第3話

 初顔合わせは、魔王の私的な応接室で行われた。 


 何しろ他国から持たれている魔王の印象と実物は違い過ぎる。当然、婚約者の姫も、相手は冷酷で残虐で醜悪な魔物のような男だと思っているだろう。事前に知らせても余計に疑念を強めてしまうかも知れない。それより、あっさり実物を私的な場で見せておく方が、公式なお披露目の時に妙な事も起こるまい……とは、フェリクスとディートリヒの裏相談の結論だったが、『いきなり見せるとやばい実物』扱いされた魔王本人は、『一刻も早く会われたいだろうと思い、場を整えました』という言葉を素直に鵜呑みにして、気が利く良い奴だと褒められたので、側近は複雑な気分になった。


―――


 小鳥の頭を持つ侍従は、丁寧に頭を下げ、こちらで少々お待ちくださいませ、と告げて扉を開ける。


(ああ~可愛い。ピピピとか鳴かないかしら……)


 ヒルデは一瞬、今から起こる筈の恐怖の体験への心構えも忘れ、愛らしい侍従に見とれてしまう。鳥はさすがにもふった事はないが、理性のある鳥ならじっとして触らせてくれるかも? などと考え、すぐに、


(いえ、何を考えているの私ったら! あんなの、まやかしに決まっているのに!)


 と、宮中人に会う度に同じ思考を繰り返しては反省に忙しい。


 足を踏み入れた応接室は、趣味の良い装飾品が並び、ゆったり座れるゴブラン織の立派なソファが置かれた、寛げそうな空間だった。


(魔王は、気に入らない来客は引き裂いて食べてしまうと聞きましたが、血痕とかないですね……)


 侍女のエルザは、あのソファに血が飛び散ったら、どうやって染み抜きしてもとれないだろう、なんて事を考えている。なるべく事務的な事を考えていた方が怖くない、という彼女なりの心の落ち着け方である。


 ヒルデはソファに腰かけ、背後にエルザと騎士のアレクシスが立つ。将来を嘱望されていた優秀な騎士であるアレクシスは流石に三人の中で最も冷静である。

 寸分の隙もない程にエルザによって美しく飾られた姫は、姿絵を見て気に入ったという魔王ならば満足するに違いないとは思うが、何しろじゃじゃ馬姫の事だから、生来の気の強さが発揮されて魔王の機嫌を損ねては……と心配してしまう。

 一応、正式な国同士の交渉によって成った婚約ではあるが、もしも魔王が噂通りの気まぐれで残虐な本性を見せてこの場で姫を害そうとするならば、命を投げ出して姫を庇う覚悟はとっくに出来ている。

 しかし……もしもそれさえも魔王国の筋書きで、いよいよ大陸制覇に乗り出した魔王国が、アロイス王国の姫の失態を罪にして、戦を宣告したらどうなるだろう……。様々な最悪の筋書きを想像し、騎士の心は責任感に締め付けられる。

 そんな緊迫感に包まれた中、奥の扉が開かれ、男が入って来た。


(角も蜥蜴の尻尾もない……)


 それが、ヒルデ側の第一印象である。噂通りなのは、闇色の髪……だが、その頭には、角の代わりに、ふっかふっかの金色の犬耳がぴょこんと立っている。


(な、なんという理想的な耳……)


 とヒルデはくらっとしたが、一瞬で冷静さを取り戻す。駄目駄目、まやかしなんだから、と。

 立ち上がったヒルデに、


「アロイス王国王女、ブリュンヒルデ姫。私はバルシュミーデの王、ヴォルフガングと申す。先々夫婦となる身、ヴォルフと呼んでくれて構わぬ」

「お初にお目にかかります。ブリュンヒルデでございます、ヴォルフガング国王陛下。不束者でございますが、末永くよろしくお願い申し上げます」

「う、うむ。こちらこそ、よろしく頼む」


 ヴォルフガングは厳めしい顔で重々しく言った。本当は笑いかけたかったが、この顔を動かすと表情筋が崩壊しそうだ、と思っているとは、まさかヒルデ達には判る訳もない。そもそも、角も牙もない、という時点で、魔力でそれを隠しているのだろうと疑っているのだ。まともな人間の男の顔だというだけで驚いている。表情なんてどうにでも取り繕えると、あまり気にもしていない。

