第7話
微妙な雰囲気の晩餐が終わり、今、魔王と呼ばれる男ヴォルフガングは、恋い焦がれて手に入れた婚約者ブリュンヒルデと共に、夜の庭園を散策している。
「い……いい月だな、姫」
「ええ、いい月ですね」
今宵は雲一つなく、バルシュミーデの夜空はしんしんと冴えわたり、欠けのない満月と散りばめられた星明りが美しい。
しかし……。
(ああ、もっといい台詞はないのか、俺!)
実はこのやり取りは既に四度目である。今日初めて顔を合わせた婚約者同士、話すべきことはたくさんある筈だし、姫がこの国に慣れるまでのめどを三か月位と見て組まれた来春の婚儀が済めば二人は夫婦となるのである。政略結婚とはいえ、若く逞しい王とその婚約者には身分的な不釣り合いも障害もなく、甘やかな恋を楽しむ為に早く打ち解けた方がいい。
そう言って折角、庭園で二人きりの時間を弟と側近が作ってくれたのに、『愛しいブルーメちゃん』の前では、22歳にして女性と付き合った事のない初心な魔王は、同じ台詞を繰り返すだけのポンコツでしかない。
(夢の中ではもっと俺、色々喋れてた気がするんだが、何を話していたんだっけ?)
思い出したいのに肝心なところがどうしても思い出せない。それが夢というものである。夢の中から抜け出したみたいに、現実にいま、夢の中で好きだと思った通りの娘が隣にいるというのに、彼女を本当の笑顔にさせるような気の利いた事を何一つ言えずにもどかしい。
◆
一方、悶々としながら歩く魔王の半歩後ろに続くブリュンヒルデは、その視線は、魔王の言葉に合せて上を向いて夜空を見ているようで、実はすぐ近くのものを見ている。勿論、ぴんと立ったもふもふの犬耳である。時折、休むことなく無意識に振られている美しい毛並みの尻尾も見る。見るだけでも幸せだが、どうにかしてモフりたい、その欲望で彼女の頭は一杯である。しかし勿論理性を失う程ではない。まだ様子見……従順に見せかけて、どうにかして主導権を握り、この最高のモフモフを遠慮なく心置きなくモフれる立場を築き上げる。その目的を果たす為には、最初が肝心である。
どうやら魔王は本気で自分に惚れているようだ、と流石に恋愛経験のない彼女にも察せて来た。でも、何しろ相手は魔王である。何かの拍子に気が変わればぽいと捨て置かれるかも知れない。彼女の個人的な目的はモフモフであって、『イイツキダナ』と同じ台詞しか吐かない壊れたからくりのような本体ははっきり言って全く恋愛対象に思えないのだが、祖国とモフモフと、彼女と従者の安全の為には、本体の心を掴んでおかねばならない。
(それにしても、なんで私なんかをこんなに好きになったのかしら? 肖像画を見ただけで? 後宮には美女をたくさん囲っていると聞いていたのに。でも、聞いていた話はあまりあてにならないって判ってきたけれど……)
勿論彼女はヴォルフガングと夢をその夜共有した訳ではない。だからこそ、魔王は祖国への何らかの思惑があって、政略結婚を申し入れて来たのだと思い込んでいたのに、先ほどの晩餐会では、既に婚約しているのも忘れて求婚してくる程ののぼせぶりだった。
とにかく、どうやら有能で冷酷、というのは間違いで、魔力の制御も出来ない色々不器用な男、というのが正しい評価だ、と彼女には思えて来た。本当は、有能、の部分は彼を知る臣下全てが認めるところではあるのだが、彼女の前ではその欠片も見せていないのだからそう思われても仕方がない。
(有能なのはあの王弟の方かも知れないわね。きっと彼が実務を取り仕切っているに違いないわ。後でどうにかして国へ知らせなきゃね)
そんな事を思ったり。
一緒に庭園を散策しながらも相当にすれ違っている二人の気持ちだが、その時、行く手に東屋が見えてきた。
「ひ、姫、あそこでちょっと休憩しないか? 疲れているだろう」
(やっと良い事言えた! 俺頑張った!)
「そう疲れてはいませんが、お心遣い感謝いたします。陛下の仰せのままに」
(傍に座れば、あれに触れるかも知れないわ!)
