第5話
「……という訳で、魔王はどうやら、自身で魔力の制御が出来ない様子です」
ブリュンヒルデの室に戻った侍女のエルザは報告した。
エルザがこの危険な輿入れに同行したのは、心許せる側近としてヒルデが願い、彼女も志願したのが一番ではあるが、元々、王女の遊び相手兼侍女として彼女がヒルデと共に王宮で育てられたのは、彼女がただの下級貴族の娘ではなく、代々、王家の諜報役を務めるアーレ家の娘だったからでもある。気配を絶ち、情報を探り出す技術を叩きこまれている。
要するに、ブリュンヒルデ王女一行が、顔合わせの場から退席した後、エルザは部屋の傍に引き返し、魔王と王弟と側近の素の会話を全て盗み聞きして来たのだった。
「俄かには信じ難い内容だな。もしやそなたが盗聴しているのを察知して芝居をしたのでは?」
呆れた顔で騎士のアレクシスが言う。王弟のディートリヒ……変な髭を生やしていたが、切れ者そうな悪人顔だった。側近のフェリクス……苦労性の常識人っぽく装った悪人顔だった。最初から、彼らを悪と認識したフィルターがかかっているので、そんな風に見えた。魔王に至っては、姫の気を引く為か、もふもふな耳を付けていたが、強面の悪人顔に全く似合っていなかった。盗賊の頭が頭にリボンを付けているようだった。
そんな三人が、気安く話し、魔王の恋と務めと結婚生活を議論し、おまけに魔王はタンスの角に頭をぶつけて魔力の制御法を忘れており、でもそれよりもそこがハゲている事を気にしている……?
馬鹿馬鹿しい、と騎士は首を振った。けれど侍女は、
「いいえ、あれは芝居ではありませんでしたわ、絶対。それは、わたくしも耳を疑うような内容ではありましたけれど」
と言い切る。そもそも、冷酷非情の魔王が、そんな情けない芝居をする必要がどこにあるのか、というのが彼女の言い分である。
この時、黙って報告を聞いていたブリュンヒルデ姫が口を開いた。
「私たちが今まで信じて込まされてきた、魔王国の実情は、まるで違っていた……そういう可能性が出て来た、とは言えるわね」
「姫! 警戒心を解かれてはいけません。情けなくて善良なふりをして、何か企みがあるのかも知れません」
「別に警戒を解くつもりはないけれど、どうせいずれ、真実は明らかになるわ。だって、婚儀が済めば私は魔王と褥を共にするのですもの。ハゲてるかどうかくらい判るでしょう。それに、魔王だってなにか思惑があって、私を指名したのでしょう。いつまでも芝居を続ける筈ないわ」
「……そうですね」
アレクシスは正論な姫の言葉に項垂れる。さすが、幼い頃からひたすら忠誠を……淡い恋心を誓い秘めた主、こんな時でも冷静に状況を判断している。対して自分は、『褥を共にする』という台詞に顔を赤らめる軟弱。ああ、こんな体たらくでどうやって姫を護れようか。もしも魔王が姫を大事に扱って、姫が幸せになればそれが最大の望み、と己に言い聞かせて来たのに。
一方、取り澄ましているヒルデは、『おっしゃーー!! 希望の芽が見えた!!』と、微塵も悟られない落ち着きぶりを示しつつも興奮気味。何しろ、如何に魔王といえども、相手は、とんでもない『理想のけも耳』を持っていた。魔力の制御が出来なくてけも耳がうっかり出てしまう、なんて都合の良過ぎる話を全面的に信じ込む気はないが、『理想のけも耳』自体は、確かに己の目で見たので間違いはない。
魔王に会うまで、自身の結婚生活に幸福なんて求められる訳もない、と自分に言い聞かせていたけれど、例え中身がどうであれ、姿は人間だし、好みの細面の美形とは離れるが、イケメンと言えなくはない。おまけに理想の……。
(ああっ……駄目駄目、こんな浮ついた気持ちでは。私の言動に祖国の未来がかかっているというのに。でもでもっ……これは、一目惚れっていうの? ああ、もふりたいっ)
エルザの報告で、疑念がだいぶ薄らいだ今、もしも本当に魔王がそんな間抜けで、おまけに自分にべた惚れしている初心な男ならば、この結婚に勝機はあるかも知れない!
そもそも結婚は勝負ではないのだが、完全な従属を強いられると覚悟していたヒルデは、最初が肝心と思い、色々な場合を想定して、身の振り方を考え始めた。
勿論、彼女が惚れたのは、魔王の耳(見えなかったが、尻尾を知れば尻尾も)であり、魔王自身には特別好意を抱く要素はない。勿論、本当に悪人でないのならば嬉しいが、悪人でなくても、今聞いたような恰好悪い男が真の姿であれば、男として惹かれる要素は特に今は見いだせない。でも、平和に暮らせて理想のけも耳をもふれれば、それだけで充分に幸福になれる、と思った。
―――
夜は、正式なお披露目には、長旅で疲れた姫には負担だろうという配慮で、昼の顔ぶれに、魔王国の限られた主要人物が加わっただけの内輪の晩餐会。
自分では昼と変わらず威厳を保っているつもりの魔王だが、やはりふっさふさの『アレ』……犬耳は出ている。一方、周囲への影響はランダムらしく、昼間に挨拶された兎の宰相は、普通の中年男である代わりに、側近のフェリクスは完全に狐の顔だった。
「陛下……物凄く食事がし辛いんですけど、何とかなりませんかね」
獣顔は余興として姫君側には伝えてあるので、そこはそれで納得してくれるだろうと期待の元、フェリクスはヴォルフガングにこっそり愚痴ったが、
「じゃ、おまえの分のコースは下げさせて、葡萄とか木の実とか生肉でも用意するか?」
と軽くあしらわれてしまう。
「いやいやいや、ちょっと待って下さい。味覚まで狐になった訳じゃないので」
「だったら大人しく食ってろ」
ヴォルフガングの心はひたすら、正面に座っているブリュンヒルデに向けられている。彼女の態度は心なしか、昼間より和らいでいる気がした。勿論、恥ずかしい秘密を握られたからだとは夢にも思わない。
「我が国の食事はお口に合いますか?」
(ああ~、食べてるブルーメちゃんも可愛い~~!)
「ええ、大変美味ですわ。このパンもとても美味しい」
(ああ~、もふもふ耳がまた出てる~! もう、駆け寄ってもふりたい位だわ!)
それぞれの思惑は腹の中に収め、礼儀正しく晩餐会は進行して行った。
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