36話 双頭の鷲の陰

 修道院を出て橋を渡り、街の中へ入っていくとすぐに、多くの店が立ち並ぶオッキオ広場にたどり着く。ゴーネルまで続く街道と東の海に繋がっているオスクリタ川がかち合うここは肉、魚、小麦などの食物も、織物や工芸品などの品物も集まる。

目当ての品、卵と肉を売っている店はすぐに見つかった。けれど、さっきから聞こえる噂話なのか何なのかが気になって気になってしょうがない。

情報を集めるため、特に何をするでもなく、聞き耳たてて広場をうろつくと……おっさんから子供まで皆『国境の呪い』のことを話しているのだということがわかった。


「この間、教会様が逮捕した貴族のご婦人の話、聞いたかよ」

「ああ、最近また新しい話が出回ってるよな。毎夜毎夜、水流にもみくちゃにされる悪夢にうなされて、顔が土の色になってるんだってな」

「おい聞いたか!死んだはずの奴が自分の墓をたてるために天国から戻ってきたって!!」

死場所しにばしょの湖のほとりに勝手に墓が作られてたってやつだよな?あれほんとなのか?」

「ほんとに決まってるだろ!すっげぇ深い湖の底に沈んだはずの骨が埋められてたんだからさ!」


 なるほどそうか。と、今になってようやく、アウィンと最初に出会った時の謎が解けた。あいつが頬から血を流していたのは、開口一番『やっと終わったよ』とヒュドラに言った理由は、直前まで水底から骨を拾い上げて墓を作っていたからなのか。

 そして、エリザベスが苦しんでいる悪夢とやらもあの時……俺があいつの指示で放った魔法ルクス・モルスの影響によるものだろう。

あの羊皮紙を受け取った時の、侮蔑の念がこもった表情を思い出す。


『僕も何かしたいと思ってね。対峙したときに使ってほしい。奴に終わらぬ悪夢を見せるための魔法……』


 誰かから聞いて改めて、自分があの事件を終わらせた者の一人なのだと実感する。 

 必要最低限の働きしかできなかった。それが事実だ。でも、想定より気持ちが沈みこまなかったのは、アウィンとの反省会があったおかげなのかもしれない。

救えたのはたった一人だけ。そのたった一人すらもガキの頃の俺は取りこぼしたけれど、今回は違った。やっと人ひとり助けられるようになれたんだと、わかった。

暗殺者サングインのエメラダじゃないはずだと言ったヘリオのおっさんはこうなることがわかってたのかもしれないな。

 だったら尚更だ。自分の考えにより一層自信が持てた気がする。

 全てを手に入れるために……俺は、俺のやり方で行く。


「大変だぞ!」


 決意を新たに一歩踏み出そうとしたのに、出鼻をくじかれた……

全く何なんだと半ば呆れつつ広場に響いた声の方へ顔を向けると、蒼白の顔の男が馬から降りて言うなり


「今度の聖女様の集まりに隣国のおっかない公爵が参加するらしい!!」


 自分の耳を疑う。わずかの間、呼吸すらも忘れていた。

有り得ないはずのこと。だが、ざわめきだす広場の様子がその有り得ないはずの事が現実に起きたのだと証明してくる。

 だって、今度の集まりと言ったら太聖会を指しているに違いない。違いないが……あれはコリンが言うに、政界の関係者はしか参加できないという規則があったはず。

ブルート公爵家がラピス7世の一族……だということなのだろうが、いったい何が……

 いやもういい。これは俺が……政治だの歴史だのに弱い俺が一人で考えてもわかるはずのないことだ。それもこれも、さっさとに聞けばいい。

 息を吐きだして店先に立ち寄る。さっき見つけた卵と肉の店だ。


「なぁおやっさん。この塩漬け肉と卵、これより言い値で買うから取っておいてくれねぇか。用事がすんだらまた買いに来るからよ」





 ────────────────────





 件の、シルトパットがどこにいるのか。なんとなくだがわかっていた。だからこの東の海に繋がっているオスクリタ川沿いを歩いている。

 あいつはディディエを探すのに大陸外へも行ったと明言した。舟で川を移動すれば、さっきのオッキオ広場にも容易に足を運ぶことができ、そのまま街道に出ればゴーネルにも帝国にもブルートにも行くことができる。