そうして二人は、庭園を見渡せる小高い場所に建てられた瀟洒な東屋へ向かった。
―――
「あの、陛下はどうしてわたくしをお見初め下さったのですか?」
若い男女が夜の東屋に二人きりというのに、相変わらず月の話しかしない魔王に業を煮やし、ブリュンヒルデは自分からまともな会話を成立させようと決意した。
しかし、単刀直入に聞かれた男は、真っ赤になり、
「えっ? えっと、それは姫が可愛いからだ」
「でも、肖像画で選ばれたのでしょう? 絵なんてあてになりませんわ。わたくしには姉妹もいますし、わたくしでなくとも良かった筈なのに?」
「……姫。姫は夢を見なかったか? そのぅ……俺の夢を。俺は夢で姫に会って、それでその、好きだと」
女性の方から働きかけたので、ようやくヴォルフガングもまともな答えを返せた。しかしブリュンヒルデは眉を顰め、それからはっとして作り笑いを浮かべ、
「それはもう、どんなに素敵な方だろうかという期待で、何度も夢に見ましたわ。でも、肖像画や夢よりもっと素敵な方で、わたくしは幸せです」
と模範的な回答をする。だが、何故だかその回答に、魔王は初めて落胆の表情をよぎらせた。何がいけなかったかしら? 会った事もない私を夢で見初めたなんて気持ち悪い、って思ったのが伝わったかしら? それとも、本当は角や牙を持った恐ろしい人外だと、肖像画なんて全然嘘っぱちだと考えていたのが悟られたかしら? とブリュンヒルデは焦る。
しかし魔王はすぐに気を取り直したように笑顔を見せて、
「まあいいか、もう夢じゃなくて現実に姫が俺の傍にいるんだからな」
と機嫌よく言った。いつの間にか重々しい話し方から、普通の若者のような話し方になっている。既に決まっている事なのに求婚の言葉を投げてそれが受け入れられたので、気が緩んだのだろうか。
それでヒルデの方ももう少し突っ込んで話してみようと思った。ベンチの上にさりげなく置いた左手が今は魔王の太腿に触れそうな位置にある。だが勿論彼女が触れたいのは男の太腿ではなく、座ってからも振られっぱなしで、定期的なリズム音を立てて床を擦っている金色ふさふさの尻尾の方だ。
「あの……その飾り物はどういう仕組みで動いていますの? とても……」
飾り物ではなく魔力が漏れた結果生えているものだ、と既に侍女の報告で知ってはいたものの、敢えて飾り物、と口にする。とても素晴らしい、触ってみてもいいですかと言いかけた時、魔王の顔色が変わった。
「えっ!! あっ、出てたのか!!」
最初から今に至るまで耳と尻尾が出ていた事を、今の今まで気づいていなかったらしい。
「うわぁぁ! 恰好悪ぃ!!」
「そんな。とても可愛い……」
「可愛いとか言わないでくれ! 俺は男らしくいたいんだ!!」
嫌な予感がしてヒルデはもう偶然を装ってでもその手触りを確かめたい欲求に勝てず、バランスを崩した風を装って尻尾に手を伸ばす。
だが……。
「ああ!!」
ヒルデは絶望の呻きを洩らした。指先が触れる寸前に、『最高のもふもふ』は、ぽんと音を立てて消え失せてしまったのだった。
魔力の制御は出来ないが、恥ずかしいモノを見られたという意識がテンションを下げてしまったのだ、とまでは彼女は思い至らない。自分をからかっているのかも? それとも嫌がらせ? そんな雰囲気でなかった事くらい、冷静に考えれば判った筈だが、あとちょっとで届きそうだった憧れのモノが目前で消えてしまった事実が彼女の思考力をかき乱した。
「酷い! どうして隠すの?!」
「えっ?!」
突然淑やかな姫の態度が豹変したので魔王は戸惑った顔になる。ヒルデはしまったと思ったが、もう後には引けなかった。
「わっ、わたくしは褒めたのに! もっと見たり触ったりしたかったのに!」
「えっ、俺のアレを触りたい?」
なんか卑猥な感じに聞こえなくもない。もふもふ尻尾とは言え、殿方の身体の一部を触りたいなんて、はしたない女と思われただろうか? それは嫌だ。
「わ、わたくしは純粋な気持ちで! へ、陛下を触りたいんじゃないんだから! もふもふを触りたいだけなんですからねっ!!」
「もふもふ? そ、そうか……姫はアレが気に入ったのか……」
「出して下さい、もう一度! それとも出来ないの? 魔力の制御が出来ないから?」
「な、なんでそれを……」
魔王が青ざめるのを見て、ヒルデはこのカードを今切って良かったと思った。魔王の弱点を押さえたのだ。
「大陸中にばらされたくなければもふらせてよね!」
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