32話 間違い探し

 待ち合わせ場所のラピス王都へ続く街道の野原のっぱらで馬車に寄りかかり手を振るゼノが見えた。一人だけしかいないようだし、キャンディッドはヒュドラに任せてきたのだろう。


「お疲れ様。そっちはうまくいったかな?エスティー」

「あぁなんとかな」


 シルトパットの件もビアンカのことも片付き一先ず安心した。と言いたいところだが、今回俺は必要最低限の働きしかできなかった。ビアンカ以外の少女たちは誰一人として救えずに………

 塔の内部を思い出して口の中に苦いものが広がる。その時、ゼノが俺の肩を軽く叩いた。忽ち青い光が火花を散らしたように弾けて、茶の前髪が鼻先をかすめる。視線を落とすと、着ているものもラピス兵の制服に戻っていて余計な強張りが解けた気がした。


「さ、話も聞くし、とりあえず僕と美味しいものでも食べようよ。何も食べてないんでしょ?」

「……あぁすまん。ありがとな」


 指を鳴らせば食器が現れ、ペンデュラムが光ればカットされた緑黄色野菜に夏の果物にパンまで出てくる。

 何でもできそうなのに火は出せないらしい。焚火を起こすのには火打石を使っていた。

 煮込み、ハーブを加え味を調えた野菜スープを椀に注いで、俺たちは遅めの夕食を共にした。

 今回の事件についてゼノの意見や俺の胸中、互いにあけすけに語り合った。

 パンも料理もなくなるとゼノは腹をさすりながら呟く。


「あーあ、人間ってどこから間違ったんだろうね」

「さーな、最初からじゃねぇの?」

「生き物としての本能から間違ってるってこと?それを論じるのも面白そうだけど、僕が言いたいのはそうじゃないんだ」


 ぼんやりとしていた瞳が初めて会った時のように鋭利な輝きを宿して俺のことを真っ直ぐ見据える。


「もしも時間を巻き戻せるとしたら、どの日に戻りたい?」


 その問いに少し前だったらシルトパットが来る日と答えていたかもしれないが、今の俺が出す答えはディディエを最後に見たあの日だ。

 俺が三日間も眠り続けなければ、早く体調不良を治していれば、彼女が外に出て薬草を取りに行くことはないのだから。


「お前も何か後悔があるのか」


 早々に答えを用意することができた俺はゼノのことが気になった。こんな質問をするくらいだから、こいつにも何か思うところがあるのだろうと思ったのだ。

 聞くや否や目を丸くしたあと、意味ありげな笑みを浮かべ、宙を見ながら


「そうだね。僕は……守れなかった自分達を変えたいって今も思ってる。だから、もし戻れるならば、ジーヌ様がブルート公に会いに行く日に戻るよ。そして戦場に行かせない」

「………そう、か」


 これまでのいろいろな会話からわかっていたことではあった。俺が聞かされてきた偉大なる魔女たちのこと、魔女たちが関わった戦争のことがゼノにとっては御伽噺なんかではなくその目で見た真実なのだということは。いざ本人の口から語られると本来出会うはずのない存在であることを思い知る。


「そうすればきっと僕の大事な人は誰もいなくならないし、誰も傷つかない。ジーヌ様だって一番守りたい人を今度こそ守れるかもしれない」

「……守りたい人?」

「そう。彼女の子がジーヌ様の一番大切な存在。あの方が戦争で死んでから今に至るまでずっと……あの子は僕と同じように守れなかった自分を責め続けている。

 あの戦争の後に何が残ったというのだろう。

 ブルート公?人間たち?

 彼らも無傷ではなかったよ。戦争が終わっても心と体は傷つき続けた。

 それに一番大切なあの子を傷つけたのなら何も守れていないのと同じなんじゃないの?」

「ジーヌ・ダチュラにも子孫がいるのか?」

「血は繋がっていないけれどね。けど彼は間違いなく彼女の子供だ」


 ゼノと同じくジーヌ・ダチュラの子供もまだ存命だという聞いたことのない話だったが焚火の光に照らし出される端正な顔の無表情は、俺には想像することすらできない壮絶な戦争の歴史を証明しているみたいに思えて何も言えなくなる。


「石を人目にさらしたのもいけなかったんだよ。欲深い人間たちは、夢を抱くからね。あの石があればほしいものが手に入るって。

 君たちが過酷な運命のもとに生まれてしまったのも、そういう人間たちの所為なんだ。過去のしわ寄せが来たってこと……みんな大きな運命の中心にいる」


 深い響きを持った低い声に滲む切なさを肌に感じながら、つられて星空を仰ぎ見る。王都リンディンの方向の北斗七星のアルカイドになんとなく目が行った。スフェーンもシルトパットもゴッシェも陛下もヘリオのおっさんも………ディディエもどこかからこの空を見ているんだろうか。

 ここではないどこかへ行っているような浮遊感に浸っているとふいに視線を感じて我に返った。いつの間にかゼノが見覚えのある艶やかな微笑を浮かべ俺を見ている。


「僕は応援してるよ。いつか、また僕の力が必要になったら呼んでほしい」

「ゼノ……」

「あぁ~偽名ゼノじゃいけないね」


 悪戯っ子のように微笑んで身を乗り出すゼノに合わせているはずの焦点が揺らいだ。瞼は重く、体がぐらりと傾く感覚に襲われ、意に反して立っていられない。まだもう少し、もう少しだけ………


「初めまして友人。僕のファミリーネームはグリチネ。そして僕の名前は…………」




 ────────────────────




「…………ティー…………スティー」


 あいつの名前を確かに聞き届けた。そのはずなのに俺を呼ぶ声はどこか高くまるで女のようだ。

 そうだ。これは丁度、いつもギャーギャー言ってくるどこぞのコリン・ホワイトみたいな………


「起きんかエスティー!!」

「んっ…………!?」


 鼓膜に飛び込む大音量の目覚ましに飛び起き、反射的に後ずさった。脂汗掻いた額を拭って、あたりの状況を確認する。夕食会場は勿論のこと焚火の後すら残っていない。


「全く……いつまで寝ているのだ!」


 もはや確認するまでもないが、目の前にいたのはやはりコリンで、吊り上がった濃い紫の瞳に起き抜けの俺の顔が映っている。

 少し後ろのほうには大勢の修道騎士達が控えていて、馬車のカーテンも閉まっているから寝ている間にキャンディッドも帰ってきたんだろう。


「コホン!………暴れ馬の対処については、ご苦労であった。予定を変更するからよく聞くのだぞ。

 姫様につく修道騎士を半分に減らす。昨日罪人を捕まえてな……そっちも王都に送らねばならないのだ。いつも以上に気を引き締めてお守りするのだぞ!」

「…………はぁ。そうっすね」

「え?お前が素直に言うことを聞くだと………?ど、どうしたのだっ頭でも打っているのか!?」


 いつもはガンガン響くコリンの声がどこか遠く感じた。ついさっきのことに思えて仕方ないゼノとのやり取りを思い出しながら俺はキャンディッドの乗る馬車の後ろに位置付ける。

 昔、父さんのカバンの中に入っていた珍しい宝石。透き通る、藍より青い色は一度見たら忘れることができないほどの美しさで、子供の俺の小指の先ほどの小ささであったが、はっきりと覚えている。

 アウイナイト。割れやすく極めて繊細な石。

 アウィン・グリチネ………それがあいつの名前だった。


 出発の号令がかかり、後ろを振り返る。疲れの残る体に雲一つない空から降り注ぐ直射日光は本心を言うと堪えられず、まいったなとぼやきながら俺は王都へ続く街道を歩き始めた。






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