生贄として魔王に嫁いだらなぜか溺愛されているので、とりあえずモフろうと思います。

青峰輝楽

第1話

「ヒルデ、済まない。国の為に……民の為に、そなたを差し出す無力な父を、どうか恨まないで欲しい。色々と小言を言ってばかりだったが、そなたを……愛している」


 そう言って王は目に涙を浮かべ、愛娘の手を握った。


「ヒルデ。こんな事になるなんて……わたくしが代わってあげられるものなら、いくらでも代わってあげたいくらいなのに!」


 そう言って王妃は泣きながら末娘を強く抱きしめた。


「ヒルデ。わたくしがもうすぐ嫁ぐ身でなければ、その役目はきっと、わたくしのものだった筈。ごめんなさい……」


 そう言って姉姫は自ら顔を覆って嗚咽する。


「……父上、母上、姉上。ヒルデは花嫁なのですよ。泣いては駄目です。生きてさえいれば、きっと僕が取り戻します。また、会えますから」


 そう言って兄王子は笑顔を作ろうとしたが、目を赤くしていた。


 ヒルデ――アロイス王国第二王女ブリュンヒルデは、婚約が調った隣国の王の元へ旅する為の馬車に乗り込む前に、家族と別れの挨拶を交わしているところだ。

 彼女は、嘆き悲しむ家族に向かって気丈に笑って見せた。


「まあ、そんなお顔をなさらないで。離れて暮らすことになっても、隣国ですから、馬車で十日と少しくらい。今生の別れではありませんわ。望まれて嫁ぐのですから、里帰りも許してもらえるかと……」


 語尾が少し小さくなる。ヒルデ自身、そうは思っていないからだ。なにせ、嫁ぐ相手は『魔王』。忌まわしき魔族の王国バルシュミーデの王、魔族の角や牙を持ち、後宮に集めた美女の生き血を夜な夜な啜るという噂の男だ。

 噂では、魔族の子は、母親の腹を食い破って産まれるという。つまり、魔王の妃となれば、いずれ魔王の子を産むと同時に惨たらしい死が待っている、という事だ。


 しかし、百年以上も表立って他国と殆ど関りを持たなかった魔王国バルシュミーデが、隣国アロイス王国に対し、第二王女を王妃に、と望んで交渉を持ち掛けてきたのだ。

 五百年前に、バルシュミーデの魔族の侵攻により滅びかけたこの大陸の全ての国は、本能的にバルシュミーデを恐れており、その要求を断るなど、国を亡ぼすのを覚悟せねば出来ぬ事。

 なので……『じゃじゃ馬姫』と呼ばれ、家族からも民からも愛されてきた17歳の第二王女ブリュンヒルデは、魑魅魍魎が跋扈する(イメージ)の魔王国へ、生まれ故郷と家族に別れを告げ、恐らくは二度と帰れぬ旅に出ようとしているところなのであった。


「大丈夫です。むざむざと無駄に死にはしません。万が一死ぬような危険があれば、魔王を道連れにします。そうすれば、我が国も大陸も平和になりますわ。だから、笑って見送って下さいませ」


 健気な言葉に、家族は笑える訳もない。ヒルダの名を叫んでは泣き、周囲の家臣や侍女も、涙を流さぬ者はなかった。


―――



「ねえどうかしらエルザ? ドレスの裾はきちんとなっている? 髪は乱れていないかしら?」

「大丈夫でございます、ヒルデさま。本当にお美しいですわ。先方が用意されたお品々は全て趣味のよいデザインで、まるで姫さまに最初から誂えてあるようでしたもの。その翡翠の飾り物も、姫さまの緑の瞳にぴったりですわ」


 けれど、腹心の侍女の褒め言葉を聞いたブリュンヒルデは、嫌そうに顔を顰めた。


「まさか、遠隔魔道で私のサイズを測ったりなんて事は……」

「か、考え過ぎですわ! 姫さまの絵姿はあちらさまに送ってありましたもの。ああ、本当に晴れがましいお姿……」


 そう言って、しかし侍女はそっと溜息をつく。

 祖国から離れて、他国の王妃となる為に嫁いで来た姫。じゃじゃ馬姫と呼ばれた第二王女が、大陸の盟主たるバルシュミーデの正妃となるのだ。晴れがましい筈の、夫君となる王との初顔合わせの日なのに……豪奢で美しいドレス姿に身づくろいをする二人の間の空気は重い。