 そして決め手は多くの貴族も調べあげたと言っていたことだ。上流階級の人間を目にすることができる川沿いのエリアはあの場所しかない。

 ラピス一の大劇場……周辺には高級娼館や貴族専用の飲み屋もあり、日夜裏社会の人間が出入りしている。

 なにしろ午後から動き出したもんだから、陽は長いと言っても余裕があるとはいえない。今現在の位置は……最初にラピスに来た時に見たドラート塔が丁度対岸に見える所。まだここまでしか歩けてないのか。

曲がりくねった川沿いの道を行くのではやはり効率が悪い。いっそ街に入って陸を突っ切る方が早いか……


「そこの急ぎのお兄さん。似顔絵なんてどうだい」


 そう考えていた時、背後から聞こえたしゃがれ声が徐々に張りのある若々しい男の声になって耳に届く。聞き覚えのある……というか、探していた人物そのものの声で、弾かれた様に目を向ける。

 犬ばかり描いているその絵描きは、麦藁帽をちょいとあげて赤髪の先の紫の瞳を柔らかく細めた。

 なるほどな。こいつは……また先読みしやがった。自分に会いに来る俺がここのルートを使うとわかっていたから待ちぶせしていたというわけか。


「わざわざ近くまで出てきたのか」

「あの場所は遠いからね。ここなら人も適度に少ないし良いと思って。約束通り、情報を持ってきたから、そこに腰かけてじっくり話そうよ。あぁ、今の名前はカルロね」


 そう名乗ったのは当然、探し人のブルート兵シルトパット。

 そこそこ人通りはあるものの足早に去っていく人間がほとんどである船着き場の前。胡散臭いこと極まりない大劇場周辺よりも密談に向いた、いい場所を用意してやがる。こういう所が本当に……一流の諜報員サイファーたる所以だな。

 念には念をと俺にフード付きのワインレッドのローブを着せて、風貌通り、布に絵を描き始めながら口を開いた。


「まず初めに僕が彼女について調べた情報たちだけど、実は丁度今頃、レグンとモルンに君の部屋に届けるように言ってあるんだ。

手紙の形でまとめてあるけど、君以外の人間がもしそれを読んでしまっても大丈夫なように細工してある。君の目には情報が見え、他の人にはベルナー男爵家からの愛のこもった手紙に見える。といった具合にね」

「そりゃ、安心だが……それ以外のことで一つ聞いてもいいか」

「何かな」

「さっき街で聞いたんだ。ルチル様が今度の太聖会に参加するって。

どういうことだ。あれはラピス7世の一族ってやつにしか参加権がないはずだろ」

「そうだよ。3代前……ブルート公爵家の成立に関わるものだから、ゴーネル出身の君が知らないのも無理はないか……ラピス7世の一族、なんだよ。ブルート公爵家は」

「じゃあルチル様は」


 俺の言わんとしたことを汲み取り、言葉よりも先に深い頷きで答えた。


「ラピス王国の王位継承権があるよ。正式にはね」

「正式には……ってどういう意味だ」

「今日は手紙の見方について話そうと思ってたんだけど、こっちの方が優先順位が高そうだね。できるだけ丁寧に話そうか。ラピス7世の子供は4人。長男シンティリオ家、次男キャロ家、三男サンティエ家、四男シェリー家。この順に王位継承権がある」


