第2話
「あー遅いな、女の支度ってなんでこんなに遅いんだ。まだかよフェリクス、ブリュンヒルデ姫は?」
「陛下に初めてのお目見えとあって、念入りに衣装を整えられているのです。長旅のあとですしね」
「どんな格好だって、俺のブルーメちゃんは可愛いに決まってる! おまえ、ちょっと急かして来い!」
バルシュミーデ国王……各国で魔王と呼ばれているヴォルフガングは、駄々っ子のように叫んだ。
闇色の髪に紫の瞳……紫の瞳は地域によっては魔族の血が入っていると忌まれるが、それ以外には非人間的には見えない、強面だが整った顔立ちの男である。だが、その整った顔に今は微塵の威厳もなかった。
初顔合わせとなる婚約者の身支度が整うのが待ち遠しくて、魔王はそわそわうろうろ。大柄な男が時折嬉しそうに跳びはねるので、その度に椅子やら何やらぶつかって倒れ、側近のフェリクスはそれを片づける為にあとをついて回っている。
俺のブルーメちゃん……別の言語に直せばフラワーちゃん。きりっとした男前が、妄想全開でまだ見ぬ花嫁に勝手につけた乙女なあだ名を、恥ずかしげもなく低音で口にする。勿論、この部屋には、信頼する側近のフェリクスと弟のディートリヒしかいないからではあるが……あんまりな浮かれように、フェリクスの胃はきりきり痛む。
これが、残虐非道の魔王と大陸中で恐れられている男の素の顔であった。
―――
事の起こりは二か月前。
他国からは魔王と呼ばれ、恐れられている若き王は、起きて来るなり清々しい笑顔でフェリクスに告げた。
「今日、すごく夢見が良かった!」
「そうですか、良かったですね、じゃあ気持ちよく仕事がはかどりますね」
素っ気ない返事にもめげずに、ヴォルフガングは夢の内容を滔々と語り出そうとする。ヴォルフガングのテンションに伴って、フェリクスの金髪の中から、うさ耳がふわふわ持ち上がる。フェリクスは嫌そうに耳を押さえながら言った。
「陛下、陛下が女性の前でへまをしないようにお教えしますけど、夢の話って、大抵、聞く方には、すごいうざがられるんですよ」
暗に、どうでもいいから聞きたくない、と意思を表明している側近の言葉を無視してヴォルフガングは、
「いやいや、この国の未来に関わる重要な話なんだぜ?」
「は? 陛下の昨夜の夢がですか?」
「おう。俺はな、夢の中で理想の女に出会ったんだ。ふわっふわの金髪で、すごい可愛くて、笑うと花が咲いたみたいに心が安らぐんだ。あれは絶対、俺の運命の女に違いない!」
「ええっと、でも夢でしょう? ああ、それで陛下はその美女と夢の中で色々なさって、そんなスッキリした顔なんですね?」
「ちがーう!! 俺のブルーメちゃんを穢すんじゃない! 俺は、ブルーメちゃんを嫁にすると言ってるんだ!」
「はいはい、陛下は昔から、理想の女性をブルーメちゃんって呼んでおられましたっけ。じゃあ、夢の中で結婚なさってどうぞ。あ、現実の方でも、今日こそ婚約者候補リストに目を……」
「そうじゃない、俺は現実でブルーメちゃんと結婚したいんだ!」
「……夢の中の女性を王妃に。いや、陛下にはちゃんと生身の女性を娶って頂かないと困るんですが。あ、それでこの国に未来がなくなる、と仰りたいんですか?」
「アホか、そうじゃなくて、これは予知夢なんだ。あんな実感のある夢は初めてだ。お、おい、なんで立ち去ろうとするんだよ?」
「……面倒な仕事が増えそうな予感がしましたので。早く顔を洗って夢の事は忘れましょう?」
ヴォルフガングはフェリクスの進言を無視する。いつの間にか生えたフェリクスのうさ尻尾が嫌な予感にぴくぴく震える。
「ブルーメちゃんは、ブリュンヒルデ姫と名乗った。姫だぞ、王妃に迎えられるじゃないか! だからおまえは今から、各国の王家のリストを攫って、金髪で十代後半のブリュンヒルデ姫を探すのだ! 見つけたら、姿絵を入手して俺のところへ持ってこい!」
「……やっぱりそういう展開ですか。私は忙しいのですが……」
「何が忙しいだ、最近のおまえの主な仕事は、俺の婚約者候補リスト作りだろ。丁度手間が省けて、俺もおまえも大助かりだ、良かったな!」
「別にそれだけをしている訳ではないんですが……」
「俺の嫁探しは最優先事項だろ! ずっとリストを見ろ見ろと押し付けてきてた癖に!」
リストを見て貰うのと、夢の中の女性探しは随分重要度に差がある気がするが……と考えていたら、フェリクスの鼻は狐鼻になる。溜息をつきながら、
「……まあ、分かりましたよ、陛下の気が済まれるように、やってみましょう」
と答えれば、
「ところで、ころころ姿変えるなよ! いくらおまえだって解ってても、今日はなんかやけに可愛く見えるじゃねえか!」
と理不尽に叱られる。
