第6話


「ブリュンヒルデ姫、我が国に実際にいらしてみて、随分印象が変わったのではないですか?」


 兄王が、婚約者にぽーっと見惚れているばかりのポンコツになってしまっているので、王弟のディートリヒが場を取り持とうとヒルデに話しかける。

 その気遣いに対し、何と王は幼い子どものように不作法に、テーブルクロスの影で弟の足を蹴った。


(痛った!! 何をするんです!) 

(おまっ……、勝手に俺のブルーメちゃんに話しかけんじゃねえ!)

(私は姫の義弟になるんですが、いちいち話しかけるのに許可がいるんですか? それに、兄上が話を盛り上げようとなさらないからでしょうが!)

(だ、だっておまえみたいに女と話すの、慣れてねえし。単なる使者だったらどうにでも出来るのに、なんか何話していいかわからん……)


 普段は有能で、必要に応じて饒舌にもなれる王であるのに、恋する姫の前では、気の弱い乙女である。


(いったいまた、どこがそこまでいいんだか……)


 と、これは口に出さないディートリヒの胸中である。女性慣れした彼から見ても、ブリュンヒルデ姫は美人ではあるが、絶世の……という程ではない。つんと取り澄ましてあからさまな社交辞令の微笑しか見せず、可愛げがない。作法も言葉遣いも完璧に仕込まれ、特に悪く思う点は見当たらないが、逆に言えば今の所の印象はそれくらいなものである。兄にとっては、夢の中での印象が余程良かったのかも知れないが、所詮は夢……あとで兄が姫に対して失望し、女嫌いになってしまっては、国にとって困った事になる。だから、ディートリヒとしても、二人の仲があまり進展しない場合に間を取り持てるよう、姫の良いところを探しておかなければ、とも思った。


 ヒルデは王弟の柔らかな口調の問いかけに対し、一瞬探るような目を向けたものの、すぐに笑顔を作り、


「バルシュミーデは素晴らしい所と教えられて来ましたが、正直に申し上げますと、もっと堅苦しい宮廷を想像しておりました。でも、国王陛下も皆さまも、思ってもみなかった楽しい趣向でもてなして下さり、感激しております」

「素晴らしいところ? 恐ろしいところと思っておられたのでは?」


 銀髪の王弟の率直な言葉に、場の皆ははっと固まった。ヒルデの作り笑いも凍ったが、ディートリヒは柔らかな笑顔を崩さず、


「我々は家族になるのですから、腹の探り合いは時間の無駄と思うのです。我が国はこれまで他国と直接的、積極的な交流をして来なかったが、どういう評判が立っているのかくらいは知っています。そして、先祖の咎により、それを全面的に正す資格はないと思っています。けれど、姫は兄の求婚を受けて下さったのですから、もうこちら側の方……。なので、先入観は捨てて我々を……兄王を見て頂きたいと思うのです。陛下は風貌はいかついですが、優しい方です。姫を一途に愛しておられます」

「ディート……」


 普段は皮肉屋の弟が聞いた覚えがない程率直に自分を褒めたので、ヴォルフは先ほど弟を蹴とばした事を後悔し、感謝に潤んだ目でディートを見つめた。しかし見つめられた方は別段嬉しくはない。本当の事を言っただけだし、犬耳を生やしたごつい兄が乙女の瞳で視線を送って来ても微妙な気分になるだけだ。


 いっぽう、ヒルデは王弟の、『姫はもうこちら側の方』という言葉に自分でも驚くほど心を動かされていた。たった今まで、彼女は、敵の宮廷に拉致された人質のようなつもりでいた。好物のもふもふがあると言っても、その自分の立場は終生変わらないものだと。アロイス王国からの人質で、王の子を産む道具だと。

 咄嗟に言葉の出ないヒルデを、ディートは冷静に観察していた。何に彼女が動揺しているのか……むさ苦しい乙女男への褒め言葉でない事くらい充分に理解していた。


(だいたい、これは兄上がさっさと言うべき事なのに、いつまで待っても天気の話しかしないから!)


「わ、わたくしは……もちろん、陛下を見ています。そう、一目で、わたくしはこの方の傍にあるべく生まれたのだと……思いました」


 皆が自分の答えを待っているので、ヒルデはただただヴォルフのもふもふ耳だけに神経を集中して言った。あの耳の為に……アレをもふる為に生まれた……色々おかしいとは思ったが、この場を切り抜ける為、自分でもそう思い込む必要があると感じた。


(そ、そうよ、結婚したら、アレは私だけのモノ。誰にももふらせたりなんかしないんだから!)


 そう思えばときめく。勿論、ときめくのは犬耳にであって、その本体は、『もふもふについてる体』でしかないのだが。

 顔を赤らめつつも、何故か強い意志を持った視線を『アレ』に向けているヒルデの様子を、ディートはやや不審に思ったが、言葉を発するより先に、顔に違和感をおぼえた。


(ああ……)


 溜息しか出ない。ヒルデの返事にテンションマックスになった兄の無意識により、ディートの顔は猫になっていた。最初からであれば仮装で誤魔化せたのに、いきなりとは……。


(まあ、ずっと隠しておく訳にも行かないしな。出来れば婚儀までは伏せて置きたいと思っていたが……)


 周囲の人々にも異変が現れている。彼らにとっては慣れた事であっても、姫たちはさぞ驚いただろう。


 だが。

 姫が何か発言する前に、ヴォルフガング王が立ち上がった。つかつかと正面の席に座っているブリュンヒルデ姫の方へ歩いてゆく。姫の顔に緊張が走る。

 魔王と呼ばれる男の尻尾がばっさばっさと振られている。このまま犬になってボールを追いかけていってもそれ程違和感ないぞ、とフェリクスはやけになった気分で考える。


「姫!!」


 ヴォルフはその大きな手で、ヒルデの掌を包んだ。ぽかんとして魔王を見上げた姫の、持っていたフォークがからんと落ちる。


「そんなに、そんなに俺の事を想ってくれていたのか!」

「え? ええ、はい、もちろん……」

「俺は猛烈に嬉しい!! 俺と結婚してくれ!!」

「は? ええ、もちろん……」

「聞いたか、おまえら! 俺にも求婚の言葉が言えた!! そして返事は『もちろん』だ!!」


 ドヤ顔で弟や家臣たちに振り向いた魔王に、全員が心中でツッコミを入れた。


(もうあんたら婚約してるでしょうが……っ!!)

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