27話 忍び寄る影

 俺たちが正門から入った建物は北側に建つ塔の足元にある宮殿だったようで、パーティー会場からそれっぽい理由をつけられ追い出された俺は、北部宮殿と長い渡り廊下でつながれている南部の塔に案内されている。

 南部には館が無く、ただ石畳の道の先に塔への入り口である鉄扉が見えるだけだ。

 甲高い音をギぃギぃと鳴らして使用人のメイドが扉を開けると、埃っぽい風が吹き抜けた。

 そいつが持つ燭台の光だけを頼りにただひたすら階段を上る。

 道中には片手で数えられるくらいの部屋しかなく、階段も粗末な螺旋階段が絡み合うようにずっと上まで続いているだけ。

 使い勝手がいいようには思えないこの南の塔、しかし、それにしては掃除が行き届いている。

 数個あった部屋は高台から外を見張るためのものだろう。それ以外に特に目立った設備は見られない。ならば、で頻繁に使っているのだろうな。

 前を行くメイドの背を睨んだ。

 暗闇の中目を凝らし、相手の感情の波を見つめる。

 門番の男のような殺気は感じない。武器も特に携帯していない様子だ。


 ……実行に移すのはこいつじゃない。


 ようやく最上階の部屋までたどり着いた。

 室内に通すなり俺に燭台を渡すとメイドは


「会が終わるまでこちらでお待ちください。ささやかながらリオン殿にも夕食をお持ちいたしました」


 と言って一礼し、扉を閉めて階段を下りて行ったようだ。

 案内された部屋はごく一般的な客間だった。

 赤いカーペットが敷かれ、壁に本棚が一つ、傍らに椅子と机、窓から差し込む月明かりが机の上のささやかなディナーと赤ワインに反射して青白い光がぼぅっと灯っている。


(なるほどな……)


 眺めのいい塔の上の客間。客人は気分よく窓の外でも見ながら赤ワインをあおるのだろう。

 ……心地よい酔いの中で見たその景色が人生最後に目にするものとは知らずに。

 燭台机上に置き、ワインを近くに引き寄せた。やはり、コルクを一度緩めた形跡がある。

 入っているのは十中八九、毒か睡眠薬だろう。

 ディナーには一切手を触れず俺は窓の向こうへ呼びかけた。


「スフェーン……いるのか」


 返事はない。けれど、これでいいはずだ。

 俺はゼノの真の要求を悟ったのだ。

 ビアンカが捕らえられているのは北部のどこか。捜すためにはあの大勢いる使用人たちが邪魔だ。

 それを、俺とスフェーンがどうにかして南部に惹きつけ、閉じ込めることができれば、ビアンカの救出が可能……それがあいつの指示『仲間が教えてくれる』なんだろう。


「協力してくれるんだろ?俺はいつでもいいぜ。さっさとやろう」


 もう一度呼びかけたその時、強い風が吹きつけ、燭台の火が消える。


「……!」


 意識が乱れたその一瞬、背後に気配が湧き出た。

 弾かれた様に振り返り俺は扉をあけ放つ。

 だが、そこには誰の姿もない。

 気のせいか、いや違う。ここには確かに誰かがいた。

 注意深くあたりを見回した。どこもおかしなところはない。

 極度の緊張状態の中、それを解きほぐすかのようにふいに何かが淡く香った。

 スッと鼻筋を抜ける香り……これは、ローズマリー。


(なんだ…………)


 何かがおかしい。鼓動が大きな音を立てだす。

 正体はわからない。だけど、俺の中で確かに感じる強烈な違和感。

 頭の片隅に漠然と置かれた記憶。そうだ、この香りを俺は知っている。

 いつ。どこで……

 答えにたどり着く寸前のところで俺の意識は眼前の現実に引き戻された。

 ………塔の下から足早にやってくる誰かの荒い呼吸音。執行人のお出ましだ。

 俺は背後の窓の鍵を外し、腕のダガーナイフを構えた。

 人数はおそらく二人……そう思った直後、違うと気がついた。もう一度、息巻いてやってくる誰かの音に耳を傾ける。

 呼吸、足音、明瞭になってくるその正体は


(人間じゃない)


 胸の内でそう言った瞬間、それは姿を現した。

 白い毛並みを靡かせながら灰の目で俺をまっすぐ見据える二匹の大きな狼……二匹は尻尾を振って俺に駆け寄るなり、足を甘噛みしたり鼻をこすったり、行動をとり始めた。

 それは、懐いた相手にしかしない愛情表現のはず。

 ……初めて会ったはずの俺にすることじゃない。ならば、こいつらにとって俺は初めて会った相手ではないのか?