「ど・な・たのせいですか! 嬉しくなると小動物変化の魔力をお漏らししちゃう陛下のせいでしょーが!!」
「お漏らし言うな!!」
「そうか、解りました。昨夜、私が庭園で、とある令嬢に口づけしようとした時に、突然ハムスターになったのは陛下の夢のせいなんですね。寝てらしゃるから大丈夫かと思ったのに……おかげで彼女の唇を噛んでしまって、私はフラれたんですよ……」
恨みがましい側近の言葉にも、魔王は口を尖らせて、
「あっそう。俺が夢の中でブルーメちゃんの手を握ろうとしたとこで目が覚めたっていうのに、おまえはリア充アピールですかー」
「だからフラれたんですってば!」
「この王宮内にいる限り、いつ小動物に変わるか判らんのなんて、誰でも知ってるだろ。淫行は館に帰ってからどうぞ!」
「淫行とか言わないで下さい! 私は純粋な愛情を……たくさんの女性に!」
「純粋じゃねえっ!!」
ぽむ、と音を立てて、フェリクスの顔はドブネズミになってしまった。
「あーもう分かりましたよ! やればいいんでしょう! だからコレ戻して下さい!」
「時間が経てば戻るだろ」
そう、魔王はその気になれば世界征服さえ出来る魔力を持ちながらも、自分の意志で魔力を行使しない。それは、彼が噂と違い、平和と小動物を愛しているからでもあるが、主たる理由は、自身の魔力を制御できないからである。そして制御できない分、彼の乙女レーダーが動けば、王宮にいる者は皆、漏れ出た魔力により、ランダムに身体の一部が彼の大好きな小動物に変化する。魔王から離れれば元に戻るので、慣れっこになって誰も気にはしていないのだが……。
夢の君について、主君の気まぐれは今に始まった事ではないし、そんな姫は実在しないと判れば、国内の高位貴族令嬢のリストにも目を通してくれるだろう……そう考えたフェリクスだが、
(ブリュンヒルデ姫……聞いた事のあるような?)
という思いも一瞬脳裏を掠めた。
そして……手始めに調べた隣国の王家の情報には、
『第二王女・ブリュンヒルデ17歳』
の名がしっかりと刻まれていたのだった。
取り寄せた美しい絵姿を見たヴォルフガングは大喜び。早速、隣国に第二王女を王妃に娶りたいと申し入れた。長年、バルシュミーデは他国と交流を断っていたので返事は遅かったが、きちんと婚約は結ばれた。
「やっぱり俺の言った通りだ! ああ、でもブルーメちゃんの方は俺を好きになってくれるだろうか?」
「好かれたいのなら、姫に優しくする事ですね。何しろ我が国は様々な誤解を受けていますから」
「俺はかっこいい所を見せたいのだが」
「駄目ですよ。陛下は顔が怖いし、緊張したらご自身に『アレ』が出るじゃないですか。ゆっくりと陛下の良い所を解って頂ければ、きっと姫も好きになって下さいます」
「そ、そうか。確かに『アレ』が出たら男らしくないしな。わかった、頑張る!」
―――
そして今日、婚約を結んだブリュンヒルデ姫が到着した。恋する魔王のテンションはマックスである。
「兄上、さすがにもう少し威厳を見せた方が……道中や王宮で、我が国の真の姿を目にして、姫は戸惑っておられると思いますし」
壁にもたれたまま、呆れたように王弟ディートリヒが意見する。魔王と呼ばれる男が、闇色の髪に紫の魔族の瞳を持つのに対し、兄の第一の理解者であるこの弟は、白銀の髪と紫の瞳を持つ。兄は父親似、弟は母親似なのだ。そして、夢想家の兄と違い、現実主義。
「姫に会った途端に相思相愛……なんて夢は持たない方がいいですよ。ご自分が他国にどう見られているか、お忘れなく」
「ディ、ディートリヒさま、そこまで仰らなくても……」
「僕は兄上が失望しないように予防線を張っているだけだよ」
「ブルーメちゃんはきっと俺を解ってくれる!」
その時、扉が叩かれ、姫がお目にかかる支度が整った事を侍従が知らせに来た。
「おお! 今行くぞ!」
スキップしそうな勢いで出ていく魔王。
「……ディートさま。『アレ』、出てましたね」
「ああ……ま、仕方ないだろ。でも、姫君たちには一体どう思われるだろうか」
ディートリヒは嫌そうに、己の顔に生えた猫髭をつまんだ。フェリクスには、狐の尻尾が生えている。
……魔王ヴォルフガングは、とある事情から、魔力の制御が出来ない。そして、精神が高揚すればするほど、魔力が趣味の形になって漏れ出る。時には、自分自身の身体にさえも。
(陛下、犬耳が出ています!)
もう扉の向こうに婚約者がいるので、口には出せないけれど……魔王には、金色の犬耳と、無意識にぱたぱた振られるふわふわの尻尾が生えていた。
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