28話 失踪の真実
最高級ゴーネル小麦で作られたブレッド、丁寧に
最上の物だけが並べられる豪勢な晩餐会。
そこに身代わり姫キャンディッドの姿は無かった。
彼女らは晩餐会が始まって程なくしてメイドに別室へと案内されたのだ。
来た道を入口ホールまで戻り、階段を上がり二階の客室で、直々に主、エリザベスが貴女方に教えを施してくださるからと……
純白のソプラヴェステドレスを揺らし、細長くしなやかな手が窓枠に伸びる。紫の両目に映るのは真っ黒な北の塔。
どうやら此処二階だけが塔へ通ずる構造になっている、それを承知するとキャンディッドは逆の方向へ体を向けた。
先ほどから一定の間隔で鐘が鳴り続けている南の塔が気になるのだろう。
鳴るたびに部屋の外からバタバタと男たちが走り去る音が聞こえるから、大体のことを彼女は見通してしまう。
胸の前で両手を組み、静かに目を閉じる。その動作は息をのむほど美しい。
「エリオント様、お加減が優れないのですか?」
俯くキャンディッドに声をかけたのは一緒に連れてこられたもう一人の乙女。
杖を支えに椅子から立ち上がろうとする彼女をキャンディッドはやんわりと制し、再び座らせる。
「大丈夫です。フィオーレ様」
「それは何より。だけど、二人きりなのですからそんなにかしこまらないでくださいませ。改めまして、私はラピスのフィオーレ伯爵家の三女、ルネ・フィオーレ申します。ルネと呼んでくださいな。
エリオント様、年は幾つでいらっしゃるの?私は16になるのですけれど」
「……私は19です」
その言葉の後、ルネが何か言いづらそうに視線を彷徨わせていて、少しの沈黙が続いた。
誰かいるわけでもないのに首を左右に向けて二人きりなことを確認すると、恐る恐る口を開く。
「婚前のお勉強……ってそういうこと、なのですよね?」
「……恐らくは」
エスティーをあの場から追い出すための理由だろう程度にしか考えていなかったキャンディッドは3つ年下の初心な彼女の反応に思わず面食う。
メイドの置いていった燭台と窓から射しこむさほど強くない月明かりの中でもわかるほどにルネの顔は赤くなっていた。
キャンディッドの反応から自分がどんな顔をしているのかわかったのだろう。急いで火照る頬を両手で覆い隠し、平静を装う。
「緊張するわ……私お姉様から色々聞いてるのに。殿方の扱い方とか、嫁入りする際の」
「ルネ様。そのお話は2人きりとは言え少々……」
「えっあっ!?しっ失礼いたしましたわ!……別に興味があるわけじゃないのよ?フィオーレ家は敬虔な神官を輩出する名家ですもの!
殿方なんてみんなケダモノです。女を財産としか見てないのですわ」
「……そうですか」
慌てふためいていたルネはふいに何かに気がついたようにハッとした顔をする。その瞬間から赤らんでいた頬は元の白に戻り、何とも言えぬ寂しそうな瞳で宙を見つめた。
「でも嫁いだら泣こうが喚こうがお父様もお母様も助けてくれなくなる……だから必要なお勉強なのですよね。
花嫁道具にご本を持っていけるかしら」
「ルネ様は本が好きなのですか?」
「えぇ、お姉様と集めた恋愛小説があるんですの。本の中のお姫様は皆、運命の相手と結ばれる」
「……ルネ様もそうなりたいのですか」
「欲を言えばそうですわね。でも、高望みは致しませんわ。
自由に恋愛するなんて……大人にバレたらはしたないって叱られてしまいますもの。
だからこの願いは胸の中の奥底にしまっておくのです。命ある限り永遠に……」
ルネはそのまま胸の前に手を翳す。つられてキャンディッドも同じように手を添えた。ドレスで隠れているもののその場所にはアコーニトの赤石がある。
「ルネ様はとても手本のような淑女ですね。そうあるべき姿を体現されている」
窓を背にキャンディッドはやさしいやさしい微笑を浮かべた。
「私も見習いたいと思います」
その顔は傑作絵画のように完璧なはずなのに、ルネにはいけないことのように思えた。
何故だろう、そう自問する前に脳裏に浮かんだあの時のこと……一歩遅れてしまったことを悔やみつつ、この焦燥感の理由を知る。
「エリオント様……貴女は」
何かを言いかけたその瞬間、ドアが開いた。
「ルネ様、エリオント様……奥様がお呼びです」
遮られてしまったのはルネにとって一刻も早く伝えたいこと。けれど、二人きりではなくなった今、口にしてはいけない。他の誰でもないエリオントのために。