 じいさんの馬車の上でスフェーンが言っていたことを思い出す。


『……ラピスはここ何十年か内乱ばかりしていたんだ。兄弟の家同士でどちらが王になるかの醜い争いが始まった。長男と次男の家を滅ぼした三男と残された四男の家でね』

『四男の家が断絶してやっと争いが終わったんだ』


 そういえばラピス7世のことも何か言っていたような気がしてきた……残念ながらこれ以上覚えていないが。


「確かサンティエ家がクーデターを起こして上二人を滅ぼして、内乱で四男の家が断絶したんだろ」

「そうだね。確かに現王家サンティエ家はシェリー家、シンティリオ家を滅ぼした。だけど、キャロ家は家の男を亡き者にしただけなんだ」


 男だけ……つまり女は滅んでいない。そうか。だとしたら、あの含みのある言い方の理由も察しがつく。


「さっきブルート公爵家の成立に関わるって言ってたが、まさか」

「そう。時代はラピス王家最悪の内乱が起こる前……ジーヌ・ダチュラの戦いが決着したその後、ラピス・ゴーネル連合軍は和平の証として唯一のキャロ家の女性をブルート公爵家に嫁がせた。

初代ブルート公爵の妻、エレオノーラ・キャロ。間違いなくラピス7世の血筋だ」

「つまり本当は……ルチル様がラピス王位継承順第一位ってことか」

「そうなるかもしれないのが今回の太聖会だよ」

「それはどういうことだ」


 家の順番で考えれば次男キャロ家の系統であるルチル様が第一位とみて間違いないはずだろ。と、俺の言いたいことがわからないシルトパットではない……だが


「……」


 口を閉ざして紫の瞳があたりを探っている。異常を感じ取るにはその表情で十二分だった。


「ごめん。話はここまでにしよう」


ワンテンポ遅れて、俺も事態を理解する。


が俺たちを見ている。今この瞬間も。


 互いの呼吸を意識しながら、俺たちは同時に港町の裏路地へと駆け出した。

 シルトパットは右に、俺は左へ。人一人通るのがやっとの道を死に物狂いで走り抜ける。逃げる俺も追う相手も足音は立てていない。裏の人間同士の静かなチェイスを真昼間からやるなんて誰が予想できるんだよ。

 刻々と追手が迫ってきているのを感じる。やはり暗がりの中でワインレッドのローブは目立つのか。だが、取ったら顔を見られる。それだけは避けなければならない。

 何度目かの角を曲がった時だった。足先で蹴飛ばした小石が俺の進行方向とは反対側へ二三跳ねる。何人かがそっちへ向かった気配が確かにした。

 奴ら、視覚よりも音を優先してるのか。

 だったらやりようがある。次の曲がり角は左へ進んで、視界にとらえられる前にある場所へと急ぐ。

 地図は頭に入ってる。この通りを抜けて、この角を曲がった先……!オスクリタ川に流れる、小舟同士がギリギリすれ違うことのできる小規模の運河。石工が置いたであろう軒先の煉瓦二つを両手で鷲掴み、流れとは逆の方向へ投げ入れた後、また違う路地へ身を隠す。

 五、六人ほどの気配が狙い通り、煉瓦が水音を立てた方向へ去っていった。あとは、この運河を伝って潜水しオスクリタ川へ出てしまえば追っ手を撒ける。と、ようやく安堵して出ようとした瞬間、とてつもない怖気おぞけを感じ、動きを止めた。


