままの自分を見下ろしている。その表情には微かに不安げなものが混じっているようにも思えたが、もう引き返せないという強い意志を瞳に宿し、唇を引き結んでいる。
問い返されて、彼女は少し考え、口調を改めて、言った。
「魔力の制御が出来ないという陛下の秘密を他国に向けて発信されるのがお嫌ならば、陛下のふわふわの耳と尻尾を触らせて下さい、と申し上げているのです」
丁寧になっただけで、言っている事は同じである――『大陸中にばらされたくなければもふらせてよね!』。
しかし、相手に調子を合せて愛想笑いを浮かべている彼女より、こちらの方が素なのかも知れないと思うと、
(これって俺に打ち解けて来てくれてんのかも……)
と脳天気に受け止めてしまう、乙女な割にポジティブシンキングな魔王なのでもあった。更に、
(そ、そうか、これはもしかしてあれか? 俺、おねだりされてんの?)
とも考えた。世の女性は大抵高価な宝石やドレスをおねだりすると聞くのに、耳と尻尾を触らせて欲しい、なんて、ささやかで慎ましく可愛らしいおねだりじゃないか、とも思えた。
求婚を受けてくれたのだから、姫はもうバルシュミーデの人間。ディートだってそう言っていたし、その姫が本当に秘密を漏らす、なんて国の為にならない事をする訳がない。つまりは『ばらされたくなければ』は冗談なのに違いない。――ヒルデの方ではあくまでまだ心は祖国にあり、隙あらば魔王国の情報を流す気満々だなどとは、ヴォルフは夢にも思わない。油断のし過ぎと謗られても仕方のない所だが、万が一姫が叛意を見せれば通信を阻止する手段は幾らでもあるので、敢えて王弟も側近もその可能性を王本人には示唆せず、監視の目は休めていない、という事は、ヴォルフもヒルデも知らぬところであった。
ディートリヒもフェリクスも、ヒルデを悪く思う感情は今のところ持っていない。だがバルシュミーデの評判を考慮すれば、姫が魔王国など崩壊して祖国に帰る事が出来るならという心を持つのも自然なこと、と思い、本当の姫の為人を見極めるまでは警戒せねばならない、と考えているのだった。
しかし、ヴォルフは真剣にヒルデを愛し、その心を信じて疑っていない。今日初めて会ったばかりの相手をそんなに信じ込むなんて君主失格、と言われても反論出来ないかも知れない。けれど、ヴォルフにはどうしても、彼女が今日初めて会った相手には思えないのだった。
(絶対に、俺の大事なひとなんだ。あの夢は、ただそれを思い出させてくれただけだ)
根拠は挙げられないけれど、そう確信出来る。だから。
だから……。
「姫」
「は、はい」
真面目な表情になったヴォルフに、緊張を隠せない様子のヒルデ。彼は彼女を安心させようと微笑んだ……つもりだったが、強面の為、傍目には男の顔面の筋肉が引きつったようにしか見えないのは残念だった。
「お、お怒りになりましたの? でもわたくし……」
「え、なんで俺が怒るの?」
「だ、だって、陛下に強要するような事を申して。でも、わたくしは本気です。もし許せない、とお思いなら、罰はわたくしだけに。伴の者や祖国には何の咎も……」
「どうした、ブルーメちゃん。まさか俺が怖いのか?」
「……っ、怖くなんかないわ!! って、ブ、ブル……? なに?」
そう言いつつも、彼女はやや怯んだ風にも見える。ヴォルフは無性に彼女が愛おしくなり、
「俺は絶対にブルーメちゃんに怒ったりしない。何があっても、例えブルーメちゃんが俺を殺そうとしたって」
ようやく気持ちをすらすら言えた事で嬉しくなった魔王だったが、その言葉に感激してくれるという期待は踏み躙られた。
「ブルーメちゃん?? なに、私のこと?! 変なあだ名をつけないで、そんないかついお顔に似合わなくてよ!」
「うっ……」
「怒らないって今誓ったのよね? だったら早くもふもふを出して!」
渾身の愛情表現にまさかの拒否反応。魔王はめげそうだったが、それでも、彼女の望みを叶えたいと思った。
「ブル……いやブリュンヒルデ姫。アレを出す為には、俺を喜ばせてくれまいか?」
テンションが上がらないと耳と尻尾は出ない。たった一言、キャー素敵、と言ってくれたならすぐに出せるだろう、と思っての言葉だったが、
「へ、陛下を悦ばせる……? まだ結婚した訳でもないのに、何を仰るの!!」
と怒られてしまう。耳年増な彼女に対して、奥手のヴォルフには本当に何故彼女が怒るのか解らなかったが、彼は彼なりに、ここで引き下がっては距離が出来てしまうと思ったので、
「何故怒るのかよく解らないが……姫は俺がお嫌いか?」
「! いえ、そんな、嫌いだなんて事は。求婚を、受けたのですもの……」
「じゃ、好き?」
「は、はい……」
他にどんな返事が出来るだろうか。だが、ヴォルフは単純に喜んだ。ぽん、と金色の毛並みの犬耳とふかふかの尻尾が出た。
「さ、触りたいなら触ってくれ。言っておくけど、今まで誰にも触らせた事なんて……」
「ああーーー!! 素敵!!」
心を込めた台詞を最後まで言わせて貰えなかった。姫はようやく、心からの歓喜の声を上げた。素敵と言われた事で、ヴォルフのテンションも上がり、毛並みはふかふかさを増して金色の輝きもより深みを増す。
素敵、はただひたすら『アレ』に対しての賛辞であり、本体に向けての気持ちは爪の先ほども混じっていないとは露も知らずに。
◆
ヒルデは遂に魔王をモフる事に成功した。
最高に艶やかな黄金色の毛並みは、触れる事を躊躇う程に神々しくさえ思えたが、実際に触れてみると本当に天にも昇る心地にさせてくれた……モフラーにとっては。
彼女はうっとりと目を閉じて、手触りを楽しむ。
「ああ……質感も柔らかさも、なんて、なんて最高なの。もう私、虜になってしまったわ……」
程よい温かみも指を撫でる柔毛の感触も素晴らしく、嫌な事、不安な事も全て取り払ってくれる。
「喜んでくれるなら、俺も嬉しい」
そんな声がした気もしたが、今の彼女には、魔王など、モフモフを出し入れするスイッチに過ぎないとしか思えなかった。
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