一度深呼吸をして、喉元まで出かかっていた言葉たちを飲み込む。
「エリオント様、一旦参りましょう」
「……はい」
突き立てた杖を頼りに離席するルネの隣、誰もが見逃しているその刹那、キャンディッドの目が鋭く光った。
……先ほどまでメイドだけが来ていたのに、今回寄越した迎えはがたいのいいフットマン2人だった。あれだけ言ってエスティーを、男を遠ざけていたというのに。
これからすることに男手が必要なのだろうか。
怪しまれぬよう動きは止めず……ゆったりと歩くそぶりを見せてキャンディッドはこれまでの事を考えた。
人が消えるウェルナリス一帯の国境地域、ビアンカが失踪した事、ゼノが言っていた『誰よりも美しく振舞え』の意味……そして選ばれた自分とルネ。
数百メートルの深さの湖の水底に人がやって来るその理由。
……今、まさにこの瞬間。それが行われようとしているのか。
キャンディッドは己のやるべき仕事を悟った。
歩みが止まる。そして、華奢な体がふらりとよろめいた。
「エリオント様!どうなさったの!?」
床に膝をつくキャンディッドにルネが寄り添う。
「すみません、少し立ちくらみが」
「……やっぱりお体が。もう少し休みましょう。無理はいけませんもの。あの、エリオント様を横になれる場所へ」
近づいて来るフットマンにそう呼びかけていた時だった。
低く小さな声がルネの喉元で囁く。
「少しお借りしますね」
「え?」
声の主を確認しようと顔を向けたルネは突然強い力で引っ張られ大きくバランスを崩した。位置が入れ替わるその一瞬のうちに目にしたのは、射るような光を瞳に宿すあえかなはずの令嬢の横顔。
座り込むのと同時に背後から鈍い打撃音と男の呻き声が聞こえ、弾かれたように振り返る。
「エ……エリオント様」
眼前で繰り広げられていたのは2人の男を相手取る華奢な淑女の棒術。
先ほどまで談笑していたその人はルネの右手から攫った杖を振り回して、男が殴りかかる際にできる僅かな隙に、的確に
制圧するのにさほど時間はかからなかった。
気絶した男の胸元からハンカチーフを取り出し、高位の令嬢を思わせる優雅な仕草で杖を拭く。
「急を要する事態だったもので、申し訳ありません。汚れてはいないと思うのだけれど」
「あ……いいのよ。そんなこと……」
杖を受け取ったが、ルネはなかなか力が入らず立つことができなかった。
見かねたキャンディッドが腰を落とし手を差し出して、ようやく立ち上がる。
「驚かせてしまい申し訳ありません」
「エリオント様……あなたはいったい……それになぜこのようなことを」
「そうですね。カレンドゥラ近くの田舎育ち故、喧嘩は得意なのですよ。
それよりルネ様、今から私が言うことを落ち着いて聞いてください」
「なんですの」
「あなたと私はもうすこしで命を奪われるところでした」
「え……」
キャンディッドはそう言って男の胸元からロープと刃渡り数十センチのナイフを取り出しルネの目の前に掲げた。
目の前のものと先ほどの言葉は確かに一致している。けれど、自分が傷つけられていたかもしれないという恐れを今更実感してきて、ルネは震えを押さえつけて立っているのがやっとのことで……
「このナイフを持って、城を出て、修道騎士を呼んできてください。近くにいるはずです。あとは何もせず馬車を拾って帰ってください」
「どういうことですの……エリザベス様は、私を……なぜそんな」
時が経つにつれ、そうだったかもしれない可能性が頭の中に湧き出でて、震えも涙も我慢できず、杖を放り出し座り込んでしまう。
「ルネ」
キャンディッドは胸の前に手を翳し名を呼んだ。
低く静かな凪の声にルネの一切の動きが止まる。
涙でぼやけていた視界が黒く染まった。ひんやりとした素肌の感覚だけを感じる。するとルネの心に忽ち変化が起こった。
怖かった気持ちがどんどん薄れ、やがて消えて、行動する勇気、戦う気持ちが燃え盛るかがり火のように出てきたのだ。
「そう。そのまま。その気持ちに……戦う意志に身を委ねて」
「はい……!必ず連れてきます」
覆っていた手が離れてすぐにルネは床に置かれていたロープとナイフを手に取った。行ってきますと言い残すと使用人がいないかを確認し、足早に階段を下りる。
ふとナイフを見てあることを閃いた。