 当の本人の姫は、気丈に振る舞ってはいるが、幼い頃から傍に居るエルザには、姫の苛立ちが伝わる。運命に勝てない苛立ち。


 彼女が完璧に美しく装おうとしているのは、夫となる者を喜ばせたいからではない。隙を見せたくない、という意地だ。

 初顔合わせに臨む彼女の心にあるのは、戦意だった。


(御夫君が普通の御方であられたならば、どんなに良かったか……)


 普通の御方……では、ない。人間では、ない。紫闇の魔王という通り名のヴォルフガング王は、禍々しい角と蜥蜴の尾を持った魔族だとは、大陸では周知されている。

 遥か千年の昔、古の時代には、その怒りでもって大陸の人間は滅ぼされかけたという、魔王の末裔。不吉の象徴と呼ばれる者。

 それが、ブリュンヒルデの夫。


 涙の別れを済ませ、ブリュンヒルデは長旅をし、伴に、守護騎士のアレクシスと侍女のエルザのみを残らせて、この異郷の王宮で、魔王への謁見の支度をしているところなのである。


―――


 人間の死骸が側溝を埋めていると話に聞いた城下町は、馬車の中から一見した所、ごく普通の平和そうな街で、アロイス王国と大差なかった。


「見てエルザ、普通に人間が商店で買い物をしているわ」

「そうですねえ」

「……幻術か何かかしら。私を油断させようと?」

「うーん……これが本物の風景じゃなく作り物だとしたら、とても私たちがどうこう出来るとは思えませんが……。油断させる必要なんてあるのでしょうか?」


 そして足を踏み入れた王宮。


「うわぁ……やっぱり魔族ですね」


 案内役についてゆくブリュンヒルデにすれ違う度、優雅に挨拶してくる貴族たち。確かにどう見ても普通の人間とは違った。でも、物腰は柔らかく、態度は丁寧で、魔王の婚約者に敬意を示してくれているのが伝わる……??


「な、なんだか想像してた魔族と違いますね……」

「可愛い見かけに騙されるな、エルザ。我々を揶揄ってあんな姿を見せているのに違いない。気を引き締めろ」


 戸惑っている侍女にそう声をかけたのは、守護騎士のアレクシス。王女が、命に代えても国を護ろうという気概を持っているのと同様、彼は命に代えても姫を護ろうという気概を持っている。勿論、侍女のエルザもその覚悟で付いて来ている。幼い頃から共にあった大事な姫君。


「そ、そうよ……あんなの、騙しだわ……きっと正体は、双頭の蛇とか蜥蜴……。は、はあ、ふう」

「? 姫? 御気分でもお悪いのですか?」


 ブリュンヒルデは、気遣う騎士の声掛けに、唇を引き結んだが、頬を上気させていた。しかし、すぐにきりりとした声で、


「何でもないわ」


 と返す。


(ちょっと……何これ反則でしょう! やっぱり私の嗜好を魔道で探って、幻覚を見せて笑いものにするつもりなのね)


 動悸が収まらない。


 さっき挨拶されたのは、兎の宰相に猫の侍女長。身体は人間で、きちんとした身なりをしていたけれど、顔が小動物だった。


(か、可愛かったぁぁ!! ああ、触りたかったな……。はっ、私は何を考えているの! あんなの、見せかけに決まってるのに!)


 そして、また戦意を取り戻す。

 ……ブリュンヒルデは、小動物をもふるのが大好物なのであった。


―――


 身支度を終え、鏡に映った姿は、完璧な美しい淑女だった。エルザはブリュンヒルデを芸術的に飾り立てるのが何よりの趣味だったが、何しろじゃじゃ馬姫、今までは中々思うようにじっとしてはくれなかった。


 でも、これからは、魔王の婚約者として、武装だと思って美しくしていてくれるだろう。それが、この、陰で『地獄への嫁入り』と呼ばれた輿入れに進んで同行した侍女の唯一の生き甲斐でもあった。


「あんまりにも魔王が醜悪で私が倒れそうになったら、傍で支えて頂戴ね」


 会見の間に入る時、姫君は侍女に囁きかけた。もふもふは大好きだが、爬虫類系は苦手なのだ。しかし最初から弱みを見せる訳にはいかない。侍女は、


「わかりました!」


 と答えるが、気丈な姫君が耐えられないものに自分が耐えられるのか、自信は乏しい。けれど、姫の為に、悲しい顔は出来ない。


「私が付いています。魔王が無体をすれば、命を賭しても抗議しますゆえ」


 とアレクシス。


 醜悪な角と牙、蜥蜴の尾を持つと噂されるブリュンヒルデの婚約者に挨拶をする為、三人は悲壮な覚悟を持って、小鳥の侍従により扉が開けられるのを待った。

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