キィィ……


 木の軋む音が鼓膜に飛び込んでくる。俺が丁度逃げようとしていた方向……オスクリタ川と運河の合流地点から。

 長い影が伸びて、運河をふさぐように停まった舟から人が降りてきたことを察する。わざとらしく踵を鳴らして近づいてくる。反響音と相まってやたら大きな音に聞こえた。


「隠れていても無駄ですよ」


 怪しい低音は実に雄弁で、声の主が薄ら笑いを浮かべているのが容易に想像できた。

 どうする。今はダガー一つしか持っていない。この男の武器次第では逃げることもできずに殺される可能性がある……だが、ばれている以上、交戦した方が勝ち筋があるか。


「まずはゆっくり話でもしましょう」


 懐のダガーを握った時、音もなく風が吹き、甲高い金属音が響いた。

 追手の男の剣と誰かが交戦する数十秒の攻防の後、両者が睨みあっているのか静寂が訪れた。剣と交わった時のあの金属音には聞き覚えがある。暗器の鉄笛の音だ。


「爆薬に銃弾。エリザベスの件、あなたが動いていたんですね。お陰で少しばかり懐が豊かになりました」


 その言葉で追手の正体を察する。おかしいと思ってはいたんだ。いくらなんでも慣れ過ぎていた。ブルート兵である俺たちが簡単に撒けない相手……そしてあの怖気……

 こいつらは……ハーヴィツ帝国の陰だ。


「想定以上の最悪の結末です。久しぶりだというのにあんまりじゃありませんか……

「……そんな名前の人間、もう存在しません」


 毅然とした態度で答える。だが、内心ではやはり動揺しているのか呼吸の間隔が大きく乱れる。


「あぁ今はサイファーとやらの幹部……シルトパット、でしたか」


 俺はこの間、動かず浅い呼吸を繰り返して静寂を維持していたが、告げられた言葉の衝撃は計り知れないものだった。シルトパットがサイファーの幹部だということにじゃない。組織の人間も知らない、メンバー非公開のサイファーの情報が帝国の人間にわたっていることがだ。


「そんな人間はいない?笑わせないでください。この世に於いて、生を受けたその瞬間から、人間は身分という宿命の下、死への旅を始めるのです。

 全てを捨てた錯覚に酔いしれているところ恐縮ですが、現実をお教えしましょう。所詮、あなたは貴族。その血が流れる限り家の名に支配されている。

 心は覚えているはずですよ。嘲笑と軽蔑を。俯いた頭の重さを。ねぇ?数学の名門シュトラント伯爵家の恥さらし……マティアス・エデル・フォン・シュトラント」


 自分は計算が遅いと言っていた時のことが頭をよぎった。伏せた目に浮かんだ諦念と怯え……あいつの消えない生疵の根元をこの男は知っている。耳の奥に流し込まれるような不気味な声で、剣を使わず心臓を刺し抜こうというのか。

 きたねぇ手段で追い詰めるあの男の流れに乗せられちまうくらいならとダガーの柄を強く握り、足先を向ける。しかし、俺の予想に反して、シルトパットは男の言葉に傷ついてなどいなかった。

 いつもより低く、余所行きの上品な笑い声を上げながら言い返す。


「笑わせるな。それを言うならあなたのほうですがねヒルデガルド卿。わざわざ出向いてきてご苦労様です。収穫はありましたか」

「わかっていてその質問ですか。なかなかに皮肉が効いていますね。

知っての通り、金をちらつかせてあなた方を探らせていた情報屋が全員消えました。徹底していますね……だからこそ確信したわけですが。

ヨハン=ティハルトはあなた方が匿っていると」

「それを確かめたいからけてきたんですか。ならば、もう少し警戒すべきでしたね。我々ブルート兵を」


 微かな靴音を響かせ、俺の真横を誰かが通り過ぎていった。シルトパットの傍らで足を止め、鞘から剣を抜く音がする。空が唸りを上げ、男……ヒルデガルドへ切っ先を向けたようだ。

 そこにいるのは誰だ……ブルート兵なのか……?


「Brique noire de la troisième ruelle!」


 流暢なゴーネル語が聞こえた直後、また剣と鉄笛がぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り響く。

 3番路地、黒煉瓦。他でもない隠れて動けない俺に言ったんだ。

 あいつらのことは気になるが、帯刀していない俺では戦力にならないと言い聞かせて、なんとかその場から走り去る。

 あたりの様子に注意を払ってはいるものの、正直混乱で頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 なんなんだ。


 何かがおかしい……じわりと迫ってくる大きな影に振り回されている感覚がうざったい。

 様子のおかしいキャンディッド、帝国の人間の出現、王家の血を引くのブルート公爵家。


『そうなるかもしれないのが今回の太聖会だよ』


 いったい何が起ころうとしてるんだ。

 

















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