白銀の刃を自分の腕に当てると薄く斬りつける。傷口の血がナイフにもドレスにも付着した。これで修道騎士はどんな事情があったとしても自分の話を聞いてくれるだろう。
普段の自分ならば絶対にやらないことばかりをしていると、ルネは頭の片隅で冷静に考えていた。ナイフで傷をつけることも、痛めている足の痛さが気にならないことも、戦場の戦士が抱く、勝利を手にする直前のような高揚感も。
────────────────────
城を出るルネを見送ったキャンディッドは北へ歩みを進める。
明かり一つない廊下でも彼女の、今は紫に染められているアコーニトの力を持つ瞳ならば、視界の隅まではっきりと認識できる。
数十メートル先の突き当り、木の扉をあけ放つとそこは教会だった。
比較的低いアーチ状の白天井に東西にはめこまれたステンドグラスの色彩豊かな光が映し出されている。
4列に並べられているオークの椅子の先、たくさんの蠟燭が灯る一際高い祭壇の上には深紅のドレスを身に纏ったストロベリーブロンドの女が佇んでいた。
「遅かったわね……あら?どうしてあなただけなのエリオント」
キャンディッドは教会の中心辺りで足を止め、顔を上げると、エリザベスに問いかけた。
「……塔の入口はどこですか」
「あぁ……今は使っていないのよ」
「しらを切りますか。ならば湖の件はどうですか」
「湖?」
「この城の近くの山岳地帯の湖です。地形から見てカルデラでしょう。相当の深さがあるはず。
……見つかってはいけないものを沈めるには丁度良いのでしょうか」
エリザベスの唇が持ち上がる。と同時に蝋燭の火が揺らめき陰影が移ろう。両者の間に静寂が流れた。
奇麗な仮面を貼り付け見下ろすその人への怒りから、端正な顔の眉間に深いしわが刻まれる。侮蔑の念をむき出し、キャンディッドは静寂を壊した。
「標的を下級貴族に変えたのはなぜですか。今日のような会を開いていればあなたの行いは近いうちに必ず暴かれていたはず。それともウェルナリスの村のようにみ消しますか。名門の名の下に」
「ええそうね。だって、貴族の娘の方がよい気がしたのよ」
その言葉には一切の重みが存在しなかった。そのまま宙に消えてしまいそうな、取るに足らない日常会話のような表情をしているそれは、悍ましい己が罪の告白だというのに。
「……認めるのですね。エリザベス・ヴルュハーズィ」
「ふふふ。怖い顔ね」
「あなたが何を欲していたのかは知りませんが、許されることではないことは確か」
「そんなわけないわ。だって、お父様もお母様もお兄様も似たような事をやってきたんですもの」
「……何を言っているのです」
その一言にキャンディッドが疑問を抱いた時だった。
西側ステンドグラスに亀裂が入り粉々に砕け散る。
夜風と衝撃波による一陣の風が教会内祭壇上の蝋燭を尽く消し去った。
キャンディッドは目を庇っていた腕を下ろし、そして息をのんだ。
エリザベスには月の光を背負った黒い人影と犬のようなシルエットが見えるばかりだが、キャンディッドの両目にははっきりと見える。
赤い光が微かに跳ねる。忽ち赤髪は黒に、エメラルドの瞳はルビーのように紅く、彼の本当の姿がたった一人、キャンディッドだけに露になる。
「わざわざ教会でことに及ぶのか。どこまでも腐ってんなお前」
少し生意気な低い声でそんなことを言いながら黒髪の男、エスティー・ポードレッタは自らの仕える姫の傍らに侍ると、片手に持っていた赤い背表紙の本の貢をめくる。
そうして口にしたのは、先ほどのキャンディッドの疑問の答えで、この事件の全て……
「財産を守るため家族内婚姻を結び続け、その一族は皆狂人のように振る舞うようになった。故に国境の人攫いはエリザベス・ヴルュハーズィが関わっている可能性が高い。
何十億単位の金を帝国王家ハーヴィツブルク家に貸し出している名家。
それが理由で人々は人攫いをもみ消さざるを得なかった。
つつけば出てくるのはハーヴィツブルク家。
証拠は湖の底で絶対に見つからないのをいいことに不当な扱いを受けたとでも訴え、戦争を始め、ゴーネルだろうがラピスだろうが攻め落とされ支配下に……
なるほど。正攻法ではこの人攫いを解決できないわけだ」
目の前に現れた人影の声を聴きその正体に合点がいったエリザベスは、ようやくその表情を焦りへと塗り替える。
「あなた、まさかエリオントの従者の……なぜ生きているの。なにしてるのよ男どもは!」