(こいつらってもしかして……諜報員サイファーの動物)


 答え合わせをするように窓の外から歌うような軽快な笛の音が聞こえてきた。

 何度も聞いたことがあるスフェーンの鉄笛だ。

 おせぇぞと顔を見てぼやいてやろうかと近づくと窓枠に手がかからないうちに何かが俺目掛けて投げ込まれる。

 拾い上げようとしたその瞬間、まただ。鼻をくすぐるローズマリーの匂い。

 しばらくの間俺は動けずにいた。体に走る違和感。

 そう言えば笛の音もいつもと違う気がする。スフェーンには初めの音を強く出す癖があるのに今日はそれが無かった。それに……


(なんでグリシャじゃなくて、狼なんだ)


 数々の疑問の答えが出ないまま動かない俺にしびれを切らした狼の一匹が投げ込まれたものを咥え足小突いた。

 不可解な点を考えるのはそこまでにして俺は渡されたものを手に取る。それは本のようなものだった。

 この場で目を通そうとしたが狼たちの視線に気づき、一旦脇に抱える。何を伝えたいのだろう。繰り返し繰り返し俺と自分の背中へ視線を送っているだけだ。


「……もしかして乗れってことか?」


 言葉を理解しているように狼は小さくざらついた声で鳴いた。

 容易に感情が読み取れるまるで人間のような振る舞いはゴッシェの黒蛇を思わせる……やはりサイファーの相棒で間違いないだろう。

 ダガーを懐へしまい込み、二匹のうち体の大きい方に恐る恐る乗ると、この時を待っていたといわんばかりに狼はしなやかな四肢を躍動させ開いた窓から勢いよく飛び出す。

 待て……!これじゃあ作戦が…………っ!?


「オイオイオイ!!スフェーン!どういうつもりだお前ぇぇぇぇ!!」


 地上10メートルほどの宙に放り出された俺と一匹を後押しするように残されたもう一匹の遠吠えが夜空に鳴り響く。

 …………その声に紛れるように発された音を確かに捉えた。


「Regn!……I norr!」


 聞きなれない言葉。それを引き金にして、何故なのかはわからない、だけど、脳裏に突然鮮烈な赤がよぎった。

 赤…………机上の赤ワイン、ワインレッド……ローズマリー……そうだ。俺はあの時……それを嗅いだんだ。


 違う。スフェーンじゃない。

 俺が確実にこの城に、国境の人攫いに関わるこの場所に来ることを知っている奴が1人いる。


 


 風にもてあそばれる赤い赤いその髪を見て俺は、数々の違和感の全てを解き明かした。




 ────────────────────




 狼に乗りエスティーが塔の最上部から落下したその後、程なくして三人の男が南の塔の鉄扉を開けた。

 初老ほどに見える男たちは燭台一つ持っていないのに迷うことなく螺旋階段を上ってゆく。

 一歩、また一歩、足音のほかに金属音も聞こえる。

 最上階に近づくにつれ男たちはため息を吐くことが増えてきた。


「……またか奥様は」

「今宵は二人、だそうだ……」

「……かわいそうだが私たちは使用人だ。命令に従うしかない」

「あぁ……地獄へは行くまいと思っていたのだがな」


 男たちはジュブワ男爵令嬢の執事を待たせてある部屋の扉をそっと開け、覗き込んだ。

 幸運か不運か赤髪の見目麗しいその青年は、体を丸めて窓下のレンガの壁に体を預けすやすやと寝息を立てている。

 手元に転がったワイングラスの赤ワインはまだ乾いていない。


「かわいそうに……まだ花の盛りだというのに」


 男の一人が前に進み出て構える。背に隠していたものが月明かりの下青白く光った。

 それは大木を断ち切るほどの大きな大きな斧。

 刃が青年の頭上に掲げられるが、男たちは表情を変えない。

 幾度となく繰り返してきた罪、麻痺した心はそれをまた一つ重ねることを受け入れてしまう。

 一歩踏み込み、大きく振りかぶった。

 その時


 バァァァァン!