 魔王の側近と王弟、王女の騎士と侍女の紹介も済み、魔王はしかつめらしく話しかける。


「遠路遥々、来て頂けて嬉しい。どうだろう、我が国は? 何か足りないものがあれば何でも用意させよう」

「いえ、足りないものなどありません。気候も良く美しい街並みを拝見させて頂きましたわ。きっと陛下の魔力の賜物なのでしょうね」


 ヒルデは、この会見を、腹の探り合いだと思っている。彼女の役目は、魔王の機嫌をとって祖国の安全を守る事だ。だが、元々あまり口上手な性質ではない。


「魔力の賜物? 私は別段統治する為に魔力など使っていない」

「え? でも……あの光景は、陛下の魔力で……」


 作った見せかけのものでしょう、とは流石に言ってはまずいと思い、言葉を濁したが、魔王は不思議そうな顔をしてから、


「ああ、王宮内の人間が小動物に見えることかな? それは確かに私の魔力のせいだ。姫は、小動物がお嫌いなのか?」

「とんでもない! 大好きですわ! でも何故そんな事に魔力を?」


 ヒルデにとっては勿論まだ、こんな形式上の対面で、物心ついて以来教えられてきた魔王国の印象を覆せる訳もない。魔王は好色で後宮に百人の妾がいるとも聞いていた。だから、女なんか虫けらのようにしか思わない魔物だろうと思い、求められた婚約とはいえ、歓迎される筈もなく、苦しむ民衆と血に濡れた国土を見せられ、恐怖で縛られて蹂躙される覚悟さえしていたのだ。なのに、期待どころか想像さえしていなかった礼節ある対応で迎えられ、臣下を大好きな小動物に変えてまで歓迎されるなんて?

 ……この宮廷の在りようが常の状態だとは、王女も騎士も侍女も、思いもしない。

 本当に歓迎の意を込めて、魔族なりのやり方で余興を行っているのか、或いは彼女たちを安心させておいてから、残酷な姿を現して恐怖を煽る為なのか……どちらかしかあり得ない、と考えていた。

 でも、仮に前者だとしたって、たかが余興の為に臣下を強制的に魔力で獣に変えてしまうなんて、王として問題があるのではと思ってしまう。あれは自分の魔力のせいだと、魔王ははっきり認めた。もしかして彼らは一生あのままなのだろうか? だとしたら、やっぱり利己的で臣下の人生などどうでもいいとしか思わない男なのだろう。


「ええっと……」


 何故、と問われて魔王は戸惑った様子。魔力の制御が出来ない上に小動物が大好きだから、なんて、いつか判る事だとしても、初対面の場では、恰好が悪すぎて言いたくない、と思っているとは、ヒルデ側にはわからない。


「その……女性は大抵愛らしいものが好きだと聞くから……姫に喜んで頂きたいと」

「まあ、お心遣いでしたの。ありがとうございます。でも、彼らも賛同してくれているのでしょうか? わたくしが我儘を言ったと思われては、陛下にご迷惑がかかってしまうかも……」

「いやいや、それはない! 誰も文句なんか言わない。みんな、こんな事はいつもの事だとしか思ってない! 姫は余計な心配はしなくていい。小動物を気に入ってくれたのなら、それでいいのだ」


(いつもの事……)


 やっぱり、魔王には、自分の気まぐれで臣下を魔力で操る事などいつもの事で、有無を言わせないのだ。きっと諫言したりしたら投獄されてしまうのだろう。残忍で自分勝手な魔族なんだな……と思ってしまう。

 でも、どうやら、取りあえず今は、自分の事は気に入ってくれているようだから、何とかその関心を自分有利に持っていかなくては、と改めてヒルデは決意を戦意を固める。


―――


(うぜぇぇぇ! この尻尾!!)


 とても口には出せないが、精一杯きりっとしている主君が、その代わりに王女側からは見えない位置で、ふかふかの犬尻尾をばっさばっさと振って、それがずうっと、背後に控えている自分の足をこすっていて、フェリクスは、尻尾を掴んで引っ張りたい衝動をなんとか抑える。くすぐったいし、ズボンに毛がつく。

 だが、言い換えれば、被害はそれだけである。魔力のお漏らしのせいで、自身にも尻尾が生えているが、それも王女側には見えないので何も実害はない。うざいし乙女思考だけれど、有能で心の広い主君に、彼は普段の言動にはあまり表さずとも、敬愛を欠かした事はない。

 それは、ヴォルフガング王に仕える臣下に共通した気持ちである。皆、ただ、王だから、ではなく、ヴォルフガング個人を、生涯の主と認め、心服している。少々他人を信用し過ぎるきらいはあるが、総じて見れば、歳若いのに民を第一に考えた政策を立てられる優れた君主である。多少の欠点……『お漏らし』の被害くらい、誰も気にしていない。宮廷から下がって彼から距離的に離れれば、『お漏らし』の影響からは解放される。

 当のヴォルフガングは、夢で見た通りのブリュンヒルデに一目で夢中になったものの、「ヴォルフと呼んで」という精一杯の親愛表現もスルーされたし、夢で見たように笑ってはくれないので、いささか不安にもなっている。

 意識して魔力を使った事もないのに、「魔力の賜物」と言われて訳がわからなかったし、「いつもの事だから」と言っても姫の表情は硬くなるばかり。


(俺は姫と平和と小動物を愛する男だと、アピールした方がいいのか……男らしく黙っていた方がいいのか……)


 苦悩する魔王の犬耳がぴくぴく震えると、ヒルデ姫は一瞬身体を震わせた気がしたが、ヴォルフガング自身は、『アレ』即ち耳と尻尾が出ている事に気付いていないので、気のせいかと流してしまう。


―――


(それにしても、何、あのふっかふかの犬耳! あれも接待なの?! だったらもふらせて! でも言えない!)


 ブリュンヒルデの心の叫びは、彼女の心の中にだけ留められた……今は。

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