「潮時だぜ名門貴族様。もうお前は逃げられない。帝国もお前を守っちゃくれない。切り捨てるしか道はないからな」
「そんなことが……」
「あるんだよ。このラピスならな。あいつがどこまで知っていたかは知らないが……政治と宗教が対極にあるものとされるこの国は宗教団体が関わった問題を政の場に持ち出すことができないだろう。
つまり国対国じゃなく一団体対国の構図になるんだよ。
筋書きはこうだ。
お前は下級貴族の娘を手にかけようとしたところ、そのうちの一人に逃げられ、すべてを知った地方巡業から帰る途中の修道騎士に逮捕される。
そして恐らく帝国のその後の動きは2つ。
金銭面で癒着しまくっていたくせに自分たちはヴルュハーズィ家とは関係ないと言い張るか、正義の味方を気取ってヴルュハーズィ家を政治の場から追放し、自分たちの借金はチャラにして残されている財産をふんだくるか」
「ゴーネルかラピスを属国とするためこの計画が頓挫した場合、ヴルュハーズィ家そのものを食い潰す事で最低限のメリットは得られるわけですね」
「そう。今この瞬間、国を巻き込む壮大な計画は、想定し得る中で最も矮小なものに成り下がった。
あんたの一族だけが滅びるというものにな」
一人の魔法使いによって建てられた計画がようやく背徳的な人攫いの喉元に刃を突き立てる。
だが……
「……いいえ。まだ」
次の瞬間、エリザベスは走り出した。追い詰められた彼女が何をするのか、あらゆる可能性が頭をよぎりキャンディッドは胸に手を翳したが、隣にいるエスティーは微動だにしていない。
奥底の感情を押し込めるように瞬く赤い目が追いかけるのは、祭壇を駆け下りるエリザベス。その手に天井からのびている懸垂幕を掴み、全体重を使って引っ張ると、三人の頭上、教会の外から大きな大きな鐘の音が鳴った。
「使用人達をうまく巻いて来たようだけれど、この城にはまだ」
何百人もの使用人の誰かがこの音で教会にやってくるはず。エリザベスはそう思っていたのだ。彼女は晩餐会を早々に離席しこの教会に居た。だから、鳴り続けていた南部の鐘の音に気がつけない。
もう一切、鐘の音は聞こえない。
「いねぇよ。北部にはな」
「何を言っているのかしら……そんなはず」
「いくら鐘を鳴らしてももう人は来ない。南部に幽閉されてるはずだ。厨房の奴らやメイドたちは俺が捕縛しておいたしな」
「……っな」
大きく目を見開いたその後、両腕は力を無くし、ベルラインドレスが形を崩して床に広がった。
「令嬢たちはどうしたのですか」
キャンディッドの質問にエスティーは飄々と答える。
「眠ってるんじゃないのか?一時間は起きないだろう。うまそうにがつがつ食ってたからな……睡眠に特化したハーブがまぶしてあるジビエ料理」
そう。ある人物の助けによってすべてを知ったエスティーもまた己のやるべきことを悟り、着々とエリザベスを追い詰めていたのだ。
狼と共に外へ出た際にハーブを採集し、厨房に紛れ込み、全員に料理がいきわたったところでコックたちを捕縛。
薬屋だった彼にしかできないこの事態に対する最適解。誰に言われるでもなくエスティーはそれを導き出してからここに来ていたのだった。
傍でずっと座っていた白狼がおもむろに立ち上がった。エスティーとキャンディッドは祭壇へと導く狼についてゆく。鼻先を動かし、立ち止まったところは、祭壇上の十字架の真下。
その場所だけ床がはずれていて下へと続く階段が見える。
二人はこれが北の塔へ続いているものだとすぐに気がついた。
エスティーはキャンディッドへと向き直り
「お前は先に行ってろ」
といって、白狼の背を軽く撫で、階段を下りるように促すと一人と一匹が見えなくなるまで見つめていた。
エリザベスと自分だけになった教会の天井を仰ぎ、深呼吸をすると肩越しに一瞥する。
「エリザベス・ヴルュハーズィ」
座り込むエリザベスを祭壇の上から見下ろし、エスティーは、彼にしては珍しい温度のない表情で、でも、確かな怒りが滲み出る低い声でこう言った。
「プレラーティについて知ってること……全て話せ」
赤い本を掴む骨ばった右手に青い筋が走る。
その名は、この世で最も許せない人物として彼の心の片隅に影を落とす敵の物だった。
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