 大きな音を立て男の耳先を何かがかすめた。

 まだ髪先に残る熱と、鼓膜が破れんばかりの大きな音に腰が抜けてヘロヘロと斧を下す。

 残された二人ものけぞったり小さく悲鳴を上げたりして、両手を上にあげた。

 無慈悲なはずの執行人たちに向けられた銃口。

 眠っていたはずの青年は突如立ち上がり、赤い髪を揺らして前を見据えた。

 暗い紫の瞳は闇の中でも鋭い光を宿し、怒気を纏う青年の存在感をますます高めているように感じる。

 男たちはそのあまりの恐ろしさに涙を浮かべた。

 だからと言って青年が情けをかけることは無い。銃口を向ける手はそのままにじりじりと距離を詰めていく。


「マッチロック式を知っていますか。外の大陸からそれを勉強した僕は、改良を重ねフリントロック式の拳銃ハンドガンを作りました。

 貫通力殺傷力では劣りますが生死をかけた勝負を語るのには十分です。

 ……その場で跪け。応じないのであれば殺す」

「ひっ……」

「どうしました?早くしてください」


 正気を失ったか、男の一人が大声を上げた。


「………こ、殺せばいい!どうせ俺たちは地獄へ行くんだ!いつ死のうが関係な」

「Moln tugga」


 青年が大声を遮る。すると、騒いでいた男の陰にいた男の足首に鋭い痛みが走った。

 確認する間もなく男の体は壁に放り投げられる。

 頭と背を強打したその後で男は状況を理解した。

 扉の陰に潜んでいた巨大な白狼が足首にかみついたのだ。

 鋭い痛みと鈍い意識の中で男は震え上がった。自然界にはいないその生物に恐れをなしたわけではなく、自分が攻撃されたそのわけを悟ったからだ。

 青年は燕尾服の懐から眼鏡を取り出しながら抑揚のない声で告げる。


「その床を踏み抜けば、渡り廊下が封鎖される仕掛けですよね。次動いたら本当に撃ちますよ」


 主人が話している間に、武器を下した男、手負いの男を狼は器用に縄で縛る。

 残された一人の男はようやく口を開いた。


「そ、それでも……この城の使用人は200人を超える。お前ひとりで南部塔に閉じ込める気か!?できるわけないだろう!」

「できますよ」

「はは…………っははははははは!」


 泣きっ面のまま嘲笑を漏らした。

 ここはフェルナンド男爵家の所有する城。城壁から地下まで分厚いレンガで覆われた、音も秘密も漏れ出ることのないこの世の影。

 人1人がこの場所でそのような振る舞いができるのか?嗤いは止まることがない。

 それを見た青年はただ、ため息を吐く。そして、銃口を本棚に向け、ためらうことなく二発の弾丸を放った。

 赤子でもわかるように、青年はやって見せたのだ。

 男たちの耳に飛び込む音は二度の銃撃音……そして、かぶせるように響く爆発音。

 退路を断つように、男たちの背の向こうで焼け焦げた本棚が鈍い音を立てて横たわった。


「既に罠は仕掛け終わりました。200だろうが300だろうがお相手いたします

 ……あの子の邪魔をする者全てをね」


 もううまく息を吸うこともできない。一切の抵抗もせず男は青年のなすがまま、きつくきつく手足を縛られる。

 他愛もない制圧を終え、青年は白狼を呼び寄せた。頭を撫で、背を軽くたたくとまた新たな指示を出す。


「Moln gå……5分毎に良いというまで鳴らし続けろ」


 白い毛を靡かせ窓から出てゆく狼を見遣る男の顔から血の気が引いていった。

 この塔の最上階はここではない。

 限られた者だけが知る鐘が上にある。

 それは緊急事態を知らせるもの。


 ゴーン…………


 波紋のように広がっていく重低音。

 鳴り響いたこの瞬間から北部の使用人たちが小隊を組織し南部塔へやってくる。

 鳴りやまぬ鐘に足を運ぶ人々。

 幾度となく繰り返したその後には北部はもぬけの殻になる。

 これで邪魔者はいなくなるのだ。


 本棚を足でどかし、扉から外に出る際、青年はこう言い残した。


「これ以後、この扉を開けたら火薬が爆発します。ごく簡単な仕掛けです。一度きりではありません。銃のように何度も爆発が起こります」


 何故そんなことを言ったのか。男たちは程なくして思い知ることになる。

 階段を駆け上がってくる足音がした。

 男たちを助けようとやってきた勇敢なとある使用人だ。

 だが、この扉を開ければ勇敢な彼は爆発に巻き込まれてしまう。だから男たちは開けるなと叫ぶ、逃げろ、ここへ来てはいけない。

 二の句を継ぐ前に鈍い音がして扉の前から気配が消えた。代わりに、コツコツと階段を下りるブーツの音だけが聞こえてくる。

 この扉を開ければ仲間が爆発に巻き込まれる。それを阻止しようと声を上げれば居場所がばれる。

 また鐘が鳴る。

 駆け上がる足音が近づいてきた。

 男たちは渾身の力で叫ぶしかなかった。


 逃げろ。

 ここへ来てはいけない。

 この城は終わりだ。と……



 その人は生れ出たその時から星明りを頼りに闇の中、地を這うものだった。

 訳も分からず地を出でて、遮二無二前へ這って進み、大きな波にさらわれる。

 だが、いつのころからか。彼は弱い存在ではなくなった。

 大海を彷徨い橙に輝く美しい宝石になったのだ。


 ブルート公爵家直属機関。諜報機関サイファー幹部ならびに極秘戦闘部隊アッシュ部隊長。

 知恵者セージ又の名を…………鼈甲シルトパット





 ────────────────────






 ゴーネル王国、国境の町ニジェルを流れる川の上流では美しい龍と黒糸鍔の三角帽子をかぶった青年が水面を覗いていた。

 走る水流には代わる代わる静止画のようなものが映し出される。

 塔の中、戦う男。

 狼に導かれ奴のもとへ向かう男。

 主の行方を探す修道騎士たちは誘われていることに気づかず黒い水棲馬を追っている。

 一歩、また一歩。

 湖の麓に聳え立つ忌々しい白レンガの城へ。


「散々苦しめてくれたね……そろそろだよ吸血鬼ヴァンピール。君の負けだ」


 手を翳した瞬間、画は変わる。

 二人のうら若き淑女へと……


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